第7章:山籠もり

第54話:山籠もり

「ごめん、わざわざ山に籠らないといけない理由が、正直よく掴めないんだけど……8月31日タイムリミットも迫っていることだし……」


 "火龍の舞プロジェクト”の責任者マネージャーとしての十萌さんが、心配そうに口を挟む。


 8月31日の神剣奉納祭まで、あと3週間。


 単純に火龍の舞を舞うだけならともかく、今回は同時に三式島のアバターを操作する必要がある。

 さらにそれを40億人にライブ中継をするとなると、時間はいくらあっても足りないはずだ。


「そもそも、火龍の舞の習得って、どれくらいかかるものなんですか?」

 十萌さんが、夏美さんに訊く。


「普通は1年間かけて教えるものなんだけど……」

 夏美さんは、考えながら言う。


「ただ、例外もある。30年前、もともと予定していた舞い手の内の3人が、事故で参加できなくなったことがあったの。そのとき、お父さん先代が伝手を辿って、3名の代役を探してきた」


そう言って、どこか懐かしそうな表情を浮かべる。

「彼らは、1カ月足らずでマスターしていたわ。私はまだ12歳だったけど、その時の舞の美しさは今でも鮮明に覚えている」


「へえ。ま、どうせ僕たちの方が能力は上だろうから、3週間あれば何とかなるんじゃない?」

 相手のことも知らないにもかかわらず、ソジュンは、なぜか自信たっぷりだ。


「一度、その時の映像を見てみる?」

 と夏美さんが、スマホを操作し始める。


 ――そういえば、火龍の舞の説明は受けたけど、過去の映像を通しで見たことはなかった。

 40億人の前で恥はかきたくない。

 勉強は嫌いだけど、できれば模範解答は見ておきたいところだ。


 夏美さんのカスタマイズAIが、スマホをシステムに接続し、当時のものと思われる映像をバーチャルプロジェクターに投影する。


 ハンドカメラを固定して取ったらしいその映像は、若干劣化してはいたものの、当時の雰囲気は十分に伝わってきた。


 ――その映像に、わたしたちはすぐに魅入られる。


 それは、舞台の中央で踊る火龍に扮した二刀流の男性と、それを取り囲む7人の舞い手によって演じられる、神楽にも似た儀式だった。


 7人の舞い手もそれぞれに剣を持ち、時に切り結び、時に刀を合わせ、やがて火龍が地に再び還っていくというストーリーのようだ。


 何よりも、流麗な舞そのものが美しい。そして、その背後を流れる太鼓、笛、三味線そして鈴の音色がその神聖さを増している。


 そして、特徴的なのが、7人の舞い手がそれぞれ異なる色の仮面を身に着けているところだろう。


「7人の舞い手の仮面の色、レインボーカラーに見えるけど……」

 とミゲーラが指摘する。


「そう。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7色。つまり、虹の構成色よ。火の神を鎮め、雨を降らせ、やがて虹がかかるっている願いが込められているの」


 ミゲーラが興味深そうに言う。

「へぇ。火龍役の人は別格だけど、青と、紫の仮面の体格ガタイのいい二人も、相当の腕前だね。他の5人とは明らかに剣筋が違う」


「もしかして、あの青い仮面の人って……」

 エリーがわたしをチラッと見ながら、夏美さんに訊ねる。


誠吾先生リンちゃんのお父さんじゃ……?」


 ――実の父親だ。さすがにわたしも一目で気づいた。


「で、紫の仮面の方は、錬司さんですよね」

 私が付け加える。3年前の敗北以来、何度も脳内再生してきた剣筋だ。忘れるわけがない。


「そうよ。そして、あの火龍の役は……」

 答えようとした夏美さんに、夢華が言葉をかぶせる。


深山一心おじいちゃんでしょ。見れば分かるわよ。火龍のあんな衣装で、7人相手に立ち回れる人なんて、日本中探したっているわけがない」


 相変わらずマイペースにお茶を啜っているおじいちゃんを見て、夢華が言う。

「はっきり聞くわ。あと3週間で、どこまでおじいちゃんの領域に近づける?」


「時間そのものは重要じゃない。問題は、”何回死線を感じ、越えられるか”じゃよ」


「死線? 今までも死ぬ気でやってきたつもりだけど……」

 ソジュンが不満そうにつぶやく。


「そうか……の?」


 そういうと、おじいちゃんは、住職のテーブルの前に置かれた、茶道用の鉄窯てつかまの取っ手に右手をかけた。窯の中でぐつぐつと煮え立つお湯を、自らの茶碗に、ゆっくりとした動作でお湯を注ぎ始める。


 次の瞬間。突如、おじいちゃんの鋭い眼光がわたしたちを射すくめた。

 鉄窯てつかまを掴んだ右手に力が籠められる。


 ――え、まさか! 


