第16話(?/?17:00)

 皇宮の中に入って、汗を拭う。びっしょり濡れた体に冷えた空気が少し寒いくらいだ。


「どこ行くの?」


 ミナとクリスさんは仲が良いみたいで、ぺちゃくちゃと喋りながら歩いている。それほど多く喋る人ではないサヨと並んだわたしは、少し居心地が悪いくらいだった。


「サエちゃん、ですよね」


 いつの間にかカルさんが隣にいた。こくりと頷くことしかできない。


「僕はね、ここの学校の九年生なんだ。日本でいうとチュウガク三年生って、この前リサに教えてもらった」

「わたしは、中学二年生です」

「わあ、じゃあクリスちゃんと同い年だぁ」


 そうやって笑みを浮かべた顔が無邪気で幼気いたいけだった。


「あの、今からどこに行くんですか」

「図書館かな。ここの図書館、すごく大きいんだよ」


 手を大きく広げて、『大きい』と表現するカルさん。その姿は、無邪気や天真爛漫というより、ただ幼いだけのように見えた。


「それでさ、サエちゃん」

「はい」

「地球に帰るの?」

「……一応、今はそう考えています」


 こう何度も聞かれると、だんだん決心が揺らいでくる。だって――

 この国は、すごく居心地が良いものだから。


「残っても良いんだよ? だってこの国、居心地いいもん」


「――ッ!」


 思っていることをそのまま言われたようで、驚きが顔に出る。


「どうしたの?」


 心做しか、さっきよりも彼の瞳孔が開いているように見える。黒尽くめの彼の格好からさえも、どこか怪しい印象を受けてしまった。


「確かに、クリスちゃんがさっき言ったみたいな『戦争』の問題もあるけど、確かにここはすごく良い国だよ。何にせよ、僕が生まれた国だ。少なくとも、ずうっと馬鹿なことせんそうをしている地球の各国よりはね。そして何より――地球人に優しい。それはもちろん、君たちがこの国に定住しても変わらない。むしろ、もっと優しく感じると思う。だからさ、サエちゃんがこの国への永住を望むことは間違ってないんだ」


 もし移住してくれたら、僕と同じ学校に通おうよ、何て彼は笑う。


「そうしたら、同級生ですね」


 クリスさんが後ろを向いて言った。どうやら聞いていたらしい。そして彼女は、唇に二本の指を当てた。交差して、封じる二本。


「先輩、図書室ですから。お静かに」


 クリスさんが引き戸を開けた。

 日本の図書館と同じ、饐えた紙の匂いがする。


「あら…すごい」


 サヨが頬に手を当てて言った。ロングヘアに涼やかな目元、それから身にまとう雰囲気が静謐な図書館と似合いすぎている。


「国で最大規模の蔵書です」


 クリスさんが小声で言う。

「私こういうとこきらーい」


 ミナはつまらなさそうに唇を尖らせた。



 一瞬、誰が言ったのかわからなかった。ワンテンポ遅れて、目の前に立つ黒髪の女性に気づく。ウルフカットに軽く羽織ったブレザーが良く似合う。


「キリ先輩!」


 しかし、なんだろうこの感覚は。普通に話しているはずなのに、一つ一つの文字を脳に刻まれているかのような感じがする。


「は、初めまして! わたし、サエです」

? 

「あ、そうか。キリ先輩も地球の人だったんだ」


 忘れてました、とクリスさんが頭を掻く。キリコさんはにこりと笑って、



 わたしは戦争がなんだとか、殺し合いがなんだとか、そんなことは全然わからない。多分平和なんだろ、と簡単に考えた。でも、ただそれだけの薄っぺらい言葉を彼女に返しちゃいけないと思った。

 少し考えて、眼を閉じて。キリコさんが黙ってわたしを待っている。

 きっと顔を上げて、


「平和かどうかはわからないんですけど、わたしは幸せでした」

?」

「わたしが、このまま生きて、何もしないまま地球で生きて、幸せでいられるのかなって、わたしが幸せでいられる世界で生きていいのかなって」

? ?」

「わたしは、結構投げやりなんです。やりたいこともなくって、やらなきゃいけないことも全部出来てきたわけじゃなくって、何なら他の人にやらせてしまったみたいな所が多くって、それがあんまりよくないなって」

「……はい」


 わたしが、この世界に移住したら。

 わたしの、地球での人間関係はなくなる。いわゆるリセット。お母さんとも会えなくなるし、梨沙りさとももう話せない。それはもちろん悲しくって辛いことなんだけれど、ほんの少しだけ、ここに居たいっていう気持ちを生んでしまうくらい、『今までの罪を帳消しにしてあげる』っていう言葉は、人を引き付ける。


?」

「ちょっと、キリ先輩!」


 クリスさんが止めにかかる。

 そんな彼女を見て、わたしは思う。

 ——そうだよな。

 こんなどこから来たのかもわからない漂泊者なんてどうでもいいはずだ。それなのに、みんな親身になってくれる。親切にしてくれて、優しくしてくれる。

 怖いくらいに。

 簡単に言えば、キリコさんの反応はいたって正常。むしろ周りが異常。そんな彼女に触れて、わたしは少しほっとした。


「大丈夫です、クリスさん。わたし、何だかほっとしました」

「そう…ですか。——キリ先輩、ミレーユもいますか?」

?」

「そうなんです」

「はい!」


 次はこっちに行きましょう、とクリスさんはわたしの手を引っ張った。図書館の奥の方へ。心なしか、その表情が上を向いた気がする。

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