第37話:ニンニクマシマシ(略)
Reader-カズト
気がつけば、昼下がりの教室に居た。
夕暮れを告げる町内放送が鳴り響き、寝過ごしてしまったことを朧げながら認識する。ブラザーの裾についているボタンが嫌がらせをするように顔を引っ掻き、ポジションを変えるごとにチラチラと見える教室。
ふと、俺が通っている学校はこんな光景だったかと疑問に思ってからは早かった。
顔を起こすと、夜を透かしたような美しい紫色の瞳と目が合い、驚いた拍子に椅子ごと背後に倒れてしまう……
「おっと」
ふわり……と甘く心地よい香りに包まれたかと思うと、密着した状態で俺を抱き止めてくれる彼女。押し付けられた柔らかさにドギマギしつつも、ありがとうと語りかける。
「どういたしまして。また会ったねニュービー」
「しばらく会えないという話じゃなかったのか?」
「そのつもりだったんだけど……少しきな臭くなってきてね。それに満更でもないでしょ? 会えて嬉しいって正直に言ってごらん?」
シルクのような髪を揺らすたび漂う、シャンプーの匂い。セーラー服に身を包み、後ろで手を結ぶ彼女は、少し動いただけでも一つの映像として完成するほどの存在感を醸し出していた。
「また会えて嬉しいよ」
一瞬ほうけたような表情を浮かべた後、ニンマリと笑みを浮かべる彼女。
「ねぇ、
軽くリップ音を鳴らしながら俺に尋ねる。短い時間ながらも、彼女のことを少し理解した俺は、からかっているのだと気がつく。
「今のところは無いな」
「ふぅん? ならいいか、行こう」
肯定する間も無く、意識が捻られたかと思うと……小汚い店内だと思われる場所にいた。
内装からこれまた古い中華屋だとわかるが、蔓延する濃い刺激臭に顔をしかめる。
「………」
人がいる……?
「すみません」
「………」
「あの!」
「…………」
どうやら、話しかけても無駄なようだ。
「何にする?」
「……………同じやつで」
いつのまにか、皮が禿げかかった円形の椅子に身を置いたアスナが俺に尋ねる。先ほどと変わらず制服姿のままだ。
「そう? じゃあ……にんにくマシマシ野菜マシマシもやしマシマシアブラカラメバリカタ麺多めで!」
「うん、なんて?」
思わず尋ねてしまうほどスラスラと、えげつない言葉が聞こえた気がする。さらに驚くべきは、言い終わると同時に、カウンターの上に山のような量の生野菜が乗ったどんぶりが姿を現したことだろう。
この量の野菜は上流階級の人でも血涙を流すほど高価に違いない、昔はこれが安価で食べれたと言うので驚きだ。
「いただきます」
食事の邪魔にならないようにと、後頭部の高い位置で一つ結びにしたポニーテール。店内の熱気に当てられて、じんわりと汗ばんだ艶やかでしみ一つないうなじを横目で眺める。
「食べないと伸びちゃうよ?」
コテン、と小首を傾げる彼女にせっつかれ、少しつまんだ半透明な野菜を口に含む。青臭い風味と苦々しい液体に思わず吐き出してしまいそうになる。
「あぁ〜生のもやし不味いよな、わかるわかる。そのうちシナってくるから麺から食べな」
ならばと埋もれた黄色の物体をなんとか掘り出し、軽く冷ましたのち口に入れる。
まず驚くべきは濃厚な味わいだろう。塩味と旨味の暴力といえる存在感に圧倒されながらも、にんにくと呼ばれる野菜ペーストが染み込んだ刺激的で中毒性のあるスープに一発でハマった。
無心で麺をすする……難しいな。箸は俺たちの時間にも存在したが、麺料理はまず無かった気がする。
「これもアスナの記憶なのか?」
「多分ね」
「多分……?」
「俺は人間の時の記憶を、もう朧げでしか思い出すことができない。当時はまだ記憶転送システムがボロだったからね」
返答を待つ。こう言う時のアスナは、何か尋ねてもはぐらかされるだけだ。
———ずる、ずるる、じゅる、ずずず。
中太のちぢれ麺にスープがよく絡む。押し返してくるほどの弾力が、満腹中枢をさらに刺激してくる。
———チリンチリーン
「こんにちは〜!」
「いらっしゃい! 最近来なくなってきたから心配してたよ」
「ラーメンの口じゃ無かったからな。今日は友達も連れてきたんだ!」
声が聞こえた。彼女が来た瞬間、この世界に色が付いたような気がした。
「何にするんだい?」
「にんにくマシマシ野菜マシマシもやしマシマシアブラカラメバリカタ麺多めで!」
「……の、少なめで」
ピタッと少女の背後にくっついているもう一人の少女、その顔に既視感を覚える。
———ガタッ!
「……アスナ?」
不意に椅子から立ち上がり、信じられない物を見たと言わんばかりに目を見開いている。
「……………また会おう、ニュービー」
「待て、妹とは誰だ!? 俺に何をしてほしい!!」
体が粒子となって消えていく光景に焦りを覚え、早口で尋ねてしまう。
「A46——エシルにはもう会ったんだろう? 大丈夫、もう1人にも君は会ってる」
懐から煙草を取り出すと、俺に火をねだる——
ぼぉ……と燃え移る灯火を最後に、現実の俺は仰向けで真っ直ぐ腕を伸ばしていた。
無を掴んだその手で、虚空に向けて親指を押した。きっと彼女が受け取ってくれたことを信じて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます