第24話:陽炎とツンデレ

「私は誰にも負けたくない。だから教えて、ゾーンへの入り方を」


 そう言って、夢華は錬司さんに詰め寄る。

 この飽くなき勝利への執着が、彼女の強さを支えているんだろう。


 十萌さんが横から言葉を継ぐ。

「ここにいるみんなは、全員、何度かはゾーン状態を経験しています。ただ、誰一人として、意識的に入れたことがないんです」


 錬司さんは言う。

「残念ながら、ゾーンに入る方法は、私にも分かりません。ただ言えることは、ということです」


――つまり、フロー状態になれることが、ゾーンに入れる条件ということだろうか?


「ゾーンに入れる人自体が稀少きしょうですし、何とか経験者を見つけ出しても、ゾーンに入っている時間が短すぎて、脳波実験が難しくて。もし、いつでも自由にゾーンに入れる、奇跡みたいな人がいれば、科学的な解明も進むはずなんですけど……」


 十萌さんが、無念そうに言う。


 ――あ。

 わたしは、思わず、錬司さんの方を見る。


「たった一人だけ、常にゾーン状態にいつづけられる人を知っています」

 錬司さんもわたしに頷きかける。


「深山一心先生。リンちゃんのおじい様の、ね」

 場がざわっとし、全員の視線がわたしに集まる。


「え?常にゾーンに入れる人がいるの!?しかも、それがリンちゃんのおじい様?」

十萌さんがわたしに喰いついてくる。


「え、はい。まあ……」

 急に話題を振られ、焦りながらも答える。

 

