第14話 死神

 ぅううううぅ……グルルルル……


 僕の目の前で、ゆうに三メートルは超える巨大な狼獣人の化け物へと変貌した山賊の男。彼は既に人の意識を失っているように見えた。どうやらあの薬は、彼という存在を根本から造り替えてしまったようだ。

 生物を自由自在に作り替えてしまうほどの薬、というわけか。明らかに、人の世に在って良い代物じゃないな。


「僕の時といい、相変わらずあの女の子はとんでもない事するなあ……うわっ!」


 あの女の子の正体について僕が思考を巡らせようとした刹那、目の前の化け物が一直線に距離を詰めてきた。

 突き出される巨大な爪の一撃を慌てて避けると、風圧で押されるようにしてバックステップで距離を取る。


「おっとと……へえ。随分とすばしっこくなったね。その変わり果てた姿は、ただの演出ってわけでもないみたいだ」

「うううぅ……ガルル……」


 彼……、いや。獣はどうやら獲物を取り逃した事に不愉快さを感じたようで、ゆっくりとこちらに振り返った。意外にも、その様子からは警戒の色が窺える。すぐにもう一度飛び掛かってこない辺り、見た目よりも知恵が回るな。


「ヘイカモン、わんちゃん。僕が遊んであげるから大人しくしな。今この木の枝を投げるからな。ほーら、取ってこーい」


 地面に落ちていた木の枝を遠くに放り投げる。わんころならこれでキャンキャン!と大喜びで追いかけていくところだが……。残念。奴は微動だにしない。


「これじゃ駄目か? じゃあ、餌付けは……、今適当な食べ物持ってないしな」


 駄目だ。懐柔作戦は早くも暗礁に乗り上げた。せっかくなら飼い慣らして、うちのゴルドラン(飼い犬)の部下にでもつけてやろうと思ったのに。

 惜しいけど、やっぱり正面から倒すしかないみたいだ。


「ガウゥッ!!」

「おわっと。だから、急に飛び掛かってきたらビックリするだ、ろッ!」


 襲い掛かって来た化け物の一撃を避け、カウンター代わりに顎を思いっきり蹴り上げてやる。すると、僕の足からぺきりと嫌な音が響いた。


「あーあ……僕の足の方が折れちゃったじゃないか。さすがに頑丈だなぁ。まだ成長しきってない十一歳の子供の身体じゃどうにもならないや」

「ウガ、グルルルッ」


 獣の言葉は分からないが、何やら嘲笑っているような気配を感じる。

 このぉ、生意気な化け物め。人間様をおちょくるとどういう目に遭うか、その身体に教えてやらねば。


 僕は体内に循環する魔力を操作して折れた足の周囲に固定すると、硬質化させて簡易的なギプスを作った。よし、ひとまずこれで問題ない。後でゆっくり治療しよう。


「さあ、ほら。かかってきなよ。僕みたいなちっぽけで片足を負傷した獲物を相手にして暢気に舌なめずりなんて、悪役としても三流のやる事だよ?」


 その挑発が通じたとも思えないが、化け物はやがて焦れたようにじりじりと距離を詰め始めた。首筋にじりじりと濃密な殺気を感じる。今度こそ、ひと思いに僕の息の根を止めようというんだろう。


 幼い僕の身体では、蹴ったり殴ったりは効果が無い。どころか逆効果だろう。ここは魔力を放出して一気に仕留めてしまうのが正解……なんだけど。僕の考えを読み取ったのか、化け物はニヤリと醜悪に嗤うと、突如として大きく雄叫びを上げた。


「ウゥガオオオヲヲンッッ!」

「うわっ、うるさ!」


 あまりの声量に、僕はとっさに両方の耳を塞いだ。――しかし、化け物はただ無意味に叫んだのではなかった。先ほどまで十分に体内を満ちていた魔力が、僕の身体からごっそりと抜け落ちていく。


「あれ、おかしいな……。何だか急に魔力が無くなって……。これは……こいつが吸収しているのか?」


 大気がビリビリと震える。叫び声に呼応するように、周囲を漂う魔力の流れが化け物の元へと収束していく。コイツまさか、この辺りの魔力を片っ端から喰らい尽くす気か?


「魔力が使えなくなれば、僕に勝ち目は無くなる……」


 そう。それが奴の狙いだ。魔力が一切使えなくなれば、幼い僕が武器も無しに立ち向かう事は出来ない。奴はそれを理解した上で、僕から魔力を奪おうとしているのだ。


「やっぱり賢いな、君。これで後は懐いてさえくれれば、ゴルドランの良い部下になると思うんだけどなぁ」


 僕が立ち尽くしている内にあらかた魔力を吸収しきったのか、化け物は叫ぶのを止めて嗜虐的に笑ってみせた。打つ手を無くした小さな獲物を嬲る、ギラリと欲望に淀んだ醜悪な瞳。なるほど、僕は万事休すというわけだ。



