第29話 死神(前編)
二月なかばのある深夜、涼音は自分の部屋で、幽霊の季里と話していた。
「それで季里さんは、どうやってその『客』を撃退したんですか」
「そのことなんだけれど……あっ、ちょっと待って」
ふいに、季里の姿がかき消すように消えた。
季里が幽霊となって現われるようになってから、もう数ヶ月が過ぎたが、こんなことは初めてだ。ちょっと不安になった。
やがて現われた季里は、硬い表情をしていた。
「涼音ちゃん」
「どうかしたんですか?」
「私、一週間ぐらい留守にするから」
「留守って……そもそも季里さんって、いま、どこにいるんですか」
「そうね。神様の世界と、人間の世界の合間、みたいな所。黄昏みたいなものね」
「それが留守にする、というのは、神様の世界にでも行くんですか」
「ごめんね。詳しいことは、私にも言えないの。言ったら……消される」
うつむいた季里の顔色は、幽霊にしても青白すぎた。
「季里さんが、消される?」
「これ以上のことは、言えない。ただ、城隍神としての涼音ちゃんには、試練が待ってる。それを乗り越えたら、あなたはそう……レベルが上がるでしょうね。土地神として。あなたが負けたら、……あっ」、
一瞬の声を上げて、
「お願い。みんなを助けて」
それだけ言うと、季里の姿はまた消えて、戻ってはこなかった。
……何だろう……。
まったくわけが分からない。それだけに、不安だった。
それに……。
「私、別に神様としてレベルが上がらなくてもいいのに……」
そのひとりごとを、涼音はその後、深く反省することになる。
翌日の、午後。
例によって、よく(?)空いた『僕の森』のカウンターに、涼音は、蓮と一緒に立っていた。
「最近、季里さんはどうです?」
小さな声で、蓮が訊いた。
「それなんだよねえ……」
涼音はため息をつく。
「なんか心配あったら聴きまっせ。王様の耳はロバの耳ですぜ旦那」
「ツッコみどころが多くて、どこから行けばいいのか、分からない……」
とりあえず、『王様の耳はロバの耳』が正反対の意味だ、ということから指摘すべきかも知れない。
首をひねっていると、蓮が大声を上げた。
「らせませー(いらっしゃいませ)」
ドアチャイムを鳴らして、男が入ってきた。
……その姿を見たとたん、涼音の背筋を、何か、冷たいものが走った。その鋭い感覚に、涼音は震えた。
男はカウンターへまっすぐ近づいてきて、円椅子に座った。
何と言ったらいいのだろう……ぺらぺらの男、とでもいうべき男かも知れない。ぺらぺらというのは、鉛筆で落書きして、切り抜いたような……ああ、それではますます分からない。
涼音が悩んでいると、
「あのー涼音さん、ちょっといいっすか」
蓮が、ブラウスの袖を引っ張った。
「あ、うん。……すみません、一分ほどお待ち下さい」
ぺこり、と頭を下げて、涼音は蓮に引きずられるように、厨房の方へ入った。
「どうしたの? 蓮ちゃん」
訊いてみると、……蓮は、いままでになかったような、深刻な表情をしていた。
「あのお客さんっすけど、気がつきました?」
「うん、何となく、変な感じだよね」
「やっぱ、気がついてなかったんすね……」
蓮は眉をひそめて、ささやいた。
「あのお客さん、影がないんすよ」
「影が……ない?」
「さっき入ってきたとき、店の床に影が映ってなかったんす」
涼音は、予感が当たったことを知った。……こんなもの、当たったってうれしくも何ともない。
「蓮ちゃん」
「はい……」
蓮まで、『何すか』ではなく、『はい』になっている。
「あのお客さんは、私が独りで接客するから。それで、もし私に何かあったら、祠【ほこら】のご神体が効くかどうか、試してみて。お願い」
「何かって……何が何なんです?」
「私もまだ、分からない。けれど、悪い予感しかしないの」
「むー」
蓮は眉をひそめていたが、
「分かったっすよ。でも、無茶しないで下さいね」
「大丈夫。私、気は長い方だから」
涼音はようやく微笑んだ。
カウンターに戻ると、男はカウンターにひじを突いていた。
「お待たせいたしました」
涼音が声をかけると、ふっ……と笑みを浮かべた。
「新水涼音さん、ですね」
「え? はい」
「あなた、人生に不満を持っていませんか」
何だ……涼音の緊張が解けた。
怪しい人だと思っていたが、宗教かスピリチュアルか、そっちの方の人なのだろう。不満がある、と言えば親しく聴いてくれて、最終的には、セミナー漬けにするとか、開運の壺とか絵とかを大金で買わせるとか……どっちにしても、歓迎はできない。
なので、にこやかに応えた。
「いいえ、いまは何の不満もありません」
すると男はため息をついた。
「それはお気の毒ですね」
え……っ?
