第13話 変化

 嘘だ、ありえねえ。


 齢十かそこらのガキを相手にしながら俺は、到底有り得ない事態に愕然としていた。さっきから攻撃が当たらねえ。俺が幾度となく拳を振り回しても、このガキはあっさりと避けやがる。


 自慢じゃねえが、俺は筋金入りの荒くれ者だ。若ぇ頃にごろつきどもを引き連れて山賊稼業を始めてから、修羅場は幾度も潜ってる。時には腕自慢と拳で殺り合った事もあらぁ。そんな俺が、一度も触れる事すらできねえなんて事があるか?


「ほらほら、それで終わりかな? 僕はまだかすり傷一つ負ってないけど」

「テメェ……!」


 安っぽい挑発だ。こんな分かりやすい台詞にノってやるほど、俺は馬鹿じゃねえ。


 だが、挑発を無視したところでどうなる。今はチョロチョロとウザったく逃げ回ってるだけだが、こいつは得体が知れねえ。どんな手を持ってやがるか、知れたもんじゃねえんだ。


 チクショウ。せっかくあの女をブチ殺せる力を手に入れたと思ったのによ。

 あの時、あのフードで顔を隠したいけ好かない女が寄越した薬ビン。あれを僅かに飲んだ瞬間の、身体の底から湧き上がってくる力が俺の全能感を奮い立たせた。


 あの薬は絶対にまともじゃねえ。多分、俺の身体を違うモノに作り替えてやがる。全部飲んだ時、俺は絶大な力と引き換えに俺自身じゃなくなるという確信があった。だから、少ししか飲まなかったんだ。それでも与えられた力は強大で、これでようやくあのガキをぶち殺せると思った。


 ところが、現実はこの様か。後一歩ってところで、よく分かんねぇガキに邪魔されて俺は終わるのか。チクショウ。こんな事なら、後先考えずに全部飲んじまえばよかったぜ。今から悠長に飲んでる暇は……ねえよな。クソが。


「ぜえ、ぜえ、クソ……なんで、当たらねえ……!」

「……ねえ。君、これだけやれるのに何でエリク君の下に付いてたの?」

「あ? 何言ってんだ……テメェ……?」


 不意に飛んできた疑問の声に、俺は顔を上げた。

 ガキは純粋に気になったとでも言うように、俺の顔を覗き込んでやがる。


「いや、だってさ。君たちみたいな山賊って、強い奴に従うんでしょ? エリク君より君の方がどう考えても強そうなのに、何でかなって」


 ガキは不思議そうに首を傾げる。はっ。こういう所はただのガキだな。


「チッ……強ぇだけじゃ頭は務まらねえよ。バックに誰が控えてるか、それが重要だろうが」

「ふーん。じゃあ、グラナン・レインメルの後ろ盾があるからエリク君に従ってたってこと?」


 自分が死ぬかもしれないって時に、下らねえことを気にしてやがる。

 ……いや。俺如きを相手にそんな危機感持ってねえって事か。舐めやがって。


「……まあ、どちらにしろ俺たちはアイツに従ってただろうよ。なんせ、俺よりもあの野郎の方が強かったからな」

「え?そう?」


 俺がエリクより強くなったとしたら、それはあの女の薬のせいだ。

 その事を話しちまっていいのか……? いや、どのみち俺はここで終わりなんだ。どうせなら洗いざらい吐いちまうか。


「――俺が力を付けたのは、この薬を飲んだ影響だ。ある日突然俺の目の前に現れた女が渡してきやがった。復讐の手伝いをしてやる、ってな」

「女……? それって、可愛い声した女の子? 飄々としてて、人を小馬鹿にした感じの」


 誰か心当たりでもあるのか、ガキは妙に食いついてきた。なんだ、このガキの知り合いか?


「顔は知らねえよ。フードで隠してやがったからな。……だが、他は間違ってねえ」

「やっぱり! そっかぁ。あの人が君を送り込んできたんだね?」


 俺が答えると、ガキはそれまでの態度から一転して嬉しそうな表情を浮かべた。


「そっか、そっか。彼女がこの男を僕の前に送ったという事はきっと、彼は僕が悪役人生を謳歌するために必要な人材ということ……。いや、どちらかと言えば踏み台ってところかな……?」

「あ? 何わけの分かんねえ事を言ってやがる……」


 意味の分からない独り言をブツブツと呟いている。気持ち悪いガキめ。


「ねえ、その薬の残りを飲んだら、君はもっと悪党らしく、強くて狂暴になるってことでいいんだよね? なら――ちょっと飲んでみてよ」

「は?」


 信じられないような事を言ってきた。このガキ、正気か? 自分たちを殺そうって相手をわざわざ強化しようだなんて、マトモじゃねえ。


「……後悔すんじゃねえぞ」

「ふふ、いいからいいから。いやー楽しみだなあ」


 ……何を考えてやがるのか、ちっとも分からねえ。これがジェネレーションギャップって奴か? いや、単にこいつがイカレてるだけだろうな。


 俺は今か今かと目を輝かせながら待っているガキの前で、懐から薬を取り出した。どうせこのままだと俺はここでこのガキに捕まって処刑か、良いとこ地下牢送りなんだ。チクショウ、お望み通り飲み干してやるよ。


「――ぐっ!? ぐああああぁっっ!?」


 残った薬液を一気に飲み干した瞬間、俺の体に異変が起こった。尋常ではないほどの熱が全身を駆け巡り、皮膚は燃えるように赤くなっていく。汗が滝のように流れ落ち、体中が痙攣し始めた。


「クソがッ、やっぱりヤベェ薬じゃねえか……!!」


 苦痛に顔を歪め、両手で頭を抱える。筋肉が膨れ上がり、皮膚の下で何かが動いているかのように脈動する。骨が軋む音が響き渡り、体が大きく膨らみ始めた。服は次々と裂け、体からは獣の毛が生えてきた。


 手足は大きくなり、指先には鋭い爪が生えてきた。牙が口元から飛び出し、咆哮が喉の奥から漏れる。――段々と人間じゃなくなっていく自分の身体に恐怖を覚えながら、俺は意識を手放した。




「……ヒュウ。まさか、狼獣人に化けるとはね。やっぱり彼女の力って凄いや」

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