第37話:夕焼け小焼け

 既に、夕暮れ時を迎えていた。

 窓から差し込む夕日が、傷つき眠る錬司さんの横顔に深い陰影を作る。


 窓辺には赤蜻蛉とんぼが一匹、わたし達を見守るように佇んでいる。


 錬司さんのベッドの周りには、夏美さん、美紀ちゃん、そして、島でただ一人のおまわりさんがいた。定年間際の、おじいちゃんだ。


「錬司さんの容体はどうなんですか……?」

 わたしが聞く。


 夏美さんが気丈に言う。

「麻酔で寝てるけど、背中の傷は臓器を避けられているから、命に別状はないみたい。普段から鍛えていたのがよかったのね」


 わたしを目にした美紀ちゃんが泣きながら言う。

「でも悠馬が……。リンねえちゃん、どうしよう」


 わたしはぎゅっと、美紀ちゃんを抱きしめる。


 父が、お巡りさんに訊ねる。

「何か、犯人から連絡はありましたか?」

「いや、なぁんも」


 夢華は、単刀直入に訊く。

「夏美さん。犯人や、その動機に心当たりは?」


「……分からないわ。錬司も錬司も、恨まれるような人じゃないから」

 と首を振る。


 ――そう。そこが、一番の謎だ。


 普段から島の子は、親の目なんか気にせず、自分たちで勝手に遊びまわっている。

 仮に誘拐しようとしたなら、いつでもできたはずだ。


 このタイミングで、錬司さんを傷つけてまで誘拐した理由は、一体何なのだろうか?


 わたしは途方に暮れて、再び窓際に目を彷徨わせる。

 そこにはまだ、赤蜻蛉が留まっていた。エリーのバトルの時見た蜻蛉とそっくりだ。

 

 ――あれ?

 微かな違和感が、私の脳裏をよぎった。


 この蜻蛉、さっきから1mmも動いていない。


 思うや否や、夢華が動いた。

 素早く髪留めを頭から引き抜くと、迷わず蜻蛉に向かって一閃する。


「カシャ」

 という微妙な金属音を立てて、地面に蜻蛉が落ちる。


 ――カシャ!?

 蜻蛉の死骸らしきものを拾い上げたわたしは、思わず夢華を見る。


「これって……?」

 一見して蜻蛉にしか見えないそれは、しかし金属製だった。


一瞥した夢華は断言する。

「蜻蛉に精巧に似せた超小型ドローンよ。おそらく、目の部分にカメラが取り付けられているはず」


「つ、つまり、わたしたち、誰かに見張られていたということ?」

「そう。おそらく、研究所にいたときから、ずっとね」


 エリーとの対戦の時に見た赤蜻蛉。

 それこそが、犯人グループのドローンだったということか。


 わたしは、総毛立つのを感じた。

 何か、思ったよりもずっと大きな陰謀のようなものに巻き込まれているのではないだろうか。


 家のどこかで、「ピィー」という甲高い音が聞こえた。

 鳥の鳴き声にも似ているが、より機械音に近い気がする。


「みんな、ちょっとここで待ってて」

 わたしと夢華は、音が聞こえた別の部屋と駆けつける。


 そこには、紙のような何かを咥えた、体毛のない鳥が宙に舞っていた。

 ――鳥形のリアルアバターだ。


 その鳥は、口に咥えた紙片を落とすと、そのまま窓から飛び立っていった。


 そこには、英語でこう書いてあった。

「Lin and Yumeka. Come to Hakuun elementary school(リンと夢華。二人だけで、白雲小学校に来い」


 ***********


 錬司さんの部屋に戻ったわたしたちは、今起こった出来事をみんなに告げる。


「何で、リンと夢華に……?」

 父が苦悶の表情でつぶやく。


「分かんない……」

 わたしは夢華をちらりと見るが、彼女も首を振っている。


  3年前から山野辺家と付き合いがあるわたしはまだしも、夢華なんて、昨日の合宿で、山野辺家に初めて来たばかりだ。


 ただ、今まで蜻蛉型アバターでわたし達を監視してきたなら、そこに何らかの意図があるはずだ。


 わたしは、勇気を振り絞って言う。

「わたしは、行くべきだと思う。悠くんのために」


「リン!」

 戒めるように父が言う。


「でも、お父さんとお母さんだって、震災の時、命を賭して人を救ったんでしょ!?」

 父の言葉が詰まる。


「わたしはいいわ。行っても」

 隣で、さらりと言う夢華。


「合宿で泊めてもらったしね。こういうの、一宿一飯の義理っていうんでしょ、日本じゃ」


 夏美さんと美紀ちゃんは、さっきからわたしたちを、思い詰めた目で見つめている。


 ――大切な息子の命がかかっている以上、本音では行ってほしいはずだ。

 けど、それがわたし達の危険に直結する以上、夏美さんの性格上、彼女の口からは言い出せないはずだ。


 父の表情には。深い躊躇いが浮かんでいる。

 当たり前だけど、娘に誘拐犯の元に向かうことを望む父親なんて、いるわけはない。


 父を、きつく唇をかんで、何かを言いかけて、それを飲み込んだ上で、父は言った。


「分かった。今は、悠くんの安全を最優先で考えよう。ただ、決して無理はしないでくれ」


父の温かい手が、私の頭にぽんっと置かれる。

「夏美さん、美紀ちゃん、そして錬司のことは、私に任せてくれ。誰が来ようと、守り切って見せる。」


わたしは頷く。

――父がいるなら、この場は安全だろう。


わたしは、夏美さんに言う。

「母の名に懸けて、悠くんは絶対に連れて帰る。だから、わたしたちを信じて待っていて」


夏美さんはわたしの手を握り返す。


「有難う。――無事を祈ってる」

そう絞り出すように言うと、一本の鍵をわたしに手渡してくれた。


「宝物庫の鍵よ。神剣奉納祭のための武器が保管してあるの」

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