「あの、どういう……」
「これから、あなたの人生は」
(不満を感じるようになる?)
「なくなります」
男は、憂うつそうに言った。……意味が分からない。
「あの、いったい……」
涼音は言った後で気がついて、
「あっ、ちょっとお待ち下さい」
振り向くと、ハンドミラーに男を映して見た。
(……見えない?)
鏡には何一つ、映ってはいなかった。男の姿がないのだ。こんなことは、城隍神になってからでも、一回しかなかった。
向き直って、涼音は男をじっ……と見た。上下とも黒のスーツ、と言っても喪服などではなく、たぶんオーダーメイドだろう品のいいスーツで、ダークブラウンのネクタイを締めている。顔の色は、白というより青い。まるで幽霊のようだ。頬はこけていないが、ひどくやせている。手の甲に太い血管が這っているが、それも真っ青で、青いクモの巣にからめ取られているようだ。唇も、目も青みがかっている。
……人間だろうか? こういう人がいるのだろうか。
もう少し、話を聴いてみよう。
「それで、私の人生がなくなる、というのはいったい……」
「私ね、死神なんです」
男は言って、にやり、と笑った。
「新水涼音さん、あなたの命をいただきに来ました」
「嫌です」
涼音は思わず口にしていた。
「そんな反応をしたのは、あなたが初めてですよ」
男はまた、にやりと笑って、
「何とでもおっしゃるがいい。あなたには、拒否する権利がないんです」
思わず涼音はぞっとした。
「怖いですか。手が震えていますよ」
「それは、怖いに決まってます。私だって人間ですよ」
「正確には、半分人間なんでしょう。こちらは何でも知っているんですよ」
「じゃあ、どうして私は殺されるんでしょうか」
「あなたが城隍神でもあるからですよ」
男は、ふ……と笑って、
「分かりやすく言いましょう。死神の世界にも、ノルマみたいなものがあって、魂がより上位の人間の命を取った方が、評価が高いんです。あなたはまだよく分かっていないようですが、スペックで言うと、☆五つとして……」
「星の話はけっこうです」
涼音は、手を振った。こんなときに、自分に星を付けられているのも迷惑だし、死ぬというのに、スペックなんか関係ない。どっちみち、死ぬんだから。
それに、涼音の魂が上位、というのも納得できない。自分はごく普通の……いやまあ、普通ではないところもあるが、それなりの人間だ。ひとより立派とは思えない。
「いや、重要なことなんですよ」
死神は、薄い唇でなおも笑った。
「スペックの高いあなたには、特典が付いてくるんです。……願いを三つ、考えて下さい。死ぬのと代わりに、その特典が味わえるんです。面白いでしょう」
「ぜんぜん、おもしろくありません」
涼音は怖さのあまり、キレ始めていた。
どうせ、どんな願いを言ったところで、結局は死につながるのだ。例えば、「あなたに殺されないようにして下さい」、と頼むと、確かに死神は涼音を殺さないが、突然錯乱した蓮が、包丁を持ちだして涼音を殺す、とか。だからと言って、「誰も私を殺しませんように」と願っても、向かいの私鉄電車が脱線して『僕の森』を襲い、涼音は圧殺されてしまうとか。
「二、三日、考えさせてもらう……というのは、願いに入るんですか」
訊いてみると、死神は小さく首を振った。
「それは前提条件ですから、『願い』には入りませんよ」
「では、考えさせて下さい。もうひとつ、いいですか」
「程度の問題ですが、言ってみて下さい」
「あなたがほんとうに死神で、ほんとうに人の命をあずかっている、というのを、私が分かるように、証明して下さい。ただの異常殺人者だった、とか言うのだったら、死んでも死にきれません」
