第三話「ブラックホールに消えたヤツ」
「ただいま」
剣一が再び家に帰りついたのは夜更けのことであった。
「いやぁ~疲れた疲れた!奏は晩飯もう食べたか?まぁ、もう食べてるよナァ。オレまだ食べてねぇからサ。帰りにピザ買って帰ってきちゃった☆食べたくなったら横からつまんでもいいぞ?残った分は明日の朝ごはんにすればいいし♪」
わざとらしく饒舌な剣一は買ってきたピザを奏に見せつけると、何事もなかったかのようにずかずかとリビングに立ち入って、買ってきたピザをダイニングの上に広げて夕食の準備をし始めたが、その様子は不自然そのものであった。
剣一は虚勢を張って明るくふるまっていたが、汗ばんだ体や乱れた呼吸のリズムにはただならぬ疲労が現れていた。それだけではない。衣服は乱れて煤にまみれ、飲み物やカトラリーを取りに部屋中を動き回るたびにガスの匂いと何かが焦げたような匂いがついて回っていた。
「ケンイチ…なんかあった?」
「…?何もないよ?」
「いやいやいやいや、なんか焦げ臭いし…」
「…きっとピザの匂いだよ」
「ハァ?」
ピザにはきれいな焼き色がついていて、食欲をそそるかぐわしい香りを放っていた。
「焦げ臭いのはアンタだよアンタ。焦げ臭いってか…ちょっとガス臭いし」
「あー…それは…アレだよ…アレ…」
剣一は目を泳がせながら言葉を詰まらせた。バツが悪そうに妹から視線を外し、考え込むようにその場でぐるぐると回るその様子からは何か後ろめたいことがあることが伝わってきた。
しばらくの沈黙ののち、妹の方に向き直り剣一は答えた。
「そう!花火!サークルの仲間と河川敷で花火してたの!」
「花火ぃ?」
剣一の回答に、奏は半ば呆れたように返した。
剣一が長らくサークルに顔を出していないのは奏も知っていたし、そもそもこのベイフロントに河川敷なんてものはない。第一今は花火の季節でもない。
「花火してたらボヤ騒ぎになっちゃってさあ!いや大変だったのよ~」
剣一はあっけらかんとした態度で語ったが、もし本当なら大事件である。こんなところでのんきにピザを食べている場合ではない筈だ。
のらりくらりと誤魔化し続ける兄、剣一に奏はそれ以上の追求をあきらめてしまった。
心配そうに、それでいて困惑したように兄を見つめる妹をよそに、剣一はコップに注いだコーラを一気に飲み干すと、切り分けられたピザの一切れにがっついた。
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「起立。気を付け。礼。」
四時限目終了のチャイムが鳴ると、教室内の空気感が一気に弛緩した。
生徒たちは各々性格のよく似たグループ同士で固まって昼食の準備を始めた。クラス内でもあまり自己主張をしない大人しめの生徒たち。見るからに近寄りがたい雰囲気を放つ生徒たち。そして教室内で最大グループを形成するクラスの中心人物たち。各々が授業や先生の愚痴、趣味や流行り物についてなど、世間話に花を咲かせていた。
一方の奏はと言うと、一人誰ともつるむことなく窓際の席で自分の机に昼食を広げ始めた。その時…
「
教室後方のドアから顔をのぞかせたのは御厨みくであった。
教室のスピーカーから放送部の昼の校内放送が流れ始めていた。
鶴木 奏と御厨 みく、そして後から教室にやってきた藤牧 彩の三人は2つの机を三人で囲んで昼食をとっていた。
「あれ?奏ちゃんコンビニ飯?」
普段三人はそれぞれ家から持ってきたお弁当を食べていた。奏の弁当も普段なら兄が朝用意していたが、今日は奏だけが登校途中にコンビニで昼食を調達していた。
「兄貴今日寝坊してさ…作れなかったんだって」
「ふぅん。珍しいねぇ」
「疲れてたんでしょ。たまにはそういう事もあるよ」
「…何で疲れてたんだと思う?」
この場にいない兄、剣一を気遣う彩の一言に奏が返したのは掴みどころのない問いかけだった。
「…何でって?」
「そりゃあバイトとか…いろいろあるでしょう?」
「この間『兄貴が魔物に襲われたかもしれない』って話ししたの。覚えてる?」
奏は先日の一件についてすでにほかの二人に相談していた。
「うん、奏がタクト家に忘れてきたときのことでしょ?」
みくは悪戯っぽく笑って答えた。彩の方を見ると同じようにニヤニヤしている。
