第33話 確信
ーーー(裏アラン)
水面が青い光を受けて輝いている。その水面に沿って闇に浮かぶ白い柱が並び、視線をずらすと重なりが変わって見えた。
俺はその柱にもたれ、水面を脇に立っていた。足元を見ると影が水面で揺れている。
腕を組み、軽く俯いている。顔を上げると、目を思いきり吊り上げた。
「……もう、笑う気すら起きねぇな」
柱から背を離し、少し歩くと止まって口を噤む。指が小刻みに震えていた。
「……」
手がピクリと跳ねた、その瞬間ー。足を開き、柄に手をかける。目を見開き、抜刀。紫の斬撃波が波を立て水面を進んだ。
それは向かいの柱へ直撃ー。柱は大きな音を立て、割れて崩れる。ズドン、と思い音が響くと、水面が揺れた。俺はそれを見下ろしていた。
「……」
口を結ぶと、俺は水面に背を向ける。剣を鞘に収めた。視線を下げると、髪が目元を塞いだ。
「……こんなことしても、俺が表に出れるわけじゃないのか」
呟いた、その時ー。ガラガラと音がして、俺は勢いよく振り向返る。
視線の先に目を凝らすと、柱が破片を集め勝手に再生していた。
「……!」
俺は呆然とそれを眺めた。
「何でもありか……まぁ、そうか。ここはそう言う場所だよな……」
すぐに眉を寄せた、その時ー。背後から影が迫る気配を感じる。俺は視線を後ろへ動かす。
「……誰だ」
抜刀して振り向き、剣をピンと振り下ろす。見ると、地から黒い影が蠢き、それが徐々にヒトのような形を形成していく。
鋭い爪が伸びた足、金属を巻いた筋肉質な腕、上にピンと伸びた長い耳ー。犬の顔面でその瞳が開くと、赤く光る。
「お前は……!」
俺は両手で剣を構えた。
「……久しぶりだな、舞葬の死神」
立っていたのは、冥界の神だった。
「……今機嫌が悪いんだ。煽られると神だろうが斬るかもな」
「ほぅ、恩人に向かって随分じゃないか! だがわかるぞ、お前の機嫌が悪い理由」
「……」
冥界の神は腰に手を当て楽しそうに言う。俺は無言で後ずさった。
「生憎こんなところだろ? 表のお前は記憶喪失で力を失い、精神も未熟。当初の目的も知らず色恋にほだされ……」
「……!」
目を見開く。一歩踏み込んだ。カチャと音を立て、冥界の神の首に剣を突きつけた。俺は背後に回り込んでいる。
「……言葉が理解できなかったか?」
冥界の神は首だけ動かし、笑ってこちらを見た。
「流石だ、見えなかったぞ。だが……」
冥界の神は刃へ触れる。すると、刃が触れた先から粉々に砕けていく。
「っ!」
俺は咄嗟に後ろへ下がり、後方宙返りー。
「私は話をしにきたのだ」
やつは突如姿を消す。次の瞬間、俺の顔に影が覆う。目の前でやつは、腰に手を当て笑っていた。
「そう殺気立つな」
「くっ……!」
キッと見上げる。宙で身体を捻り、回し蹴り。空を切り、再び前から姿を消す。
俺は着地してすぐ、左右に視線を動かす。次の瞬間ー。背後に気配が現れ、毛が逆立つ。身を翻して下がり、腰を落として構える。正面の影と向き合った。
「……お前だって、私に聞きたいことがあるだろう?」
赤い瞳が光ると、影が徐々に色づく。俺は無言で背を伸ばした。
「……」
欠けた剣を鞘にしまうと、腕を揺らし前へ進む。足は闇を踏みつけ、止まる。俺を見下ろすやつの前に立った。
「……まずは、俺の今の状況を教えてもらおうか」
冥界の神は口を緩めた。
「ふん、いいだろう。お前の状況、つまり人格の分離とこの内面世界について」
やつの瞳の奥に、自分の姿が映っていた。
「……まずは話そうじゃないか」
「……」
俺は黙って見つめた。冥界の神と向き合う張り詰めた空気の中、視界の端で白い柱が傾むくように見えた。
ーーー(表アラン)
夜のざらっとした石床は、鈍い灯りに照らされていた。ギィと扉が開く音が鳴ると、その石床に影が落ちる。
衣類を抱え薄茶のシャツを着た俺は、浮かない顔で扉から出ていた。石床をブーツで踏み、足先を回し通路を進む。