「なるほど。まあ、こういうご時世ですから、どんなふらちな人間がいるかも知れませんね。いいでしょう。私についてきて下さい」
「蓮ちゃん」
のれんの向こうに、涼音は声をかけた。
おそらく、『ふたり』の会話を聴いていたのだろう。顔色の青い蓮が、ひどく痛い注射でも打たれたかのようなしかめっ面をして、カウンターへ出てきた。
「私、ちょっと出てくるから、カウンターをお願いね。何かあったら、小池さんを呼んで。……大丈夫。私、まだ二、三日は死なずに済むみたいだから」
「はい……」
それでも心配そうな蓮を置いて、涼音はカウンターから店内へ出た。
「どこか、遠くへ行くんですか」
「いえいえ、すぐそこですよ。さあ、こちらへ」
死神に連れられて、涼音は店を出た。
店を出るとすぐ、死神は祠の方へと向かった。
(えっ?)
驚きながらもついていくと、祠の裏側に、死神は回った。後に続いた涼音は、目を見張った。
祠の裏にあったのは……。
「これは、洞窟ですか?」
訊くまでもない。苔の生えた穴が祠に空いていて、真っ暗な中を自然にできたような階段が、地下へと続いているのだった。
「そうなんですよ。死の世界へと続く、洞穴【ほらあな】です」
「ご神体をどうしたんですか」
それは涼音にとって、命よりも大事なことだ。死神が、地下から洞穴を開けてしまったのだとすると、ご神体である龍のうろこは、どこへ行ったのだ?
「まあ、ご心配なく。……あなた、物理学は得意ですか?」
死神がいきなり物理学? ふだんなら笑っているところだ。
「まあ、大学で習った程度ですけれど」
「この洞穴は、多元宇宙の異なる宇宙への入り口だ、とでも思って下さい。祠と洞穴、ふたつは重なり合って、このように同じ場所に存在しているのですよ」
「そんなこと、信じられません」
もしもほんとうだとしたら、死神はよりにもよって、こんな所にどうして穴を空けたのか。そして龍神様は、なぜそれを許しているのか。
「あなたの考えていることは、分かるつもりですよ」
死神は、薄笑いを浮かべた。
「なぜ、ここに穴を空けたのか。それは、この場所が多元宇宙の接点に当たるからなんです。私が地上へ来た別の宇宙も、ちょうどここに穴があるんです。それをまあ、くっつけたとでも思って下さい」
「……すみません。ちょっとイメージできません」
涼音は物理は苦手なのだ。
「困りましたね。まあ、きょうひと晩、ゆっくり考えてみて下さい。ネットで検索でもしながらね」
どうやら死神は、涼音が眠らないことも知っているようだ。
「……あなたはもうひとつ、疑問を持っていますね。祠の主【ぬし】、龍神は、いったいどこへ行ったのか」
「何でもお見通しなんですね」
「それはまあ、私も伊達に長く、死神をやっているわけではありませんから。……龍神は、いまは祠にはいません」
「いらっしゃらない?」
「はい」
死神は大げさにうなずいた。
「青龍、朱雀、白虎、玄武の四神は、年に四回、東西南北を順々に集まり、会議を開きます。いまの当番は玄武。その住まいする所へ行っているので、いまここに龍神はいないのですよ」
涼音は唇をかんだ。こんな死神のひとりやふたり──『ひと柱』か? ──、龍神様がいればあっさり倒されるだろうに……。
「どうせですから、洞穴の中を見てみますか? この世の名残として」
涼音は一瞬ためらったが、もし死神の世界を見れば、あるいは何かの解決法が見つかるかもしれない。
「見せて下さい」
「すなおでよろしい。では、ついていらっしゃい」
死神は、先に立って歩きだした。