あの日、奏がソルシェルタクトを忘れたことに気づいたのは学校についてしばらくたってからのことだった。二人がタクトを掲げているのに、自分だけがそれまで持っていたボールペンを掲げたことを、彩とみくから事あるごとにネタにされていた。
「それは…!」
「よくないよぉ。街を守る正義の味方、魔封少女としてのコケンに関わることだよ?」
みくに持っていた箸を突き付けられた奏は恥ずかしそうに目を背けた。
「で、それが何か?」
話がそれると感じた彩が本題に戻した。
「…また兄貴の奴がボロボロで帰ってきたんだよ」
奏は再び神妙な面持ちに戻って言った。
「ボロボロって…あの時みたいに?」
「ケガとか大丈夫だった?」
みくと彩にとって兄、剣一はあくまで魔封少女として守るべき人々だ。二人はそれぞれ心配そうに奏に尋ねた。
「それは大丈夫だった…なんかガス臭かったけど」
「ガス?」
「ガス臭いっていうか…焦げ臭いっていうか…」
「どっちよ」
奏の語り口はどこか歯切れが悪かった。
状況から考えれば兄、剣一は魔物に襲われたと考えるのが奏にとって自然だった。ではなぜ運よく二回とも助かったのだろう?逃げ切れたからだろうか?自分たち以外の魔封少女に助けられたからだろうか?しかしもしそうなら襲われたことを隠す理由はないはずだ。だが剣一はそのことについて深く語ろうとしない。そんな剣一に奏は大きな違和感を感じていた。
しかし、そんな胸の内の引っかかりをうまく言葉にすることもできなかった。
「…まぁ、何であれ無事でよかったね。」
そんな風に微笑みかけるみくの言葉にも、奏は煮え切らないような表情を浮かべた。
「もしかしたら…、ウワサの“一之谷の亡霊”が守ってくれたのかも?」
「“イチノタニの亡霊”?」
「おっ、うまそうなもん食ってんねぇ」
三人の会話は割って入ってきた来客に断ち切られた。
三人が声のした方を向くと、みくと彩は驚愕した。そこにいたのは身長180㎝程の美青年、蒲生蓮司だった。
蒲生蓮司、3か月ほど前に三人の通う学校に転入してきた転校生で、今話題のサッカー部が誇るエースストライカーだ。
彼は入学後、サッカー部に入部してすぐに頭角を現し、僅か2週間でスタメン入り、初めての練習試合ではたった一人で大量得点を獲得し、成績の振るわないサッカー部を一躍県内屈指の強豪校にまで押し上げた立役者だった。
容姿端麗にて文武両道。才色兼備を絵にかいたような人物で校内でも注目の的だった。
突然のスターの登場に、奏ら三人のいた教室は騒然となる。
「そのお弁当手作り?」
蒲生蓮司はみくの弁当に視線を落として尋ねた。
「…ぇっ、あぁ…その……ワタシノ…テヅクリデス…」
彼の問いにみくは答えた。いくら同じ学校の生徒と言っても、雲の上の存在だと思っていたスターに突然話しかけられたみくの口調は緊張で強張っていた。
横に座っていた彩に至っては完全にフリーズしていた。
一方心中で彼に対する不信感を抱いていた奏は、『関わり合いになるのはゴメン』とばかりに窓の外へと視線を外した。
「じゃ、一口…」
蓮司は弁当の中のおかずを一品つまむと口の中に放り込んだ。
「うん、美味しい!料理上手だね」
「フダンカラ……カゾクノ……オミセノ……オテツダイ……シテマスカラ…………」
「へぇ、それでこんなに上手なんだ」
いくら色恋沙汰への興味が薄い御厨 みくであっても、人並みのミーハー心は備えていた。以前、もし仮に学校のスターである蒲生蓮司の彼女に告白されたら即OKする。と彩と奏に語っていたし、蓮司の彼女として過ごす日々を妄想したこともあった。
しかし、いざ蓮司を目の前にするとみくの体はがちがちに緊張してしまい、そのやり取りもどこかたどたどしいものになってしまっていた。
そしてそのやりとりを横目で見ていた奏には、内心で抱く不信からか自分たちを見る蒲生 蓮司の視線が何か邪なものに感じられた。
「また君のご家族のお店にも遊びに行こうかな」
そう言い残すと、蓮司は奏たち教室から去っていった。
「あ゛っ!アイツよりによって長芋のはさみ揚げ食っていきやがった!楽しみにとっておいたのに!」
みくは蓮司につまみ食いされた弁当を見て我に返った。
