第21話 自由への苦悩

ーーー(表アラン)



 白い群れが浮かぶ空の下、薄茶に色づく路地を歩いていた。俺は青年の肩を担いで歩いている。


「あの後、司祭には説教されたがすぐに解放されたんだ……」

「そうだったのか」


 俺は眉を寄せて彼を見た。

 

「俺たちはうんざりしてんだよ、この村の伝統に……礼儀だのルールだの馬鹿らしい」


 青年は顔を顰める。吐き捨てるように言った。


「この村のルールは厳しいのか?」

「あぁ、うざってぇな。飲酒制限、徹底した上下関係、行動の制約……息が詰まりそうだ。それに」


 彼は一瞬口を噤み、渋い顔をした。


「周りからの圧力もうぜえ。少しでも外れると、あいつらゴミを見るような目で見んだよ」

「そうか」

「極め付けは週一でやる礼節の会。担当の家が近隣を招く食事会なんだが…しきたりばっててめんどくせぇだけだ。だから、俺の親も……」

「……」


 彼は険しい顔で俯いていた。岐路に差し掛かる屋根裏に、小鳥の巣が見えた。親鳥が嘴で子に餌をやっている。

 その巣の下まで来ると、青年が指差す道へ足を運ぶ。頭上で小鳥が羽ばたく音が聞こえた。


「それで、なんで君は殴られていたんだ?」

「……お前のせいだよ」


 青年が低い声で言った。


「え……」


 俺は目を大きく見開き、息を呑む。彼はじっと俺を見つめた。


「ふっ、ははは……。なんだその目、昨日と別人じゃねぇか」

「いや、俺は……!」


 言いかけて顔が歪み、目を逸らした。ふと、青年の怯えた顔がぼんやりと目に浮かんだ。


「なんてな。お前のせいって言っても、もういいんだ。むしろ」


 彼は苦しげに口の端を上げた。


「……少し目が覚めたよ。俺はあの時怖くなったんだ。村の伝統に歯向かい続けて、その先に俺が欲しかった自由はあるのかなって」


 風が吹くと路地が影に覆われていく。


「それで君は、もしかしてグループを抜けようと……」

「あぁ。結果、裏切り者扱いされこのザマだ。今更社会に溶け込もうなんて思えねぇし、かと言ってあいつらの中にももう戻れねぇ」


 彼は俯き歯を噛み締める。


「なら、どうするつもりなんだ…?」

「知るかよっ!!」


 悲痛な声が耳を刺す。思わず足を止め、目を見開いて彼を見た。


「……そんなの、俺が知りてぇよ」


 日の光が路地に差し込む。彼は空を仰ぎ、顔を歪ませた。


「なぁ、教えてくれ……。これからどうやって生きたら、いいんだろうな…」


 次第に彼は嗚咽し始めた。彼の震える背をさする。暫くして落ち着くと、彼は一歩を踏み出す。俺は彼の肩を担ぎ直し、共に歩き出した。



ーーー



「ここだよ」


 青年の声に顔を上げる。そこは日当たりが良い路地だった。短い階段の先に花輪が飾られたドアがある。

 その階段を一段ずつ登り、扉を強くノックした。暫く互いに沈黙する。


「……そういえば、君の家って誰かいる?」

「姉貴が……」


 すると、ドタドタと地響きにも似た低音が聞こえ始める。


「な、なんだ!?」


 開いた口が塞がらない。彼は眉を顰め下を向いたそして豪快な衝撃音と共に、勢いよく扉が開く。


「ケルヴィン、やっと戻ってきたのか!!」


 前髪を後ろに流し、黄色の髪留めをつけた黒髪の女性だった。眉間に縦皺を作り、鋭く青年を睨みつけている。


「……」


 彼はバツが悪そうにしていた。


「いっつもふらふらと! この馬鹿たれが!!」

「うっ……!」


 彼女は、青年の襟を掴み顔を引き寄せる。


「ちょっ、待ってください! 彼、怪我人なんですよっ!」


 俺は慌てて、手を引き離そうとした。


「どうせ碌なことしてないからだろ……って、あんたは?」


 彼女はきょとんとして俺を見つめた。



ーーー



 階段下の石壁にもたれて空を見上げていた。視線を下げると、見える影は濃くて短い。

 

「……」


 その時、木が軋む音が響く。ドアの方を見ると、お姉さんは切なそうに微笑んでいた。


「ここまで弟を運んでくれて、ありがとう」

「お役に立てたなら良かった。彼は……?」


 彼女は腰に片手を当てた。


「回復魔法で大きな怪我は治した。今は寝てるよ」

「そっか……安心しました」


 軽く笑みを作った。


 お姉さんが回復魔法を使える人で、良かったな……。


 彼女はゆっくりと階段を下る。


「せっかくだ、近くまで送るよ。行く先は?」

「そう、ですね……」


 その時、正午を告げる鐘の音が空を突き抜けるように響いた。俺は苦笑いを浮かべる。


「仲間と待ち合わせしてるから、ここから広場までの道が知りたいです」

「わかった」


 そういうと、俺を見ながら脇を通り過ぎる。


「じゃあ、ついてきな」


 こちらを振り向き、彼女は目を細めて笑った。



ーーー


 