 ――実のところ。かつて奴隷だった僕の転生先であるこのルグラン少年の身体には、大した戦闘の素養など備わっていなかった。勿論、それ以前に奴隷だった僕に戦闘の経験などあるはずもない。そんな僕が他人を圧倒する力を付けた理由は、ひとえに幼い頃からひたすらに積んだ鍛錬の成果なのだが。……でも、本当は一つだけ。転生した時に目覚めたと思しき力がある。


「忘れてるようだから、君にはもう一度だけ教えてあげるよ」


 転生したとはいえ、僕は一度死に触れた。その時に冥府の淵から偶然に拾い上げたんだ。黄泉の番人たる、死神の振るう大鎌を。

 ――僕は胸の前に手を当てた。そう、武器はちゃんと此処にある。僕は一気に腕を振り抜いて、僕自身から巨大な鎌を取り出した。同時に溢れ出た仄暗い冥府の闇が、僕の身体を取り巻いて漆黒の衣となる。……これが、悪役になるべくこの世に転生してきた僕の真なる姿だ。


「――本物の悪役は、誰よりも強いってことを、ね!」


 言い終わると同時に地を蹴った。地面と水平に握られた大鎌の刃が、敵の身体を両断せんと迫る。


「ウギャオオオッ……!!」


 大鎌から放たれる底知れない霊気に本能が怯えたのか、獣は背を向けて逃げ出そうとする。しかし、僕はその背を追って加速。真の悪党なら、みすみす敵を見逃したりはしないんだ。そして、瞬く間に追い付いた。獣の胴体を横薙ぎに、僕は大鎌を振り抜いて――。


 ――獣の上半身がどさりと地に落ちる。あれほど硬かった獣の身体は、しかして大鎌による一振りで、呆気なく斬り裂かれた。


「……ふう。終わったかな」


 僕が大鎌から手を放すと、大鎌と衣はまるで、陽に焼かれるようにして大気に溶けていった。冥府の力は太陽に弱い、か。何かの寓話みたいだな。


「あーあ、それにしても勿体なかった。あんなに賢い人型のわんこなんて、上手く躾ければ将来は悪の組織の幹部候補になったかもしれないのに」


 無念に思って首を振る。しかし、よく考えるとあの化け物の元となった男は僕や姉上に並々ならぬ恨みを抱えていた。それを引きずっていたのだとしたら、どのみち決して従わなかったかもな。


 ま、いいか。外はそろそろ父上たちが片付けた頃合いだろうし、これで騒動も幕引きだ。後は勝負に勝った真の悪として、思惑を見事に外した間抜けな二流悪党のグラナンに引導を渡しに行くだけ……。



 ――そんな風に油断しきっていたからだろう。

 僕は、後ろでうごめく大きな影に気付くのが一瞬遅れた。



「若様っ!! 危ないっ!!」



 ドン、と背中を強く押されて、僕は思わず前につんのめった。


 この声は……確認するまでもない。フェニだ。

 フェニの奴め。部屋で大人しく待っているように伝えたのに、さては僕が心配でこっそり出てきたな。ふん……。相変わらず心配性なことだ。


「何するんだフェニ。いきなり出て……き……て……」


 ――そして。振り返った僕が見たのは、僕を庇うように立ち位置を入れ替えたフェニの腹部を貫く、獣の真っ赤に染まった鋭い爪だった。


「あ……うぐっ……」

「――え?」


 一瞬の空白。

 刹那ののちに、フェニは大量の血を吐いて崩れ落ちる。

 僕はそれを永遠に時間が引き延ばされたかのような感覚で眺めていた。


 やがて時は無情にも過ぎ去り、支える力を失った肉体はどさりと地面に倒れ伏す。

 呆然とする意識の中で僕が聞いたそれは、果たしてどちらの音だったのだろう。

 一矢報いて力尽きる獣のものか、それとも。


「フェ、フェニっ!?」


 我に返った僕がとっさに駆け寄ると、フェニは最期の力を振り絞って弱々しい笑顔を向けた。


「わか……さま……。あの時フェニを……ひろってくださって……。うれしかった……です……」


「馬鹿野郎! まるで死ぬ間際みたいな事言うな! い、今すぐ止血をしてやるから……!」


 僕は慌てながら体内の魔力をかき集める。しかし、いったん敵に吸い尽くされた魔力は未だ戻っていなかった。どれだけ願ったところで、フェニの出血を癒せるほどの魔力は残っていない。


「くそっ。くそっ! なんでだ! ちくしょう!」


 無様にも取り乱す僕の頬を、フェニがすっかり冷たくなった手でそっと触れる。


「……フェニは……わかさまといっしょで……しあわせ……でし……た……」


 そして、それきり。

 フェニは動かなくなった。



 ――それからの事を、僕は何も覚えていない。


 ただ、次に覚えているのは。

 フェニのすぐ隣で、魂が抜けたかのように放心する僕を、以前と変わらず愉快そうに見下ろす"彼女"のにやけた顔だった。


「うふふっ。やっほ。久しぶり、だね。 ――奴隷くん?」

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