洞穴の中は、かすかにカビ臭いような匂いがしたが、水気がないので、あまり不潔な感じはしなかった。
……やがて、涼音の目の前に見えてきたのは……。
「ロウソク?」
「はい。そうですよ」
洞穴の中には、かなりの数──ひょっとしたら万単位? ──の、大小さまざまな、炎の点るロウソクが立てられていた。
「美しいでしょう」
死神が、ナンパでもするように、涼音の耳許でささやいた。
「このひとつひとつが、人間の命を表わしているのですよ。寿命というものは、最初から決まっているのです。細いロウソクは病気がち、短いロウソクは短命。太いロウソクは元気……というようにね」
「これは、東京の人間の寿命なんですか」
「いえ。多摩地区の、一部分です。最近は人口も多いのでね。東京なんて一千万を超えますから、ひとりの死神では管理しきれません。加えて私は下っ端【したっぱ】だ。任せてもらえるのは、ほんのわずかなロウソクですよ。と言っても、まあ十万人ぐらいは担当しているんですがね。つまらないものですよ、狭い所でのロウソクしか操れないのはね。なのでせっせと、死人をこしらえているわけです」
「……分かりました」
涼音は無表情になって、
「私のロウソクもあるんですか」
すると死神は、顔をしかめた。
「あまりお教えしたくないんですがね。あの、近くの段の上に太いロウソクがあって、ちろちろと燃えているのがあるでしょう。このままだったら、いや、業務上の秘密で具体的な数字は言えないんですがね、おそらく誰よりも長生きするでしょうね。だから、直接に寿命をいただきに来たような次第でして。……他に訊きたいことはありますか? あなたには、城隍神として、この洞穴とロウソクについてよく知る資格がある」
「……もう、いいです」
涼音はつぶやいた。
「はい?」
「きこえなかったんですか。私は、もういい、と言ったんです」
「自分の運命を知って、その運命を呪っている……といったところですかね。しょせん、あんたも、人間だ」
死神は勝ち誇ったように言った。
「それじゃ、地上に戻りましょうか。三つの願いを聴かなければなりませんからね。……私から、ひとつ注文があるんですが」
「何でしょう」
「私は喫茶店にうかがいましたが、何も注文していませんでした。コーヒーというものは、大変おいしいんだそうですね。一杯、ごちそうしていただけませんかね」
『お前に飲ませるコーヒーはない!』などとは、涼音は言わなかった。代わりに、言ってみた。
「コーヒー代は、いただきます」
「ああ、金のことなら心配ない──」
「いいえ。お金ではありません」
涼音は首を振って、
「三つの願い、私に考える時間が欲しいんです」
「どのくらい?」
「いったいどのくらいなら、聴いてもらえますか」
「そうですね……私もそんなにのんびりとはしていられませんよ。一番長くで、そうだな……」
死神は、スーツの内ポケットから赤い電卓を取り出して、
「コーヒーは、いくらですか」
「普通のコーヒーは、五百円です」
「五百円ね……」
死神は電卓を叩いて、
「三日間でどうでしょう」
「ずいぶん長いんですね」
「商売として引き合う程度ですよ」
死神の声を聴く暇もなく、涼音の頭はもう早回しに回っていた。
……どうしたら、生き延びられるだろうか……。
店へ戻ると、蓮が泣きそうな顔で迎えた。
「涼音さあん……お帰りなさい」
「心配しないで。それよりコーヒーを一杯、お願いね」
「……そいつに飲ませるですか」
「蓮ちゃん。お客様はお客様よ」
涼音は無表情に言った。
「私の寿命がかかっているの。この店で、とびっきりのコーヒーをお願い……と海斗に言って」
「うっす……」
