第50話 思い知らされる

「彼に勝つことができる者がいるとすれば、子どものうちに彼の強さに打ちのめされ、それでも、本気で勝とうとした者だけだ」


 その言葉はどこまでも澄みきっていて、嘘は、感じられなかった。


「君は生まれたときから、私の想像の外にある、真の強さに触れている。――私にはそれが、羨ましいよ」


「……だからこそ、思い知らされることだってあるよ」


 強くても弱くても、トーリは僕の唯一の、特別だ。


 けれど、たまにふと思う。



 僕は、この先もずっと、トーリの特別でいられるのだろうかと。



 いつか、トーリだけが強くなって、ルジと一緒に僕を置いていくんじゃないかと。


 このまま、トーリに背負われ続けていていいのだろうかと。


 ――でも。どうしたって、届きはしない。


 そんなのは、生まれたときから知っている。人間として生まれた時点で、僕はずっと、守られる側でいるしかないんだ。


「成長に一番繋がるのは、思い知らされることだ。だから私は、相手が誰であろうと、手加減はしない。それでやめるような根性しかない人材は、必要ない」


 思い知らされること、か。……本当にそうだとしたら、僕はもっと成長しているだろうに。


 こんな暗い感情は、レイノンには、似合わない。だからいつも通り隠して、おどける。


「き、厳しい……。騎士団って、大変なんだね」


 ふと、窓の外を見ると、偽ジタリオ対その他全員の雪合戦が行われ、さすがの手数にジタリオが押されていた。


「ある程度までは見過ごそうと思っていたが……さすがに、目に余るな」


「待って、ジタリオ」


 走りかけたジタリオを呼び止めれば、ジタリオは不思議そうな顔をしつつも、足を止めた。


 窓の外の偽ジタリオが、雪に埋もれていく。


「あれ、遊んでるわけじゃないと思うよ」


「今だ!」


「プラーミア!」


「リエット!」


「ファダーミー!」


 女の掛け声で一斉に、偽ジタリオに向けて赤、青、緑の魔法が放たれる。雪が瞬く間に蒸発し、強い風に運ばれて窓が一気に白く曇る。


「……私はそんなに嫌われていたのか」


「いや、嫌いだからってさすがにあんなことやらないよ。多分、偽物だって気づいて――」


「前から、嫌われているとは薄々感じていたが……。これも、上に立つ者の宿命と割り切るしかないな……」


「ねえ、聞いてる?聞いてよ。てか、よく見て!」


「なんだい……あ」


 偽ジタリオが、魔法の蔦で拘束されていた。


「団長がこんなに優しいわけがない!誰だ貴様は!」


「そうよ!団長が雪合戦に付き合ってくれるわけないわ!」


「団長といえば厳しい!厳しいと言えば団長だ!」


 ジタリオの周りの大気が赤く揺らめいているようにさえ見えた。夏に空気がゆらゆら揺れるみたいに、揺れていた。


 それでも、ジタリオはこの部屋から出ようとはしない。


「……行かないの?」


 窓辺から外を眺めるジタリオが、ほんのわずかに顔をこちらに向ける。――それだけのことで、なんとなく、ルジに僕を頼まれたんだろうなと、察してしまった。


「私がいなくても対処できるだろう。私にだって、信じる心はある」


「信じる……」


 捕らえられた偽物は、くつくつと笑い――ぐにゃりと、水のように姿を変えると、あっという間に脱出した。


 外から冷たい風が吹き込んできてようやく、ジタリオが窓の外に出ていると気がつく。


「スゥ――」


 偽物は、小さな小さな何か――ここからじゃ見えないけれど、他の団員たちが見失うくらいの、小さな、何かに変わった。


 それにジタリオが剣を突き刺したのだろうと、後の光景を見て気がつく。あまりにも静かな剣戟は、目で追うことすら難しい。


「本物がお出ましとは。これは勝てないね」


 再びその場に現れた偽ジタリオは、やれやれと首を振ったが、その顔には、笑みが浮かんでいた。


「貴様は誰だ。――いや、いい。すぐにケリをつける」


「御生憎様。戦うつもりはないんだ。目的は達成したし、楽しく遊んでただけだから」


「プラーミア、チャール――」


 ジタリオの剣が燃え盛り、やがて剣が炎を吸収し、真っ赤な剣となる。


「ボクはクレセリア。――彼によろしくね」


 偽ジタリオは、クレセリアと名乗った。


 そして、間違いなく、、不敵な笑みを浮かべた。


「ハアアアアッ!!」


 ジタリオが剣を一振りすると、窓の外が光るほどの熱に侵されて、何も見えなくなる。


 咄嗟に手で光を遮り――次に見たときには、敷地の雪はすべてきれいに解けてなくなっていた。


 クレセリアの姿も、どこにも見当たらなかった。


***


 ルジが姿を消してから、二週間が経つ。聞こえてくる水のざわめきはその頃から収まっていて、ルジが何かしたのだろうと結びつけるのに、そう時間はかからなかった。