頬に弱々しい灯りを感じた。
「あの刻印……見覚えがある気がすんだよな」
俺は口を横に結ぶ。
もう一人の俺なら知っているのか? それと……。
俺はエディスと外で話した時の言葉を思い出していた。
ーー
『もう一人のあなたとあなたは……私は似ていると思う』
ーー
俺は眉根の辺りをぐっと寄せる。
……似てるってなんだよ。
ぼんやりしながら角を曲がる。とある脇の扉の前で、歩みを止めた。
「昨夜見た記憶が、引っかかる……」
衣類を抱えながら、足先の向きを変えた。俺は扉を見つめる。
「昔の俺は、どんな奴だったんだ……?」
ーーー(裏アラン)
布からはみ出る黒い羅足と、茶のブーツが向かい合っている。
「……結果、本来の人格であるお前は深層意識に閉じ込められた。無論自由に表へは出れない」
冥界の神は指で頭を掻いている。
「……人格の分離は意図せぬ現象だったのか?」
「そうだ……。私の言う記憶喪失とは、消失ではなく深層に眠る事だ」
やつの首が横を向いたので、俺も横を向く。水面に沿って立つ柱が、こちらを見つめるように感じた。
「本来の人格も記憶として概念化し、この柱に眠るはずだった。しかし……」
やつは視線だけ横に流し、笑みを浮かべる。
「そうならなかった」
「……」
こちらを向き、目を細めた。
「つまり今のお前は……自我を失わず存在しているのだ」
「……!」
俺は片足を引いて構え、強気な表情を保つ。
「……やはりこの柱には、記憶の断片が眠っているんだな」
やつは肩を引き、腰に手を当てた。
「あぁ。表人格が記憶を取り戻すたび、十二から順に柱の光が消える」
「まるで時間の逆行だな。それで、全ての柱の光が消えると……」
俺は考え込み、伏せた瞼を持ち上げる。
「どうなる?」
冥界の神は目を見開くと、身体を反らして笑った。
「……ははは! まさか怖いのか?」
「……っ!」
やつは俺の横に回りこむ。耳元に顔が近づき、笑う瞳がチラリと見えた。
「それは自分で考えろ」
思い切り嫌悪感で顔を顰め、ばっと離れる。やつは屈んだ身体を起こした。
「……全て話す義理はないしな。聞きたいことは満足か?」
「……はぁ。なわけあるか、次はこれだ」
俺は首元の留め具を外すと、マントを横へ投げた。やつは険しい顔をする。俺は肩を突き出すと、襟をぐいと引っ張った。
「……この刻印は、単なる契約の証なのか?」
俺は横目でやつを目上げる。
「説明しろ」
襟を両手で直し正面を向く。俺は相手の反応を伺った。
「……」
大きな口は意味ありげに弧を描いた。
ーーー(表アラン)
薄暗いベッドの上で、短剣と剣が重なっている。俺は長丈から出した足を組み、武器を見下ろしていた。ふと視線を持ち上げる。
「……」
湿った衣服が向いのポールラックに干してある。再び視線を落とした、その時ー。
「……大丈夫か?」
はっきりとした声に横を向く。長シャツを着たルーカスがベッドに座って俺を見ていた。
「あぁ……」
口籠ながら目を逸らす。
「……」
少ししてため息の音と共に、ドサッと足音が鳴った。
「……!」
ばっと横を向くとルーカスが隣りまで来ていたので、俺は端に寄る。彼は片膝を立てて座り、俯いた。
「……なんかあんなら言えよ」
「……ん」
俺は唇を噛み、一点を見つめる。その時ー。キィと扉が開く音が聞こえ顔を上げる。
ブーツを履き、長シャツを着たリリアンが扉を抑えてこちらを見ていた。
「二人とも、何話してるの?」
俺とルーカスはリリアンを見上げた。彼女は扉の取手を少し引く。
「……邪魔だった?」
「いや、全然」
「あぁ」
俺たちは顔を見合わせ、再びリリアンの方を向く。彼女は微笑むと、こちらへ向かってきた。
「あ……」
俺が驚いて後退る中、リリアンはブーツを脱いでベッドへ登る。
「……私も、話聞きたい」
彼女は足を崩し、向かいに座った。
「あ、いや。俺は……!」