蓮は納得が行かない様子だったが、それでも厨房には入った。
……少しして、コーヒーを運んできた。
「どぞ」
それだけ言って、コーヒーを出すと、カウンターに戻る。
「ふうむ。おいしいものですな」
死神はコーヒーをすすりながら、
「きょうは二月の十八日だ。三日の猶予ですから、二月二十一日に、また参りますよ。そのときまでに、考えておいて下さいね。……私を、失望させないで下さいね」
言うだけ言うと、死神は出て行った。
「……蓮ちゃん」
「へい」
「きょうは、お店を閉めましょう。そうね……『店員急病のため』ということにしましょうか」
「了解っす」
蓮は言って、
「涼音さん、あんな奴に負けないで下さいね。自分、涼音さんのためなら、何でもしますから。無銭飲食以外なら」
「ありがとう」
涼音はうっすらと笑った。
……けれど、いい考えは、浮かばなかった。
その日の夜、全部の店員と下宿人のヒカリが、リビングに集まった。
元・女子高生のヒカリは最近、『僕の森』の空き部屋に住むことになったのだが、ここにも書き切れない不思議なできごとや、涼音の不思議な対応に遭遇し、間近で見て、涼音を信じるようになった。
「するとその死神は、涼音さんだけを狙ってきたのですね」
小池さんが、日頃、あまり見せない、鋭い目つきで言った。
「うん。だから私がいなくなっても、お店もヒカリちゃんも大丈夫……」
涼音が言いかけると、
「何言ってるんですか!」
ヒカリが叫んだ。
「みんな、みんな涼音さんが好きだから、ここにいるのに……涼音さんがいなくなったら、私、生きていけるかどうか分かりません」
「そうっすよ、涼音さん!」
蓮も泣き叫んでいた。
「自分らと涼音さんは、攻殻機動隊なんすから!」
「こういうときに何だけど、それはたぶん、運命共同体でしょう」
涼音は微笑んで、
「私だって、死にたくなんかないよ。けれど相手が悪いのよね……」
「うーむ……」
海斗が腕組みをして、
「『すべての呪いを、なかったことにして下さい』、……というのは?」
「あれは『呪い』じゃなく『たたり』なんだけれど、そういうのはどうでもいいよね。とにかく、神の意志に反する人間に、神がもたらす災いなの。死神は、私が気に入らないんだと思う。『なかったことにして下さい』でも、私が代わりにご神体にされてしまうとか、あるかも知れない。それなら私は、ここに『いる』ことになるから」
「涼音さんが、人間でもあるけど、神様だから……っすか?」
蓮が首をひねった。
「まあ、そういうことね。たぶん、生きた人間の味方をする神様がいるのが、気に入らないんでしょう」
「納得いかないっす」
元気なく、それでも蓮は抵抗した。
「人間が死ぬから、死神はやっていけるんすよね? それなのに、人間が気に入らない、ってどゆことでしょ。こういうとっから世界大戦って起こるんすかね?」
「そういうことは、もっと偉い人にでも言って。とにかく、さっきからずっと、考えているのだけれど、三つの願いって、何を願えばいいのか分からない……」
一同は、額にしわを寄せて、考え始めた。
「不老不死にして下さい、はどうっすかね?」
蓮が言う。
「それが通ったとしましょう」
小池さんが、考えながら言った。
「ある日、どこかの施設から、ハンターがやって来て、涼音さんを拉致し、その脳をAIに移し替え、涼音さんのロボットを作ります。これでも、涼音さんが不老不死であることに、変わりはありません。……そういう逃げ道が考えられると思うのですが」
「そんなの、人間じゃ──」
蓮が口をはさむと、小池さんは、
「人間ではない。そうですね。でも、死神はそれを不老不死だと言い張るでしょう」