「――ねえ、とーりす」


「うわあっ!?」


 頭巾越しに耳元で、おでこをそっと撫でられるような、吐息混じりの声で囁かれ、思わず尻もちをつく。


「わ、ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったんだけど……」


「いや、気にするな。考えごとをしてただけだ」


「考えごと?」


「ルジのことを、ちょっとな」


 ふと窓の外を見れば、ニーグさんが上体起こしをものすごい速さでこなしていた。


「ニーグさん、元気だな」


「ね。嬉しい」


 いつも俺に気を使って小さな声で話してくれるムーテが、本当に、嬉しそうに笑う。


 ――その笑顔を見て、彼女の母親、ラスピスさんのことを思い出す。


「なあ、ムーテ」


「うん?」


「いや、なんでも――」


「お母さんのこと?」


 ズバリと言い当てられて、気まずくなり、頬をかく。


「悪い」


「やーい、意気地なしー」


「ごめん……」


「あはは、冗談冗談。それで、お母さんの何が聞きたかったの?」


 何が、と言われると、オレは何を聞こうとしたのだろう。ふと頭によぎったはずの、思考を手繰り寄せていく。


「オレはまだ、ムーテのママを、見つけてないだろ。なのに、どうしてバイオリンの作り方を教えてくれるんだ」


「どうしても何も。お母さんは家にいたよ」


 家にいることくらい、ムーテだって最初から知っていただろうに。


「あれからずっと、探すのを手伝う、って言葉の意味を考えてたんだ」


「――真面目だね」


 ルジがいなくなった二週間前からニーグさんが、ラスピスさんの様子を毎日、見に行っている。


「大好きなママを取り戻してほしい。あれは、そういう意味だったんじゃないかって」


「どうしてそう思うの?わたしとお母さんは昔から、仲が悪かったのかもしれないよ?」


「そんな風に言うな」


 ムーテが口を閉ざす。


「ことの経緯を考えてみたんだ。ママとずっと一緒にいたムーテは、けれどある日、耐えられなくなった。数日、一人で過ごしていたがオレたちに出会い、国に帰ることを決めた。でも、ママに一人で会うのは、怖かった」


「そうだね。ほとんど、せーかい。それで、どうしてわたしがお母さんを好きだってことになるの?」


「オレには、ママはいない。でも、ルジがいる。――それで、もしルジがオレたちを、ものすごく怒ったら、って考えてみたんだ」


「ものすごく怒られたら、るじのこと、嫌いになっちゃうよね」


 ルジは、めったに怒らない。でも、この前、レイに対して怒ったように、怒らないわけじゃない。


 ――あのとき、オレは怖くて、何も言えなかった。あんなに怒ったのは初めて見たから。


「……いいや。オレが怒らせてしまったんだって、すごく、悲しくなる」


 普段は怒らないルジが、怒ったということは、よほど悪いことをしてしまったということ。レイもきっと、同じように思っているはず。


「とーりす――」


「それは、オレがルジを大好きだからだ。ムーテもきっと、そうだろ?」


 ムーテは何も言わない。また何か、間違えてしまっただろうかと、不安になる。


「……敵わないや。そうだよ。わたしにとってお母さんは、憧れなんだ。今は、あんなだけどね」


 ムーテが、わらった。


「大好きなママのことを、そんな風に言うな。今でも大好きなのは変わらないんだろ。そんなにつらそうに、無理やりに、笑うな」


「……ごめんね」


「なんで謝る」


「ううん、なんでもない。ただ、おにーさんの気持ち、少しだけ、分かったような気がする」


 レイの気持ち、とはなんだろう。双子だからといって、なんでも分かるわけではないが。


「わたし一人だったら二度と、あの家には戻れなかった。だから。ありがと、とーりす」


 それでも笑うムーテは、どれほど強いのだろう。頑張り屋さんなその頭を、撫でる。


「……なんで撫でるの?」


「あ、悪い。なんか、無意識に、その」


 わたわたしていると、くすっと、笑われてしまった。


「お母さんはきっともう、昔みたいには戻れない。――分かってるのに無理を言って、みんなを困らせちゃった」



「そんなことはない。オレが、絶対に、取り戻してやる」



 うつむくムーテの両肩を掴み、真正面から向き合うと――初めて、目が合った。



 しまった、と思ったときには、もう遅い。



「赤い目……」


 ムーテから漏れ聞こえた言葉を聞いて、もう取り返しはつかないのだと、思い知らされた。

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