レシピ帖

 ルスランが厨房に姿を見せると、すぐさまノアが駆け寄ってきた。


「ドクター! どこ行ってたんだよ。ココのやつ仕事辞めちまったんだ。昨日お別れ会もして、みんな来てくれたのに、どうしてドクターは……」

「出張で知らなかったんだ。彼女はまだ大学にいるかな?」

「いや、朝早くに出て行っちまった」


 予想はしていた。辞表を学長に渡したということは、自分に会わないまま姿を消すつもりだったのだ。


「彼女はどこへ向かったか分かるかい?」

「実家だよ。やっぱ弟妹が心配だったんだな、あいつ」

「そうか、ありがとう」


 そう言ってルスランが出て行こうとすると、ノアがルスランの腕をつかんで引きとめた。


「待ってくれドクター、ココから伝言があるんだ」


 ノアは言いながら、一冊のノートをルスランに渡す。


「これをよく読んで、体に気をつけてって」


 中を見てみると、それはレシピ帖だった。一頁目から最後の頁まで、ぎっしりレシピで埋め尽くされている。


(これを俺に?)


 普通に考えれば、餞別。ということなのだろう。これを見て料理も少しはやってみろ、と。もしくは、これを私の代わりだと思ってほしい、か。

 だが。


(残念ながら彼女は普通の女ではない)


 そんなことのために、わざわざこんな面倒なことはしない。

 ここまでするということは、そうしてでも伝えたい何かがあったのだ。それは見られたくない相手、例えば、占い師の手に渡ったとしても、暴かれることがないように。

 だけど。


(俺には)


 伝わるようにと。


 きっと出会ったときのように、またレシピの中から何か、見つけ出せというのだろう。


「まったく。やってくれるな」


 くつくつとほくそ笑むルスランを、ペトラとノアがびくっとしながら見つめていたが、ルスランに二人の姿はもう見えていなかった。

 彼の意識はすでに、ブルーノ料理店に飛んでいた。乗船病を治す食材を探すため、あの店のレシピを見たとき、まず目についたのはザワークラウトだった。ザワークラウトを見つけられたのは、それが頻回にレシピに出て来ていたからだ。

 ならば今回も。


 ルスランはレシピノートをパラパラめくって、一番多く使われている食材を探す。見つけたのは。


 カラス豆。


 他人が見れば、雑草を活かした節約料理に見えるかもしれない。が、ルスランにはカラス豆で思い当たることがあった。


(ゾルゲル伯爵の屋敷……)


 ということはゾルゲル伯爵が、占い師サルヴィエと関係しているということだろうか。

 でも、どうしてゾルゲル伯爵が大学で占いなどしていたのか。伯爵と占い師をつなぐ理由が分からない。

 ルスランは再びレシピノートに目をおとした。


(乗船病と関係している食材を探したとき)


 食材はザワークラウトだけでなく、もう一つあった。

 なら今回もまだこのレシピの中に、秘密が隠されているのかもしれない。

 カラス豆がザワークラウトと対応していたとなると、もう一つの隠された食材は、オレンジと対応しているはず。


 ルスランはレシピの中で、特定期間のみ集中して出てくる食材を探した。

 結果。


 ――燕麦オートミール


「燕麦って、まさか……ドミトル教授? とゾルゲル伯爵はどう関係してくるんだ」


 想定外のことに、ルスランは思わず声がもれていた。

 その声を、隣にいたペトラは聞き逃さなかった。眉を寄せルスランを見上げる。


「ドミトル教授とゾルゲル伯爵は、同一人物ですよ」

「は? 同一?」

「ええ、彼は一度、ゾルゲル家からドミトル家に養子に出されているのですが、後継ぎの弟君が亡くなったあと、伯爵家に戻られたのです。しかし大学では、養子の頃のままの名で通されていて」


 ルスランは、いつかの教授の言葉を思い出す。


『僕はあの家の養子で、でも今は商会とは疎遠だ』


 あれは養子に出た教授が、ゾルゲル伯爵家に連れ戻されたことを意味していたのだ。


「しかし、まさか貴族の長男が養子に出されていたなんて……」

「ドクターは異国にいらしたからご存じないかもしれませんが、一時はかなり話題になったんですよ。彼はその話を持ち出すと憤慨されるので、今では口に出す人はいませんが」


 ルスランにとては俄かに信じられないことだったが、何にせよドミトル教授はゾルゲル伯爵であり、しかも占い師サルヴィエと関係している、もしくはサルヴィエそのものだった。


 ルスランは考えを巡らせながら、ふと視線に気づく。目を上げると、ノアとペトラが説明を求める目でルスランを見つめていた。


 三人は、互いに自分たちの知っている情報を交換し共有した。

 全ての情報が揃ったところで、ペトラが顎に手を当て言う。


「ココ・クルタリカは、ゾルゲル伯爵のところへ向かったのかもしれませんね。大学を辞めたということは、おそらく一人で乗り込む気なのでしょう」


 しかし、これにノアが首を振る。


「それは違うと思う。ココは港町行きの汽車に乗るって言ってた。切符見たから確かだよ」

「なら怖くなって逃げ出したのかしら。最後に会ったとき、彼女とても思いつめた顔をしていたから」

「とにかく本人に聞いてみましょう。ここで話していても答えは出ない」


 ルスランの言葉を聞いて、ペトラは懐からさっと汽車の時刻表を取り出した。


「朝ここを出てたのなら、十一時発が一番早い、港町方面行きの汽車ですね。馬車ならまだ追いつけるわ」


 ペトラが急き立てるようにルスランに言った直後、


「ちょっと待ってくれ」


 ノアが口を開いた。


「待ってくれよ二人とも。何でココが、直接言うんじゃなくて、このレシピを残したのか考えてくれ。自分はもうこれ以上関わりたくないってことなんじゃないのか? あいつには帰る家がある。心配してる家族が待ってるんだ。だから帰らせてやろうよ」


 ノアは、泣きそうな表情になっていた。友人として、ココのことを想っているのだろう。


(確かに)


 彼の言うことはもっともだ。相手は伯爵だったのだ。下手に関われば危険だということは、彼女も重々分かっているだろう。弟妹を巻き込むまいと、姿を消したのかもしれない。

 ならノアの言うとおり、このまま帰らせてやったほうがいいのかもしれない。


 ルスランが黙り込んでいると、ノアは言いづらそうに口を開いた。


「あとこれは、黙っていようか迷ったんだけど……」

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