冷静そうに応えて、
「誤解しないで下さい。私だって、涼音さんのロボットを、歓迎はできませんし、そんなことが現実に起きるとも思いません。ですが、そういう可能性がある、ということです。……敵は狡猾です。よほど頭を使わなければ、こちらの負けです」
「やはし……狡猾機動隊……」
「なんで、そう『攻殻機動隊』が好きなの?」
ツッコんでおいて、涼音は、
「そうだね。これは、私が売られたケンカなんだから、私が買うしかないんだね」
「そんな……涼音さん、早まらないで下さい」
「ですです。いざというときは、自分らも……」
「いいの。ヒカリちゃん、蓮ちゃん」
涼音はうっすらと微笑んで、
「小池さん。三日後、二月二十一日の午後まで、私の代わりにシフトに入ってもらうことはできますか」
「承知しました」
「ちょっと、考えてみたいの。私が部屋から出てこなかったら、放っておいて。……では、そういうことで」
これ以上何も言われない内に、涼音はリビングを出て自分の部屋に入り、内側からカギをかけた。
「自分たち、涼音さんから嫌われたっすかね……」
涼音のいないリビングで、蓮がつぶやいた。
「そういうことでは、ないと思いますよ」
小池さんが、かすかに首を振る。
「私たちが、どんなにちっぽけなことでも、愚痴をこぼしたりぐだぐだ話したとき、いつも涼音さんは、ちょっと困ったように、けれどもしっかりと話を聴いてくれて、感想も言ってくれました」
「そうっすね。自分の飲み会の話なんかでも……」
「その涼音さんが、独りになりたがっているんです。私たちにできることは、涼音さんのしたいようにさせることじゃないでしょうか。問題は、他の誰でもない、涼音さんのことなんですよ。結論が出たら、きっと出てきます」
「日本神話みたいですね」
わずかに微笑んだヒカリは、
「涼音さんは、自分のことで精いっぱいだ、って気がついたんだと思うんです。そんなときに、独りにしてあげないのって、どうなんでしょう。ひとりだけ十代の私が、こんなことを言うのは生意気だって思いますけれど、いまは私たちが、涼音さんに甘えていいときじゃない、って思うんです」
言い終わって、ぺこり、と頭を下げた。
「ヒカリさん、あなたが正しいですよ」
小池さんがうなずいた。
そのとき。
「あああ、俺はバカだ!」
急に海斗が叫んだ。ふだん無口なせいもあって、みんながぎょっとした。
「な、な、何すか? 海斗さん」
蓮が訊くと、ふだんには決してないことだが、息継ぎさえほとんどせず、一気にまくしたてた。
「俺が一日厨房にいて暇なときはけっこうあるし暇でない方が少ないがとにかくその暇なときに俺が何を考えているかと言えば仕事のことだけでそれというのも他に考えることはないからなんだが判断に苦しむときはネットをいじってみるとか気分転換に外へ出てみるなんてことは絶対にしないんだがそれは考えて考えて頭がどうにかなるようなときでもとにかく考え続けるしかないし考え続ければそれが何日何十日かかろうときっと答は目の前にあると気がつくからでいまの涼音も考え続けることが大事なんだって言ってやればよかったと思うんだがただ涼音もバカじゃないからきっといつかはそれに気づくだろうとさっきまで思っていたが涼音には時間がないんだって忘れていたんでだから俺はバカだと思っていやむしろ大バカの極みだと……」
「海斗さん、分かりましたから」
小池さんが優しく言って、
「きっと涼音さんも、自分で気がつくでしょう。……涼音さんと、こんな話をしたことがあります。アメリカのミステリ作家が言ったのですが、大きな硬い岩に、タガネ──石を割るのに使う、ノミのような工具ですが、それを岩に当てて、金づちで叩いて割ろうとします。岩は硬くて、百回打っても割れません。……どうしたらいいと思います?」
