第18話 自分とは
ーー(???)
高低差のある柱が幾重も並び、隙間から冷たい空気が吹き肌を刺す。柱は文字や絵が彫られ、月光に晒された。俺は陛下を背負い、その柱の隙間を小走りで進む。
「アラン、前線はどうだった…戦況は?」
「…我が戦力3千強に対し、敵軍の戦力は4万を下りません。南の市門は突破され、現在市街戦に持ち込んでいます」
「そうか…」
「ですが、まだ負けていません。現在各地から援軍を集めています。それに、この作戦が上手くいけば勝機は十分にあるかと。」
「…そうだな」
思い悩むように陛下は言った。俺もふと考え込む。
…ただ、依然として状況は厳しい。戦力差に加え、敵の大将は脅威だからな。
俺は頭の中でやつを想像する。
やつはエルディオンの帝王。神の化身と崇められ、人智を超える力を持つ。名は、ゼオリス•アストラリエ……。
走りながら、俺は顔を顰めた。
ーー
そこは石床に無造作に岩や石が積まれ、月光が白銀の模様を描いていた。俺は岩にもたれ掛かり、俯いて息を切らしている。
「済まないな、アラン…。大丈夫か」
国王が心配そうに、俺の顔を覗き込む。
「えぇ、問題ありません」
額から汗が滲んだ。俺は天を仰ぎ、呼吸を整える。
「…ところで隊長。お言葉ですが、本当にこの作戦はうまく行くのでしょうか」
眉尻を下げ、不安そうに尋ねるカミラと目が合う。息を整えつつ、再び空を見つめる。
「うまく行くかどうかじゃない。成功させるしかないんだ。じゃなきゃ…この国は終わる」
「……」
岩から背を離した。カミラと向き合う。彼女の無造作な黒髪が風に揺れた。
「市街戦を制すれば、敵の大将は姿を現す。やつを止め、指揮を崩すしか我が国の勝利はない」
「…そうですね。ゼオリスには不死の力があると言いますし…封じるしかないですよね」
「初めは信じられなかったがな」
隣国の使者が宮廷に訪れた時のことを幾度か思い出した。彼らは皆口を揃えてこう言っていた。ゼオリスは戦場でどんな深傷を負っても再生する、不死の怪物だと。
…ただの噂だと思っていたが、戦場から生還した戦士の目撃情報もあるという。信じざるを得まい。
俺は拳を強く握りしめた。
「さて…そろそろ行こう。行くのは知っての通り、最深部の儀式の間だ」
俺は、すぐ横に立つ建物の入り口を見た。太く大きな柱が等間隔に配列し、屋根を支えている。
…儀式の間、そこでやつを封印する。だがこの封印は、ルシアも……。
俺は目を伏せ歯を噛み締める。そのまま足先を入り口へ向け、一歩踏み出した。
「あぁ、それと…」
俺は振り返った。
「次はオルザ、お前が陛下を背負うんだ。ぐずぐずするな、いくぞ」
「えっ…俺ですか? てっきり、隊長がまた…」
「オルザ、早く行くよ」
「カミラ…」
「ではオルザ、頼んだぞ…」
「へ、陛下…! わ、わかりましたっ!」
後ろからみんながついてくる足音が響く。俺はチラッと後方を一瞥すると、走り出す。
…正直、やつの力は未知数だ。唯一の希望は、皮肉にもこの俺の呪われた力。だけど…。
浅い息を殺し、前を睨みつける。
勝つしかない…勝つことをだけを考えろ。そうすれば、ルシアも…。
月明かりと柱の影が代わり代わりに俺を染める。石床を踏む冷たい響きが耳にいつまでも残った。
ーーー(表アラン)
胸を強く抑え、窓に身を乗り出す。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…!」
大きく口を開き、冷たい外気を精一杯吸い込む。喉の奥がカラカラと渇き、心臓がうるさく高鳴っている。
「はぁ、はぁっ…。」
胸を押さえつけながら顔を歪ませる。窓台に寄りかかりながら、壁に背を預ける。崩れ落ちるように床に座り込んだ。
…今の映像は…間違いなく俺の記憶だ…。
「なんとなく、そんな気がする……」
そのまま膝を抱えた。