「ちょっと!そんな大事なこと、何で隠してきたのよ?」

 夢華がすごい勢いで、わたしの肩をガタガタと揺らす。


「だ、だって、おじいちゃん、もう隠退しているし……。そもそもゾーンっていう言葉を知ったのも、この島に来てからだから」

 余りの剣幕に、思わずしどろもどろになるわたし。


「あ、そうそう!おじいちゃん、8月末には神剣奉納祭で、島に来るんですよね?」

 矛先を変えようと、錬司さんに話を戻す。


「ええ。深山先生は、常に無意識にゾーンに入られているので、やり方を教えて頂けるかは分かりませんが……。とにかく一緒にお話を伺ってみましょう」


 錬司さんの答えは、どこか歯切れが悪い。


 ――強さの秘密を訊ねたわたしに、「強くあろうとしないことじゃよ」と答えたおじいちゃんのことだ。確かにまた、禅問答のような謎の答えが返ってくる可能性は高い。


「可能性さえあるなら、なんでもやるわ。そう、深山先生おじいちゃんに、伝えておいて」

 相変わらずの押しの強さで、夢華が言う。


「8月末なら、まだ時間はあるわ。おじい様に会う前に、私達がやれることは全てやっておきましょう」


 そう言って十萌さんは、わたしに向き直る。


「エリーちゃんと対戦していたとき、脳波のパターンが突然変わった瞬間があった。確か、エリーを倒したほんのちょっと前にね。そのときのこと、少しでも思い出せる?」


「……ごめんなさい。それがやっぱり記憶が曖昧で」

 あの後、みんなからも、何度も同じ質問をされたけど、やはりうまく説明できない。ほぼ無意識の行動だったからだ。


 そして、他のみんなも一緒なのだろう。ゾーンに入ったことはあっても、思い出せないから再現できない。


 汗が額を伝う。出口が見えない中、焦りが募っていく。


 そんな重苦しい沈黙を破ったのは、意外にも悠くんだった。


「みんな外、見てみて!陽炎かげろうだよ」

思わず、みんなもそちらに視線をやる。


 火灯窓から見える池に、ゆらゆら陽炎かげろうのようなものが立ち上がり、景色が歪んで見える。


 本堂に冷房は付いているとはいえ、外は40度近い真夏日だ。

 陽炎かげろうが起こってもおかしくない。


「あれ、でも、陽炎かげろうってなんで生まれるだっけ?」

 悠くんが錬司さんに尋ねる。


 錬司さんが教師の顔になる。

「前に教えたやろ。暑い日に、温められた地面や水面が発した熱が空気の層を作って、それが光を屈折するって」


 やりとりを聞いていたエリーが、おずおずと悠くんに訊ねる。

「あれ、カゲロウって、虫の名前じゃなかったっけ?」


「それは虫のカゲロウ、蜻蛉とんぼと同じ字を書く方だよ。これは別の陽炎カゲロウ。同音異義語ってやつ」

 名誉挽回とばかりに、悠くんが得意げに言う。


「そうなんだ。日本語、やっぱり難しいわね」

 エリーちょっと照れて笑う。


 ――あ。

 そのとき、何かがわたしの頭をよぎった。


 わたしは十萌さんに言う。

「そうえいば、エリーとの1回目の試合のとき、トンボが入ってきたんですけど」

「トンボ?」


「あれって、バーチャルじゃなくて、本物ですよね?」

「うーん、ゲームの世界にそんなプログラムは組み込んでないから、たぶんそうだと思う」


「その直後、わたしはゾーンに入れたんです」


 エリーも会話に乗ってくる。

「私が初めてダイアナをきちんと動かせたときも、蝶々が飛んできてたわ。今思うと、あれはゾーンじゃなくてフローなのかもしれないけど」


「トンボと蝶々。もしかして、虫とゾーンに何か関係があるとか?」

 ――と自分で言っておいて、慌てて否定する。


「ま、でも昆虫なんて、島中にいるんだから、そんなんで出来るなら、島民全員がゾーンに入れちゃうか」

「それはそうよね」

 とエリーも笑う。


「いや、今の、何かのヒントになるかもしれない」

 と十萌さんが急にまじめな声で言う。


「たしかに虫そのものは単なるきっかけだと思う。ただ、虫を意識する前と後の脳波の状態を見れば、何か分かるかも……」


 おお、リケジョ魂が燃え始めた。

 少しでも場を明るくしようと、わたしも冗談交じりに言う。


「せめて、ドラゴンボールで、悟空がスーパーサイヤ人になった時みたいに、怒りが溢れ出てきたらゾーンに入れる……とかなら分かりやすいのにね」


 悟空が激高し、スーパーサイヤ人に変化したあのシーンは、漫画史に燦然と輝く名場面だ。


 この「ドラゴンボール」という用語に、みんなが一斉に反応した。

 たぶん、みんな、煮詰まった気分を変えたかったのだろう。


「そうだよ、俺はもともとドラゴンボールに憧れて、日本に興味をもったんだよ。鳥山先生のメカ設計は最高だよ」とアレクが言うと、「僕もあれで日本語を学んだんだ」とミゲーラも乗ってくる。


「小学生のころ、よくかめはめ波の練習したなぁ」とソジュンも感慨深げ呟くと、エリーも「悟空は、私にとって、リンちゃんの次に好きなヒーローよ」とつなぐ。


「真面目な夢華は、マンガなんて読まなそうだけど……。」

 とソジュンは半ばからかうように、夢華にも話題を向ける。


 急に話題を振られたせいか、夢華はちょっと焦りながら、思わずこう口走った。


「わ、私だって大好きよ。だって、悟空は初恋の人だもの」

 そう言って、思わず「しまった」という感じで、口を抑える。


「ご、誤解しないでよ。ずっと昔のことなんだからね!」

 顔が真っ赤に染まっていくのが、傍目で分かる。


 ――もしかして、ツ、ツンデレ属性!?


 普段は見せない夢華の意外な一面に、場が一気にヒートアップする。


 アレクが、「萌え」とか日本語で言い出している。

 日本語できなくても、特定の用語にだけめっちゃ詳しいのが海外オタクの特徴のようだ。


 話題になればなるほど焦る夢華。

 気の強いクールビューティーとばかり思っていたけど、こんな面もあるんだ。


 ――もしかしたら仲良くなれるかも……。

 初めてそう思った。


 わたしはふと、カイと初めて会ったとき、星が言ったセリフを思い出した。


 「アニメは日本を代表する文化なんだ。世代や人種を超えるね。本当にいいと思える作品に出逢えれば、きっと人生だって変わる」


 本当にそうだ。

 アニメや漫画は、世界をつなげる力を持つ。


 そんな様子を見ていた十萌さんは、

「ようやく、合宿ぽくなってきたわね!」 と満足そうに言う。


「じゃあ、盛り上がって来たところで、このまま、合宿、午後の部に移るわよ!」

 と宣言する十萌さん。


  ――え、そもそも、午後の部ってなんだっけ?

 そもそも合宿全体のスケジュールを聞いていない。当然、みんなの顔に疑問符が浮かぶ。


「あれ、発案者がノリが悪いわね。夏と言えば、海水浴じゃない!」

 十萌さんが、わたしに目配せする。


 ――あ、確かに。

 それ、わたしが言い出したことだった。


「え、でも水着とか持ってないし……」

 話題を逸らそうと、夢華が口を出す。


「その心配は無用よ。昨晩、全員分用意しておいたから」


 エリーも少しだけ心配そうに言う。

「このメンバーで海水浴って、目立ちません?わたし、車椅子だし」

 

  すっかり忘れていたけど、わたしたちは、極秘の最先端研究に携わっている……らしいのだ。確かに下手に目立つのは望ましくない。


「そこは任せて」

 隣村から帰ってきたばかりの夏美さんが言う。

 悠くんと美紀ちゃんも付いてきている。


「悠馬と美紀が、地元民しか知らない最高の穴場に連れて行くから。もちろん、エリーちゃんも泳げる場所よ」


 ……は、はあ。

 わたしたちは、急な展開に目を丸くする。


 十萌さんはさらに続ける。

「ちなみに、釣り竿と網、ついでにもりも、地元の組合の方に借りてきたから、お昼ご飯は自給自足ね」


 ――全員、心の中で思っていたに違いない。

 十萌さんこの人、一体、どんだけ仕事できんだよ。

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