女騎士が油そばを食べる2
午後の業務も終わり、外を見ると既に日は落ち、町にまばらに灯りが点いていくのが見える。
私は足早に騎士団の執務室から出ると、まず専用の更衣室で鎧と鎖帷子を脱ぐ。簡素な服になると、最近伸ばしている髪を縛り、口元を黒い布で覆って隠し――準備完了。
次に城の裏庭へと出る。そこで魔力を使った身体強化で屋根伝いに自宅へ最短距離で戻る。
もちろん騎士団長である私がこんな事をやっていると知れたら大問題であろう。
(しかし、しかしその行列が出来る店とやらが気になって仕方が無いのだ)
せめて顔バレだけは避けないといけないので、簡単な変装はしてある。
「この時間帯は見回りの兵士は――よし」
兵士の居ない隙に城外へと出る。
そこからさらに家の屋根や路地を通りながら自宅へ向かっていると――。
「きゃあ――」
「てめぇ黙って――よなぁ!?」
微かに悲鳴のような声、野太い男の声がした。
この近辺は裕福な家も多く、城に近いという理由で貴族が別荘代わりにしている家も多い。
最近、国全体が浮足立っているのを察知してか、窃盗や強盗といった輩の起こす事件の報告も多く受けている。
「――ッ」
私は路地の地面を蹴り、さらに壁も蹴り上げ、屋根の上へと出る。
周囲を見渡し……次に匂いを嗅ぐ。
それはほんのりと甘い香水の匂い――その大元を辿るように移動し、とある屋敷の裏口に辿り着いた。
裏口の鍵は開いてなかったが、上を見ると2階の窓が開けられている。
賊はそこから侵入したのだろう。
「ハッ!」
そこから壁を駆け抜けるように一気に登り、窓から侵入すると――猿ぐつわを噛まされ、ドレスをズタズタに切り裂かれた貴族の娘と、ナイフを持って下卑た笑みを浮かべている黒装束の中年の男が居た。
「んんッー!」
「だ、誰だおめぇ。同業者か!?」
「3秒だけ猶予をやる。彼女から手を放せ」
「なんだぁ? お前も楽しみたいのか? オレの後にしろよ……なッ」
男は振り向き様にナイフを投げて来るが、既にそこに私は居ない。
「あるぇ?」
一瞬にして間合いを詰めた私は、そのまま男の股間を――蹴り上げる。
「はぐぁッ!?」
男は悲鳴と共に口から泡を吹いて倒れた。
床に落ちていたロープで男を念入りに縛り、娘の口元も解放してやった。
「はぁ、はぁ――ど、どこの誰だか分かりませんが、助かりました」
「お嬢様! なんの音ですか!?」
「爺や。
「では、私はこれで」
「そんな。せめてお礼をさせ……」
私が人差し指で彼女の唇に触れ、
「貴女が無事で良かった――では」
とだけ言い残し、来た時のように窓から飛び降りて退却した。
屋敷の中から、
「わ、私の王子様キマシタワァァァァ!!」
「お嬢様、お気を確かにッ!」
という声が聞こえてきたような気がしたが、もう私の興味は前に向いていた。
■◇■◇■◇■◇■◇■◇■
「こ、ここが例の店か」
下町にある自宅で私服に着替え、身なりを整えてから店のある路地へとやってきた。
既に閉店が近い時間の為か、店の前に待ちの客は居なかった――意を決して扉を開くと、あまり広くない薄暗い店だった。
元々バーだった店を改装したのだろう。カウンターなどはそのままだが、厨房には麺を茹でる為の巨釜が置かれている。
席は5つ。空きは1つだ。
私は空いている席へと座り、店主に注文をする。
「すいません油そばをひと――」
「お客さんすいません。これで最後なんですよ」
隣に居た客へ器を置くと、オーガ族の店主は申し訳なさそうに謝って来た。
「い、いや。そういう日もあるからな。ま、また出直して――」
「アグリさんですか?」
隣の客は、よく見れば見知った男性だった。
黒髪で、穏やかな優しい目をしている青年だ。灰色のスーツと呼ばれる外国の服を着ている。
いつも持っている四角い革袋は床に置かれていた。
「オダナカ殿ではありませんか!」
「奇遇ですね」
「やはりオダナカ殿も、ここの油そばという料理の偵察に来たんですか?」
「まぁ、そんな所です」
ぐぅぅぅ――。
「はぅ」
目の前で油そばを掻き混ぜている匂いがこちらまで漂ってきて、思わず腹の虫が鳴ってしまった。
いつも業務中は気合で抑えているのだが、やはりプライベートな時間になると気が緩むようだ。
「……実はここに来る前に大将の店でも食べたので、あまりお腹空いていないんですよ」
「はい?」
「……半分でよろしければ」
「はい!」
他人の料理を分けて貰うなど、いつもならそんな提案にも乗らず、突っぱねただろうが――やはり空腹には、何より美味しそうな油そばという料理に勝てなかった。
店主に小さい器を用意して貰い、麺を半分よそって貰った。
大将の塩そばとは大きく違い汁は殆ど無く、麺も倍以上に太い。それにサイコロ状の肉、脂身や野菜のみじん切りなどが和えてあるようだ。
「では、いただきます」
「いただきます」
最近はオダナカ殿に習い、この言葉を食べる前に言う事にしている。
意味を聞いた事は無いが、恐らく彼の故郷の風習か何かなのだろう。
「ずるっ、ずるるるッ」
辛味と酸味、香ばしさと瑞々しさ。
色んな要素が麺に絡み合い、それらを一気にすすると――なんとも言えない高揚感に包まれる。
「美味しい、美味しいですよオダナカ殿!」
「美味いですね」
食べた事のない味だが、不思議と受け入れる事が出来た。
量も半分なのですぐ食べ終わってしまったが、満足感だけは残っている。
「ふむ……」
彼が何かを取り出すのを、私は見逃さなかった。
「オダナカ殿、それおにぎりですよね? ズルいです、私にも下さいッ」
「いや、これは1つしか無くて――」
こうして私、アグリ・フォード・アリアン・ロンドの1日は終わるが――やはり、油そばは改めて食べに来ようと、星空に誓うのだった。
あと自宅で炊いたご飯も持参しようと思う。
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