「でも、おかしいな…。あれが過去の俺だとしたら、まるで別人だ。俺はそんなに強くない…」
俯いた顔を少し持ち上げた。床の一点を見つめる。
…やっぱり過去の俺って…もう1人の俺なのかな。だとしたら…。
「……」
顔を顰める。
「…今ここにいる俺って、一体何なんだろう…」
俺は身を縮め膝を引き寄せた。
ーーー(裏アラン)
表人格と共有する視界を意識的に閉ざしていく。視界は徐々に暗くなり、瞼の裏側しか見えなくなった。
「…ふふっ…はははは!」
肩を振るわせ、目を閉じたまま笑った。
「お前もそう思うのか...」
笑いながら呟き、瞼を開く。俺は段差の上に脚を開いて座っていた。
前を見ると、円状に並ぶ柱が青白く輝き水面に影を落としている。
「……」
とある日に抱いた疑問が脳裏によぎる。
ーー
『記憶のない俺が現実だというのなら…今、ここにいる俺は誰なんだ……!』
ーー
柱と柱の間を見つめ、目を細めた。
……俺たちって……一体何なんだろうな。
ふと足元を見る。段差に座る俺の赤い瞳が水面に揺れている。
「俺はそんなに強くない、か……当然だ」
水面を見ながら眉を顰めた。
生きた歳月の過去を背負う俺と、何も持たないお前……同じだと思うなよ。
ふと、屈んで水を手で掬う。指の隙間から水がこぼれ落ちる様子を眺めた。
「だけど、どうしてかな……。冥界の神がいう記憶喪失が、まさかこんな形で現れるとは。焦ったいたらありゃしない」
冷笑し苛立ちを込めて言った。
その時ー。鐘の音に似た鈍い音が響き、背後が暗くなる。
「……っ!」
瞬時に立ち上がり、後ろを振り向いた。
「なんだっ……?!」
見ると、今まで青白く光っていた柱の輝きが消えていた。俺は咄嗟に周囲を見渡す。
……他の柱は光が消えていないようだ。これは何を意味する……?
顎に指を添え、考え込む。
……この12本の柱は、以前俺は過去に関するものだと推察していた。その柱の光が消失……そして直前に起こった出来事……そうか!
指を離し、柱を見上げた。
「表の人格が記憶の断片を手に入れたことが関わっていそうだ。多分記憶を取り戻すごとに、この柱の光は消えていく」
段差を登り、水面から足を出す。柱の側まで歩いた。静かに触れると、柱の根本を覗き込む。
「光が消えた柱の数字は、12か。数字の規則性はまだわからない……」
柱に背を預けた。腕を組んで俯く。
……表の俺は、いつか全ての記憶を取り戻す時が来るのだろうか……。
ぼんやりと、表人格の行動を思い出していた。
もし……あいつが全ての記憶を取り戻し、この柱の光が全て消えた時……。
首を横に向け、柱が囲む水面の空間を見つめた。
何が起きるのだろう……。その時、あいつと俺に違いなんてないのかもしれない。いや、まてよ。
目を見開いた。口元に手を当てる。
「……その時俺は……存在していられるのだろうか」
この時俺の瞳には、まるで柱がぐるぐると動きだすかのように見えていた。柱の輪郭が徐々にぼんやりとしていく……。
ーーー(エディス)
両手を上に伸ばす。片手を口に当て、ぐんと体を逸らした。
「ふぁ〜……」
目が潤み、力を抜きだらんと腕を垂らす。
「今何時だろ……」
私は重い瞼を擦ると、眠い目で薄暗い部屋を見渡した。
右側の窓辺から月光が差し込む。正面は古びた棚があり、上に小さな卓上鏡とランプが置かれる。左側はガラ空きの靴箱に扉だ。
「……トイレ」
膝を立てると、毛布から出た素足が月光を浴びた。脚をベッドの脇へ滑らせ、ネグリジェの裾を整える。靴を履きベッドを離れた。
瞬きしながら靴箱上のランプを取る。扉を押して部屋を出ると廊下は真っ暗だった。
すぐにランプを灯すと、手元から灯りがじんわり広がった。
ーーー
俯きながら廊下を歩く。徐々に外の光を感じ、顔を上げた。一度立ち止まり、その場に固まる。
「……」
暫くして半目が一気に見開かれた。
あ、アランさん……っ!?なんで……?
