第52話 物語にそいたくないなぁ

 授業が終わり一息。教師の伯爵夫人が教室から立ち去ると、教室は再び騒がしくなる。

 勉強の相談をする者、談笑を楽しむ者。勉強の拘束から解き放たれ気が緩んでいるのが空気が緩んでいくのを肌で感じる。


「オリクト様、今日は私用がありますのでお先に失礼します」


「あら珍しいわね」


「急な用事でして。ああ、弟はいますのでご安心ください。では失礼いたします」


 そそくさと立ち去るフリーシア。珍しい事もあるものだと思いながらも、オリクトの思考は別の所にあった。

 今日の昼に出会ったトライセラとパラントだ。彼女ら新しいピースの登場から状況がどんどん見えてくる。


 最初はドルドンが主人公かと思った。不遇な扱いをされる民族、妹、そんな主人公らしい環境だが懸念点が一つ。彼の周辺だ。専属従者のオルカに父であるマクロ伯爵。彼らの声に聞き覚えがなかった。

 竜の花嫁……なんてものに選ばれた自分がモブなんてありえない。ならば自分が主人公か? いや、同じようにマムートやフリーシア達が引っ掛かる。それに家庭環境やドルドンから婚約破棄を訴えられていない点も不自然だ。

 竜の花嫁なんてものは、ボロ雑巾のようになった主人公ヒロインにハイスペイケメンが一目惚れするための設定。オリクトの状況は主人公に相応しくない。

 だが敵となると一変する。優しい家族、周囲から蔑まれる婚約者。本来のオリクトはわがままで怠惰な人間だったのかもしれない。それなら姉の結婚披露宴でオリクトに近づきはしないだろうし、学園もサボって接点は無い。そんな本来のオリクトにフリーシア達も見限り関わらない。こう考えれば彼女達の声も説明がつく。

 しかしそれだと特大の問題が残ってしまう。ドルドンの事だ。


(これ…………ドルドンって恋愛噛ませ犬よねぇ)


 そう、カルノタスが中心であるのはドロマエオにトライセラと周囲だけでなく、スペックから見ても確実だろう。彼がヒーロー役ならドルドンはどうだろうか。きっと主人公に惚れるがカルノタスに負ける噛ませ犬だ。

 優しい、けど地位も権力も微妙。前世で読んだ漫画では確実に噛ませ犬になるステータスだ。はっきり言おう胸糞悪い。


(これが物語として見るなら許せるけど、私にとっては現実リアルよ。彼氏を盗られて噛ませ犬として捨てられるなんて、絶対に嫌!)


 苛立ちが脳の温度を上げていく。恐らくドルドンだけでなくドロマエオも同じような立ち位置だろう。今この学園にいないのなら、学園の外か編入生として現れるであろう主人公。彼女にドルドンが奪われるのだけは絶対に阻止しなければならない。正に悪夢だ。


「オリクト様」


 顔を上げれば当の本人、ドルドンの柔和な笑みが視界を埋める。

 この笑みを誰にも渡したくない。そんな独占欲が心臓の奥から沸いてくる。これは我が儘なのか。それとも女として当然の事なのか。いや、両方だ。

 彼の事は信頼している。出会ってから六年、積み重ねてきた想いもある。政略的な意味もお互い理解し納得している。普通なら簡単には崩れない関係だが、その常識は覆されるかもしれない。

 それ程主人公は厄介……いや、非常識なのだ。ここが物語の世界であるならば普通はまかり通らない。もしかしたら彼が盗られるかもしれない。そう思うと気が気ではなかった。


「ねえドルドン。貴方は眼の前にとても魅力的な娘が現れたらどうする? この世で一番の絶世の美人とか……」


 不安げなオリクトと違いドルドンはきょとんとしている。何を言ってるんだとツッコミを入れたがっているようにも見える。


「その……もう既にいるのですが」


「え?」


「オリクト様が、私にとって絶世の美人です」


 こちらの顔が真っ赤になるような事を、さも当然のように言った。顔色一つ変えず、いつもの優しい微笑みのままだ。

 嬉しさと恥ずかしさが同時になだれ込んでくる。こっちが沸騰しそうだ。


「あの、ドルドン? 私よりもって事なんだけど……」


「オリー」


 そっと耳元に顔を近づける。


「そんな事はあり得ないよ。僕にとって一番素敵なレディは君しかいない」


 声が耳を撫でる。鼓膜を愛撫する。校内では殆ど表に出さないドルドンの素顔があった。

 オリクトの不安を払拭するようにドルドンは微笑む。


「本当?」


「僕が浮気をするとでも? あり得ないよ」


 明るく笑う姿に胸が締め付けられる。彼を信じたい、離れたくない。


「万が一君を裏切るような事があれば、ノルマンに僕を切るように伝えよう。ね?」


「……もう」


 少し考えればわかる事だ。前世の知識では【婚約破棄する側の方が地位が高い】のが殆ど。自分達は真逆だ。仮にドルドンが他の娘に熱を上げ浮気でもすれば、マグネシアが丸々潰されるだろう。なんせこっちは王女なのだ。こちらが優位で下手な事はできない。

 だがそうして気持ちを抑え傍にいられてもお互いが傷つくだけ。それなら主人公なんて探さない方が良いかもしれない。


(けど……カルノタスあの男を諦めさせるにはこれが一番。そうね、私が繋ぎ止めなきゃいけないんだ)


 負けてなるものか。皇太子はくれてやる。だがドルドンはダメだ。噛ませ犬なんかにさせてたまるか。


「そうね。ドルドンは私の虜だもの。絶対に逃さないんだから」


「逃げないよ」


 優しい声だ。この声に胸が震える。深呼吸しドルドンの金色の瞳を見つめた。

 こうなったらとことん主人公を利用してやる。悪役令嬢ムーブだってやってる。こちらの人生を守るためなら全力で戦おう。


「フフフ。少しすっきりしたなぁ。カルノタスアレはもう寮に帰ったみたいだし、今日は静かにすごしましょう」


「うん。そういえばフリーシア様は? ノルマン聞いてない?」


 ドルドンの背後からニュっとノルマンが顔を出す。一体どこに隠れていたのかと驚きそうになった。


「あー。なんか人に会うとか言っていましたね」


「人? 私は何も聞いていないんだけど」


 フリーシアからは用事があるとだけだ。彼女が勝手に動くのは珍しい。

 疑問に首を傾げる二人と違い、ノルマンは少しだけヘラヘラとしていた。


「ほら、ランチの時に会った……そう、トライセラ嬢に会いに行くとか言ってましたね」


「トライ……セラ? まさか!」


 嫌な予感が背筋を走る。オリクトは鞄を手に勢いよく立ち上がった。

 彼女の焦燥にドルドン達も息を飲むのだった。

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