第24話 白旗

 結論から言おう。

 アレクは子羊の皮を被った狼などではなく、ただの純情な青年に過ぎなかった。


「ご、ご、ご、ご機嫌、う、麗しゅう、フェルドラ王女殿下。こここ、このたびはお目にかかる栄誉に賜り、大変恐悦至極な次第であられましてその……」


 愛しのフェルドラを眼前に、彼は哀れなまでに緊張で震えている。

 というか、挨拶すらまともに出来ていない。これで民衆を束ねる領主とは、流石の僕でも心配になってくるぞ。


「あら。あなた……。どこかでお見掛けしましたわね」


「は、はい! わ、私は一度、王城で開かれたパーティの会場で、王女殿下に拝謁いたしまして。その時からずっと、大変お綺麗な方だと……」


「まあ……、パーティですの? 何を隠そう、わたくしとルグラン様も最初はパーティ会場で知り合ったのです。そう、あの頃のルグラン様と言えば可愛らしくて、でもすごく勇敢で、男らしくて……。うふふ、今と少しも変わりませんわね」


「はあ、恐縮です」


 僕は適当に相槌を打つ。いや、今は僕らの馴れ初めじゃなくて彼の話を聞いてやれよ。可哀想に、しょんぼりと俯いてしまったじゃないか。


「そ、それより。アレク殿はフェルドラ王女殿下に是非もう一度会いたいと願っていたんですよね」


「は、はい……。大変恐れ多い事ながら、是非もう一度お話する機会がありましたらと……」


「それは光栄ですわ。そうだわ、わたくしとルグラン様がいずれ婚礼の式を挙げる際には、あなたも来賓としてお招き致しましょう。ふふ、その日が楽しみですわね」


「は、はぁ……それは、ありがとうございます……」


 完膚無きまでに打ちのめされて、アレク青年は意気消沈といった具合で肩を落とした。ちくしょう。そこはもっと強引に行けよ。彼女の妄想トークに負けるんじゃない。


「それよりも……ねえ、ルグラン様? そろそろ、二人きりになれる場所に案内して下さいませんこと? わたくし、今日という日を心待ちにしておりましたのよ」


「い、いえ。僕はその、もう少し彼を交えて三人で楽しくお話したいかな、と……」


 僕は藁にも縋る気持ちでしょぼくれる彼の背を眺めたが、残念な事に彼は早々に挨拶を済ませると、とぼとぼと部屋を出て行ってしまった。僕は慌ててその背を追う。


「あ、アレク殿?」


「ルグラン殿……酷いじゃないですか。王女殿下とはそのような仲では無いなどと言っておきながら、まるで見せつけるように……」


「そ、それは誤解です。僕は本当に、アレク殿を応援しようと……」


「……だとしても、僕はもう領地に帰ります。残念ながら、彼女の心に僕が入り込める余分な隙間は無さそうですから」


「アレク殿……」


 そう言って、彼は屋敷を去っていった。

 クソッ、根性無しのへたれ男め。僕は内心で悪態をつきながら、フェルドラ王女の元に戻る。


「あら、先ほどの方はどうなさったの?」


「ああ、彼なら一足先に帰りました。王女殿下にご挨拶申し上げて用件は済んだそうです」


「そう。では、これでようやく二人っきりになれますわね」


 やばい。このままだといよいよ、彼女との間に既成事実が誕生してしまいかねない。

 僕は助けを求めて部屋を見回すと、壁際で影のように控えていたメイド長がこっそりと頷く。


「ルグラン様。もうそろそろ王女殿下をお送りする時間です。ご準備を」


「あ、ああ。そうだな! ただでさえ行きに色々とあったせいで到着が遅れたんだ。このままゆっくりと過ごしていると、空が暗くなってしまう。王城の方々がご心配なされる前に殿下をお送りしなくてはいけないな!」


 僕がメイド長の言葉に乗ると、フェルドラ王女はあからさまに不満げな顔をした。


「まあ、もう少しくらい良いではありませんの。ルグラン様は、わたくしと二人で過ごすのはお嫌とでも仰るのかしら?」


「い、いえ。大変光栄ではあるのですが、何しろもう日暮れまであまり時間がありませんので」


 僕は申し訳なさそうに見えるよう、愛想笑いを浮かべる。

 お嫌かと言われれば、そりゃお嫌だ。彼女には申し訳ないが、心痛の種は出来る事ならさっさと送り返してしまいたい。


「……はあ。仕方ありませんわね。今日のところは、大人しく帰る事にして差し上げます」


 はあ、ようやく分かってもらえたか。

 僕がほっと胸を撫で下ろしたその時。


「――ですが」

「え?」


 王女はひらりと僕の前に踏み出すと、僕の顎を掴んで自分の眼前までぐいと引き寄せた。


「……いつまでも、のらりくらりと躱し続けられると思われては、わたくしとしても心外ですわ。……分かっておりますわよ、ね?」


 近い近い近い。このままでは互いの唇がくっつきそうだ。

 眼前に迫る彼女の有無を言わさぬ瞳を見つめながら、僕はどうにか言葉を返した。


「……き、肝に銘じておきます」


 白旗を振るう僕の様子に満足したのか、彼女はあっさりと手を放すと身を翻した。


「うふふ。それではルグラン様、城までエスコートして下さいな」

「……はい」


 完全にしてやられたような思いを抱えて、僕は彼女を無事に城まで送り届けるのであった。

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