思わず口元を抑えた。慌ててランプを消すと、物陰に身を隠す。
彼は顔を伏せ、窓辺の床に膝を抱えて座っていた。
「……考えてもわかんないな」
そう言うと、彼は手をついて立ち上がる。窓台に肘を乗せ、背を向けて寄りかかった。横向きで上を向く姿を月光が照らす。
「……」
引き締まった肩は露出し、褐色肌が晒されている。小ぶりの口は固く結ばれ、朱色の瞳は闇に馴染み憂を帯びていた。
「あ……」
少し声が漏れた。気づくと彼の横顔に見惚れていた。私は物陰で目を縮め、息を呑む。
「……そろそろ行くか」
ふと夜風が吹き、彼の前髪を揺らした。彼は壁から背を離すと、窓を閉め始めた。
……あっ、そっか。部屋に戻るのか……って!
私は思い切り顔を歪ませた。
あっあっ、部屋に戻るってことはここ通るじゃない……今更トイレに行こうと思って起きたんですよね、なんて言って出ていくのもおかしいし勇気ないし……でも隠れてるのもなんか変だよね、変な人だよね……あ〜〜どうしよう…!
彼は窓台に置いたランプを手に取る。こちらへ向かって歩き出した。
まずい、来る、来てる……うわあああああ!
私は一気に青ざめた。カツンと足音が近づき、身を丸めてうずくまった。
お願い、早く通り過ぎて〜……!
心臓がうるさく高鳴る。冷たい響きがそこまで来ていた。私は目を瞑り息を殺す。
「そうだ……トイレに行ってから戻ろう。確か、この辺だったよな……」
ピタッと足音が止まる。すぐ横で呟く声が聞こえた。
なんで……そこで止まるの……そしてトイレに行きたいのはこの私!
「見えにくいな……どこだっけ……」
声と共に、足音が遠のく。私は足元をモジモジさせた。顔が次第に引き攣っていく。
「……この辺かな」
足音が途切れ途切れに近づいた。
早くして……!ねぇわざとなの、私を弄んでるの……?!
涙まで滲んできた。彼の足音はリズムも強弱も全てが自由だ。
「あっ……!」
その時、遠くで明るい声が聞こえた。
はぁ、やっと見つけ……。
安堵の息をつきかけた時。
「この石壁、よく見ると落書きが掘ってある。お客がつけたのかな」
思わず崩れ落ちそうになった。なんとかその場に踏みとどまる。
くっ、この男……許せない……!
泣くのを堪え歯を噛み締めた。振り返ると、彼はこちらに背を向け突き当たりを彷徨いている。
……もう、トイレ通り過ぎてるじゃない……!こうなったら、私が……!
拳を握ると、ゆっくりと立ち上がる。
先にトイレに行くのは、私なんだから……!
決意を胸に、顔を引き締めた。私は足音を殺し、壁際を素早く伝っていった。
ーーー(表アラン)
俺はランプを手に持ち、壁際で立ち止まって考え込んでいた。
このままだと部屋に戻るな……。
眉を寄せ、髪をかきあげる。
……一旦引き返すか。
そのまま後ろを振り向いた、その時ー。
「……?」
擦れるような物音と共に、何かが動いた気配がした。俺は何度か瞬きし、廊下をじっと見つめる。
……気のせい、だよな……。
真顔のまま、ゴクリと唾を飲んだ。頭から手を離し、暫く固まる。
……なんか、こわ……もう、トイレいいや……。
俺は視線を逸らさずに、ジリジリと後退していく。角を曲がり切ると、踵を返して小走りでその場を離れた。
ーーー(エディス)
私はトイレの出入り口で壁際に立ち、彼が立ち去る様子を眺めていた。
……よかった、行ってくれた……。
顔を緩ませ、安堵の息を吐く。トイレの個室へと足を進めた。
……にしても、彼はあそこで何をしていたんだろう……。
扉の取手を掴み、一瞬眉を寄せる。
「……」
扉を開け個室の中へと入った。
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