思わずみんなは考え込んだ。
「自分なら……」
蓮が言った。
「業者を呼びます。餅は餅は、ってことで」
「餅は餅屋、ですね」
小池さんは微笑んで、
「それはチートです。正解は、百回打っても割れなかったら、百一回叩くんです。そうすると、硬い岩がまっぷたつに割れます。少なくとも、石屋さんはそう信じています」
「分かった、……ような気がしますけど……」
ヒカリが首をかしげた。
「それが涼音さんと、どう関係あるんですか」
「これは、実は石屋さんの話ではなくて、ミステリのアイディアが浮かばないとき、どうするか、の話なんですけどね」
小池さんは言って、
「いいアイディアが浮かばないときは、海斗さんが言うように、気分転換なんかしないで、何回でも考えてみるのがいい……人もいるということです。そこまでの百回も、ムダではありません。百回の衝撃あっての百一回なんです」
すると蓮が真顔になり、
「小池さん。たとえば自分が、いいイケメンをゲットする方法が分かんなかったら、やはし百回頭を叩いてみるとして、百一回考えて、頭が割れたらどうしましょ」
「ご自分でやってみて下さい」
小池さんはため息をついた。
「私は、話す相手をまちがえたことを後悔しながら、寝ます」
……そして涼音は、部屋の学習机に向かって、大判のノートに書きつけていた。
★自分の命を差し出して、他のみんなを助けてもらう
→× もともと命は取られるのだから無意味
★小池さんにロウソクの絵を描いてもらって取り替える
→× 意味不明
★逆に死神を斃す(たおす)
→× できるわけがない 相手はプロ
★もっと偉い神様に頼んでみる
→× いま、そういう神様は、ここにはいない
……
ノートは、ちょっとブログのネタを書いておくために百均で、三冊二百二十円で買ったものだが、そう簡単には埋まりそうになかった。
けれど、一心に考えて、書いてみると、無限にノートが続くような、そう……徒労感に襲われていた。そして無限の『×』も。
二日間、ぶっ通しで書いてみて、やっと手を止めたのが、ちょうど二日目のランチタイムだった。
「ああ、もう、ロウソクなんか知るもんか!」
さすがの涼音もキレて、大声を上げた。
「……うん?」
そのとき、涼音の頭の中で、誰かが何かを言った。
「えっ」
涼音はあわてて、ジレのポケットからハンドミラーを出して、自分の顔を映してみた。
……その表情が、見る間に明るくなってくる。
「そう……そうなんだね……」
涼音は立ち上がり、ぱたぱたと部屋を出て行った。
涼音はまっしぐらに厨房へ向かった。海斗が驚いたような顔をする。
「どうした」
「分かった。分かったの。あのね……」
涼音の話を聴いて、海斗も立ち上がった。
「小池さんに、厨房を頼んでくれ」
返事も聴かず、勝手口から出て行った。
カウンターでは、小池さんと蓮が、忙しく接客していた。
「小池さん」
のれんをくぐる間も惜しいほど、いつもの涼音はめったに出さない大声を上げる。小池さんが微笑んだ。
「何か思いつかれましたか」
「うん。実はね……」
涼音が話すのを聴いて、小池さんも蓮も、臨時でシフトの穴を埋めていたヒカリも、目を丸くした。
「そんなんして、大丈夫ですか?」
蓮が訊く。
「分からない。けれど、死神にも弱点はある、と思う」
涼音の顔は、決意に充ちていた。
(後編へ続く)
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