俺は瞬きして二人を交互に見る。ルーカスもリリアンも、真剣な眼差しで俺を見つめていた。
「……!」
顔が引き攣り、下を向く。シーツに沈んだ剣が横たわっている。俺はさらに俯くと、口を開いた。
「……変なこと、聞くけどさ。今、少し混乱してて……」
二人の視線を感じた。少しだけ口が引き攣った。
「二人から見て、俺ってどんなやつに見える……?」
「……!」
目の前のシーツを軽く握る。重なる二つの剣は、その鞘にランプの灯りを映していた。
ーーー
石造りの凸凹した天井に、ぼんやりと灯りが広がっている。
「……実は、昨日の夜記憶の断片を見てさ。眠れなくて、窓辺で弦月を見ていた時だった」
俺は片足を立て、虚空を見つめていた。リリアンとルーカスは静かに聞いている。
脳裏に、その時の記憶の断片が蘇る。夜の土埃が舞う戦場が浮かんだ。
「……記憶の中の俺は騎士で……敵を大勢斬り殺して、怯えた目で見られてた」
琥珀色の神殿の中、国王らしき人物を背負って走る場面に切り替わる。
「それで俺は、何かの使命を抱えていた。何の使命かはわからない。けど……」
俺は下を向いている。
「記憶の中の俺は別人みたいで、何ならもう一人の俺に似てる気がした」
ルーカスとリリアンが息を呑むのがわかった。
「だから、その記憶がどっちのものかわからないんだ……」
自分の肩に手を伸ばし、刻印のあたりに触れる。
「記憶が戻ったら……俺が俺じゃなくなる気がした」
「……それで、怖くなかったのか?」
ルーカスは真っ直ぐこちらを見ている。俺は横に流した視線を前へ戻す。
「……あぁ。迷うもんかと思ってたのに」
自嘲気味な笑みを浮かべた。
「……記憶を取り戻すべきか、わからなくなった」
「……」
ルーカスとリリアンは考え込むような顔をした。俺は口をつぐんでいる。その時ー。
「……なら、無理に思い出さなくていいんじゃない?」
「……!」
ぱっと顔を上げると、座り込んだリリアンが微笑んでいた。
「何でそんなに深く悩むの? ……記憶に縛られず生きたっていいのに」
「それは……」
茶色の瞳が伏せられ、横毛がするりと肩から滑った。
「よくわからないけど、何かに掻き立てられているんじゃない? だから……」
彼女は顔を上げ、切なげな視線をこちらへ向けた。
「あなた自身がどうしたいか、考えてもいいと思うよ」
「……!」
俺はゆっくり目を見開いた。
「俺自身?」
その時、後ろからぽんと肩を叩かれた。
「……少し力抜けって」
精悍な顔がこちらを向いている。
「別に、何選んでもいいんじゃねぇのか?」
「……!」
思わず口が開く。その時、エディスに話した自分の言葉を思い出した。
ーー
『……俺は俺だって、確信したいから』
ーー
一気に顔が歪み、振り切るように目を逸らす。目の前にある剣を掴んだ。ベッドから降りブーツに足を通すと、二人が慌てて声をかける。
「あ、アラン……!」
「お前、どこに!?」
扉へ駆け寄り、後ろを振り向く。
「外行ってくる! 二人は休んでて!」
「おい……」
俺は扉を開けて部屋を出る。
こちらへ手を伸ばすルーカスと、呆然と佇むリリアンの姿が目に焼き付いていた。
ーーー
扉が閉まりきるより前に、廊下を真っ直ぐ走る。突き当たりで右に曲がった。
石床を踏み鳴らし、アーチ型の通路を駆け抜け奥で曲がる。
暗い階段を足元を見ながら駆け降りる。曲がって降りると、脇から一階の灯りが差し込んでいた。段差が終わると、一気に踏み込む。
「アランさん……?」
その時、席で食事していたエディスがガタッと立ち上がる。
「ごめん!」
俺は目を逸らし、そのまま前を突っ切っる。彼女の不安げな顔が横目に見えた。
背後に視線を感じながら、俺は扉を開け外へ出る。
「……」
何となく、扉を見るエディスの顔を一瞬だけ想像した。
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