第55話:特別な感情

「私達に残された時間は限られている。8月中までに、火龍の舞をマスターして、世界を納得させるだけの脳波研究の成果を出す必要があるわ」

十萌さんが、皆に向かって言う。


「山籠もりの期限タイムリミットは1週間後。8月15日までに、何としてもおじいちゃんの脳波伝達率レベルに近づいて」


――もちろん、その覚悟はある。

……けど、やっぱり心配も拭えない。


わたしはおずおずと訊ねる。


「ち、ちなみに、食べ物って、どうすれば・・・・・」

「水さえ飲んどきゃ、1週間くらい食べんでも死なんよ。ま、どうしても腹減ったら、山で虫とか山菜とかを捕ればええしの」


――おじいちゃんはサラッと言うけど……。


21世紀生まれのわたし達にとって、山での自給自足は相当過酷だ。

何が食べられ、何に毒があるのかさえ分からないから。


―最悪、筍を掘り続けて、喰いつなぐしかない。


そんなわたしたちの戸惑いを感じ取ったのか、住職さんが、助け舟を出してくれた。


「まあ、ご先祖さまたちは断食されていたようですが……。今回は断食でなく、脳波と身体能力の強化が目的ですから、そこまではしなくてもよろしいかと」


そう言うと、こう続ける。

「ですから、1週間分、精進しょうじん料理の携帯非常食を、私達でご用意します」


「精進料理ってなに?美味しいの?」

とミゲールが無邪気に訊いてくる。


日本オタクキャラが板についてきた、アレクが説明する。

「精進料理は、仏教の戒律に基づいて、殺生を避けて作った料理のことだよ。菜食料理ベジタリアンに近いかな」


「植物もまた、生きとるんじゃがな」

おじいちゃんが釘を刺す。


住職さんの穏やかな表情が真剣味を帯びる。

「人は、他の生命を全く奪わずに、生きていくことはできません。だからこそ、何を活かし、何を殺すのかを、覚悟と感謝をもって選び続ける必要があるのです」


生命活動の維持のために食事が不可欠である以上、残念ながらそれは真理なのだろう。


わたしはふと、カイのお父さんルカが、各国の首脳に言い放ったあの言葉を思い出していた。


 ――『私たちの共通目的とは何か?それは、一人でも多くの人類を、この地球上に生き残らせることに他ならない』

だけど、彼はそのためにどれだけの犠牲を払うつもりでいるのだろうか?


「あと、もう一つ」

思い出したように、明るい声で十萌さんが言う。


「カイさんからエリーに、プレゼントを預かっているの」

研究所のスタッフが、エリーの身長くらいのメタリックな箱を、数人がかりでわたしたちの前に持ってくる。


「これって……」


中から出てきたのは、厚みのあるアーマーらしきものだった。

腕、足、そして背中を、外骨格のように覆う形状だ。


「エリー向けにカスタマイズされた、脳波連動型BMIのサポート型の強化パワードスーツよ。両手足と背中に装着して、脳波で動かすことで、通常と同じ生活を営むことができる」


触ってみて、と十萌さんが言う。

まずエリーが、次いでわたしたちが手を触れてみると、カチッと固い部分とぷにっと柔らかい部分がある。


「エリーの身体と損傷部分を全身スキャンして、脊椎を中心とする硬度が必要な部分と、柔軟に動かすべき関節部分で硬度を変えてあるの。もちろん、慣れるには時間がかかるだろうけど、三式島の修行で、エリーの脳波操作は格段に進歩している。今なら十分に使いこなせると思うわ」


「嬉しい」

エリーは感動したように言う。

彼女がこんなにも長くカイの実験に参加していたのも、もともとは自分の力で動くことが目標だったはずだ。


「私、頑張る。みんなと火龍の舞を踊れるように、全力を尽くすわ」

決意を込めた声で言う。


「ええ、まずはみんなが山籠もりをする一週間、別メニューで特訓しましょう。みんなも油断しないでね。もしエリーが完全にスーツを使いこなせたら、人間の基礎能力を遥かに超えるはずだから」


たしかに、アイアンマンのパワードスーツの性能は、完全に人間の能力を超えている。

このスーツがあれば、健常者や障碍者という枠組み自体がなくなる未来が来るかもしれない。


「カイさんって、本当にいい人ね」

パワードスーツを愛おしそうに撫でながら、ぽつりとエリーが呟く。


――え、あいつのどこが?

そう言おうとして、とっさに言葉を引っ込める。

エリーの、赤く上気した顔を見たからだ。


鈍いわたしもさすがに気が付いていた。


エリーは、カイに特別な感情を抱いている。

それが恋なのか、憧れなのかは分からないけど、たぶん他の人へとは違う感情を。


――あれ?

なんだか少しだけ心がもやっとした……気がした。


この感情は……。

たぶん、これはエリーにとってのヒーローの座を奪われることへの、ささやかな抵抗の気持ちに違いない。


――そう、自分に言い聞かせる。

本番タイムリミットが迫っている中で、今、余計なことを考えている暇などないのだから。

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