 石畳を踏む軽やかな音が鳴っていた。


「両親はこの村に移り住み私達を産んだんだが…昔村から出て行ったんだ。最後まで伝統に馴染めなかったよ」


 彼女の後髪が風に揺れている。


「近所付き合いも悪くてね…次第におかしくなっていったんだ。子供にきつく当たるようになって」


 手を後ろで組むのが見えた。


「最後には幼い私たちを残して行った」

「……」


 俺は眉を寄せ、自分の影を見ながら歩いていた。


「ケルヴィンはそれから変わったよ。今じゃ変な奴とつるんで、さっぱり家に帰ってこない。だからさ……」


 彼女は足を止め、こちらを見た。俺は隣まで歩く。


「あんたには感謝してる。あの子を家に連れて来てくれたんだから」


 困ったような優しい笑みだった。再び歩き出すと、俺は服の裾をぎゅっと掴んだ。


「だけど……彼は迷ってたんですよ。これからどうしようって」


 彼女は一瞬目を丸くした。


「ふふっ。そんなの悩ませておけばいい。散々馬鹿やったみたいだし」

「えっ……」

「だって簡単に答えが出るほど人生甘くないからさ」

「あ、あぁ……」


 彼女の強気な笑みを、呆然として見つめた。


 ……なんか、すごい人だな。


 俺たちは路地の角を曲がる。家々が並ぶ、少し広い通りだった。彼女は俺の肩を叩き、前を指差す。


「この通りを真っ直ぐ行けば、広場が見えてくる。後は大丈夫だね?」

「はい! ありがとうございました」


 俺は歩き出す。


「あっ、そうだ! あの子からあんたに!」


 少し振り向いた。


「家までありがとう、だってさ!」

「……はい!」


 目頭が熱くなる感じがした。俺は前へ駆け出す。


 よかった。少しだけ、救われたような……。


 歯噛みし、顔を伏せた。


 ケルヴィン、君は1人じゃなかったんだな。

 

 前髪が揺れて目にかかる。俺は石畳の通りを真っ直ぐに走り抜けた。



ーーー(お姉さん)



 少年の背中が遠くなっていく。私は彼を見つめ、両手を腰に当てていた。


「さて、戻るか」


 踵を返し、歩き出す。風が後ろ髪を撫でた。


 これからどうする、ね……。先のことはわからないけど、それでも私達は生きていく。


 小鳥が数匹目の前を横切るのを見て、目を細める。


 まぁ……。


 口の端をわずかに上げた。


 起きたらまずは説教だな。


 私は首を鳴らすと、ぐんと背伸びする。太陽が雲を避けるように輝き、狭い路地を明るく照らし出していた。


 


ーーー(表アラン)



 俺は駆け足を緩め、見晴らしがいい通りを歩き出した。教会の尖った屋根が遠くに見えている。


 ……広場までもう少しか。


 見ながら、眉を寄せた。


 あの青年も、お姉さんも……前へ進もうとしてるんだよな。


 風が吹き髪を横に流す。手のひらを見ると、顔を引き締める。


 俺も少しずつ、前へ進まなきゃ。


 指をたたんで拳を作り、目を瞑る。


「……」


 瞼をそっと開け、風を感じながら前を向く。するとー。 


「!」


 道の脇で、青い首輪の白猫が背を向けて休んでいる。尻尾を左右に振っていた。


「あっ……」


 目を丸くし、口元を抑えた。周囲を見渡すと、俺は肩のマントを外した。マントを広げながら足音を殺し、ジリジリと猫の背後へ近づいていく。


「ウニャア!」


 近くまで来ると、猫が前へ逃げようとした。俺はマントを上から被せ、包みながら抱き上げる。猫はマントにスッポリ包まれ顔だけ出ている。


「やったぁ! やっと捕まえた……!」


 自然と笑みが溢れる。


「シャアァァ」


 猫が牙を向け、はっとして苦笑した。


「そうか、嫌だよな。ごめん」

 

 しっかりと抱きながら、歩き出す。並ぶ家々は不揃いな高さと造りが温かみを生んでいた。


 結局随分あっさりだったな。最初はあんなに苦労したのに……。


 俺は少し口を尖らせた。


 でも、捕まえられてよかった。これで依頼達成だな。


 ふと、視線を下げた。猫はつぶらな瞳でこちらを見つめ、首を傾げている。


「……」


 眉を下げて微笑んだ。


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