 おじいちゃんが鉄鍋を宙に放り投げ、煮え立った熱湯が頭上に振りかかる――。

 ……そんなイメージが、


 わたしは思わず腰を上げる。

 同時に、”ガタン!” 椅子を倒しながら、夢華が後ろに跳びのいた。


 再び、おじいちゃんに視線を戻す。

 しかしそこには、先ほどの眼光など嘘のように、のんびりとお茶を立てているおじいちゃんがいるだけだった。


 他のみんなは、「え、いきなりどうしたの!?」って感じで、呆気にとられた表情でわたしと夢華を見ている。


 体勢を整えた夢華の右手には、鋭いかんざしが握られている。

 おじいちゃんを睨みつけながら、夢華は言う。


「試したのね」


 鉄窯が飛び、熱湯が宙から降り注ぐイメージが、わたしと夢華には確かに見えた。

 ただ、それが、他のみんなには見えていなかったみたいだ。


「ま、そういうことじゃ」

 おじいちゃんはそう言って、ぽかんとしているみんなを尻目に、お茶を飲み続けている。


 ――相変わらず、説明が少なすぎる。

 これでは、みんなには、何が起きたかさえ分からない。

 ただわたしも、以前、おじいちゃん家で同じような経験をしていなかったら、おそらく感付くことはできなかった。


 わたしは、”さっき起ころうとしたイメージ”についてみんなに説明する。

 おじいちゃんが寸前で取りやめたものの、鉄鍋と熱湯が宙を舞う未来も、十分にあり得たはずだ。


 夢華が言う。

「それだけじゃない。同時にあの尖った竹串みたいなので、私たちを刺すイメージまで見えたわ」


 ――尖った竹串みたいなもの?


 おじいちゃんの前には、和菓子用の竹の楊枝が置かれていた。

 人差し指程度の長さだけど、おじいちゃんの腕前なら、一突きで相手を戦闘不能に陥らせるだろう。


 そしてよく見ると、一番初めのときと、竹楊枝の位置が、気がする。


 ――わたしには見えなかったけど、あの瞬間、おじいちゃんは鉄鍋を握ると同時に、竹楊枝にも触れていたということだろう。


 そして、夢華はそれを見て、鉄鍋が宙が舞うと同時に、竹楊枝で攻撃してくる情景まで予測し、後ろに飛びのいたということか。


 ――夢華の力は、やはりわたしたちの中でも群を抜いている。


「この距離であれば、全員いつでも命を絶てる。さっきは、わざと分かりやすく感情の波殺気を飛ばしたがな。自然の中では、死線を感じ取れなければ、気づかぬままられるだけじゃ」

 おじいちゃんが、しれっと物騒なことを言う。


 アレクはその言葉を反芻するように、顎ひげを撫でる。

「つまり、殺気を、いや相手の感情の波そのものを、常に感じ取れるよう状態でいるべきってことか……」


 エリーも興味深そうに言う。

「剣道でも、達人同士の試合の場合、いくつもの”起こり得る未来”を予測し合って、最善手を見つけるっていうわ」


。山にはたくさんの生き物がいる。その波が感じられれば、どう動くかも、たいがい分かる」


「だから、僕たち全員と同時に戦えたってわけか」

 ソジュンも納得気に頷く。

「この僕が、銃さえ抜けずにやられるなんて、おかしいと思ったんだよ」


 成り行きを見守っていた、十萌さんが興味深げに口を開いた。


「つまりおじいちゃんは、その感情の波、つまり人なら脳波を、四六時中読み込んでいる状態ってことか……。だからこそ、脳波伝達率が尋常じゃなく高いってわけね。確かに、もしみんながその領域まで行ければ、伝達率100%の夢も、夢じゃなくなるかもしれない」


 十萌さんがおじいちゃんに問う。

「間に合いますか?」

「ああ、死ぬ気で向き合えば、な」


 そうして新所長十萌さんはあっさり宣言した。

「じゃ、山籠もりそれ、今日から始めるわよ」

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