第22話 婚約
僕はフェルドラを引き連れて屋敷へと戻った。
「おかえりなさいませ、ルグラン様。そして、ようこそおいで下さいました。フェルドラ王女殿下」
出迎えたメイド長が深々と頭を下げる。
相変わらず彼女の姿勢は美しいな。貴族としてよく教えられた証だ。我がアルファンド家に奉公しにやってくる以前から、彼女は優秀だったと聞く。
「うむ、出迎えご苦労。早速だが、殿下をよく持て成してさしあげてくれ」
「かしこまりました。では殿下、こちらへ」
「まあ、ルグラン様がわたくしのエスコートをしてくれるのではありませんの?」
「申し訳ありません。僕は先に荷物を置いて来ないと」
そう言って、僕は片手で担ぎ上げた
さっきは強めに堕としたからな。まだしばらくは目を覚まさないだろう。
にしても、領主が荒くれ者を山ほど担いで帰って来たのに動揺する気配もないとは、この家の人間の神経はどうなってるんだ。まあ、大体僕のせいなのだけど。
僕が領内のあちこちで悪党を成敗しては連れ帰ってきたものだから、臣下たちはすっかりと僕の奇行に慣れてしまったらしい。
やいのやいの言われなくなったのは有難いが、当然のようにスルーされるとそれはそれで面白くないな。
僕は荒くれ者どもをひとまず牢屋にまとめて放り込むと、彼らの教育は後に回してフェルドラ殿下の元に舞い戻った。いくらわがまま三昧の放蕩王女とはいえ、一地方領主が主家の正当な血筋を引く者をお待たせする訳にはいかない。
僕が応接室に向かうと、そこでは信じられないような騒ぎが起こっていた。
「ちょっとフェニさん。貴女、まだ図々しくもルグラン様の元に居たのですわね。いい加減身の程を弁えられたらどうかしら?」
「私はご主人様に求められてここにいるだけ。無理やり押しかけてきている貴女とは違う」
手に雑巾を持ったまま、フェニがフェルドラと口論をしていた。
一体フェニのやつ、何をやってるんだ。
売り言葉に買い言葉、二人は互いの言葉で見る見る内にヒートアップしていく。
「……ふん、相変わらず良い度胸じゃない。たかがメイド風情が、王女であるわたくしに逆らおうだなんて」
「逆らったらいけないなんて、ご主人様は言ってなかった」
確かに、王女に真っ向から歯向かってはならないとは教えていなかったが。とはいえ少しは常識で考えてほしいものである。
ルグランはじくじくと痛みだす頭を自覚しながら、二人の前に姿を見せた。
「それくらいにしておいて下さい、フェルドラ様。彼女は昔から、僕専属の侍従なんです。今更入れ替えると何かと面倒だ」
「全く。こんな粗野で役に立たない下女をいつまでも側に置いておくなんて。ルグラン様は甘いですわね。それとも、この女がそれほどお気に入りなのかしら?」
「フェルドラ様……」
「まあ、今日の所はいいですわ。貴女、もう掃除に戻ってよくてよ」
困ったような僕の表情を見てフェルドラはある程度溜飲を下げたのか、片手でしっしっとフェニを追い払う。
彼女たちは、以前からこうして顔を合わせる度に衝突していた。何事にも無関心で感情の薄いフェニの事が気に食わないのだろう。一方的にフェルドラの方から突っかかっていた。一体こうして何度仲裁の真似事をさせられたか。
「それよりも。この度はわざわざ僕の誕生日を祝いにお越しくださいまして、感謝致します。当主たる父も王家のご厚意に感謝しております。今後も我がアルファンド家は、王家との主従を何よりも尊び――」
「そんな堅苦しいお話はどうでもいいのですわ。それよりもぉ……。ルグラン様もこうして成人なさったのですから、例のお約束を果たしてくださいますのでしょう?」
「約束……ですか」
「勿論、わたくしとの婚約……ですわ♡」
そういうと、頬を赤らめてフェルドラは僕の手を取る。婚約。婚約ねえ……。
――僕は確かに以前、彼女と婚約の約束をした、にはしたのだが。
事の始まりは、僕がこの領地を任される事になった四年前に遡る。新たな任地に赴任した僕の元に、このフェルドラ王女が再三やってきたのだ。
彼女とは、僕がまだ幼少期に出席した王家主催のパーティ会場で知り合った。当時、まだ幼かった彼女は、ドレスの裾を踏んで転んでしまった。その時真っ先に手を差し伸べた、年下の幼い少年の事を彼女は随分と気に入ったらしい。
それ以来、僕は何かにつけて彼女に付き纏われているというわけだ。そもそも、僕が旧レインメル領を任される事になったのも、彼女の意向による所が大きい。大方、僕が家族から引き離されて一人孤独になった隙に付け入ろうという腹だったのだろう。
始めはそれでも、礼儀正しく応対していたのだ。曲りなりにも主家の正当な血筋に当たる方だ。無礼をして、違う意味で目を付けられては敵わない。
しかし、日々ベタベタと纏わりつかれる内に、僕は段々と彼女の相手が面倒臭くなっていった。あれやこれやと囁かれる愛の言葉に、僕は徐々にいい加減な対応を取るようになった。たちが悪いことに、彼女は僕がぞんざいな態度を取れば取るほど喜んだ。
王族として皆に傅かれる生活を送っていると、粗雑に扱われた方がかえって心の距離が縮まったように感じるのかもしれない。
とにかくそんな毎日の中で、彼女の言葉をうんうんと聞き流していた時の事。
「――もう、ルグラン様。いつになったらわたくしと正式に結ばれてくださいますの?」
「んー。そのうち考えます」
「もう、またそんな事を言って。具体的な予定を立てていただかなくては、わたくしも困ってしまいますわ」
「いやー、そう言いましてもねえ」
「そうだわ、ルグラン様が成人なさる四年後。その時にわたくしとの正式な婚約を世間に向けて公表するというのはどうかしら?」
「あー、それは素敵ですね~」
「やっぱりルグラン様もそう思いますわよね! ふふ、四年後が楽しみですわ!」
……などという一幕があったのだ。弁明するならば、僕は彼女の話を殆ど聞いていなかった。何となく適当に相槌を打っていたら、あれよあれよと話が詰められていたのである。
とはいえ、当時の僕はこの出来事をあまり重大に捉えていなかった。
何せ、こっちは十一の子供である。対するフェルドラは当時十五。既に成人していた。そんな女性が、まさか子供に本気で求愛していると誰が思うだろうか?
まして、四年も前の事だ。そんなあやふやな話で、一国の王女が四年もの間独り身で過ごす事など、父親たる国王陛下が許すはずもない。きっと四年の間に王女殿下には何か良い縁談がまとめられるだろう。そう思っていた。
「まさか王様がここまで娘に甘いとは……。親馬鹿を侮っていたな」
「なんですの? ルグラン様。どうかしましたか?」
「い、いえ。何でもありません」
そうして気付けば僕は、退路の無い袋小路へと追い込まれていたのだった。
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