基本的に御厨 みくは『色気より食い気』の生き物であった。
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「また一人、魔封少女が戦いに倒れたそうな」
背広姿の男は重苦しい口調で口を開いた。
「嘆かわしいことだ…………」
似たような背格好をした別の男はそれを嘆いた。
薄暗いガード下には似たような背格好をした男が数人集まっていた。
コンクリートの壁はどこにでもあるような落書きで埋め尽くされており、古びた蛍光灯が発する光は弱弱しく、近寄りがたい怪しい雰囲気が通行人の立ち入りを拒む、密談にはもってこいの空間であった。
男たちは背広の上からコートを羽織っており、着ぶくれのせいで体格はみな一様で、かぶったハットと薄暗い空間で表情も顔の骨格の違いも不明瞭であった。
「…やはりカトラールやガーラのようにはいかんか」
「あの者たちの才覚は格別。あれほどの逸材はそうそうおるまい」
「しかしこの街にはマトモに戦える者があまり少ない」
男たちの口からは自然と御厨 みく、ソル・シェ=カトラールたちの名が出た。
魔封少女として戦い始めて以来数多の魔物たちを討伐した御厨 みく、鶴木 奏、藤牧 彩のスリーマンセルの実績は圧倒的であり、男たちにとって注目株ともいえる存在であった。
「…して、その魔封少女を喰らった魔物はどうなった?」
「件の“鎧武者”が倒したそうな」
“鎧武者”というワードが出たとたん集会の参加者は皆一様に憤懣やるかたないといった様子でため息をついた。
「忌々しい……」
「あのような者に……」
「問題なのは、我らの叡智が異界の者どもに漏れ出したことだ。あの鎧武者の存在の意味するところはそれだ」
「何か手を打たねば……」
「しかしいったい何故」
「消えた“4人目”がかかわってのではないか?」
男たちの内、一人が指した方角にはちょうど一人分のスペースが明けてあった。しかし、そこに本来いるはずの“4人目”はこの集会にはいなかった。
集会の参加者全員がその無人のスペースを見つめた。
「そんなまさか……」
「有り得んな。」
参加者たちは異口同音に否定した。特段根拠があるわけではなかったが、参加者たちは確信していた。
「それで、代わりの魔封少女はどうする?」
一人の男が議論をまとめにかかる。
「すぐに手配するさ」
「…鎧武者の方は?」
「私が当たろう。まずは籠手調べが必要だろう?」
男たちの会話は、上を通る車の雑音にかき消された。
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下校途中の奏たち3人を、ソルシェルタクトの音色が呼んだ。
魔封少女としての闘いはいつも突然に始まる。登校途中、昼休みの時間、お風呂上り、ある時はタクトの音色で真夜中に起こされ、ある時は魔物の襲撃で貴重な休日を台無しにされ、時には全校集会や定期テストを中座する羽目になることもあった。最初のころは時間も場所も選ばない魔物たちに振り回さていたが、今の彼女たちは魔物たちとの戦いもまた、自分たちの日常として受け入れていた。
「奏!彩!行くよ!」
「おう」
「うん!」
そして今日もまた、3人は街を脅かす脅威と戦うべく、シュトラールリングの光が差す方向へと走り出した。
リングの光が差していたのはとある工事現場だった。
用途こそ今の段階ではわからないもののかなりの大規模な建築物で、すでにコンクリートで建物の大まかな輪郭は形作られていた。
それほど大規模な工事現場なら、重機を使わずとも何かしらの作業音は響いているはずだが、現場は不自然なまでに静まり返っており、素人目にも何かトラブルがあったことを感じさせる異様な雰囲気に包まれていた。
「なんでわかってくれないんですかぁ!」
「虫ですよム・シ!もうこんっっっっっっっっっっっっっっっっっなにデッカイのが!」
「大の大人が虫ぐらいでギャーギャー騒ぐな!さっさと持ち場に戻れ!」
入口のゲート付近では作業服の男二人がその上司と思われる男に泣きついていた。
奏たち3人はそこはかとなく男たちの会話に聞き耳を立てた。
「ホラ!コレやるからさっさと始末して来いよ!それで解決だろ?」
「いやいやいやいやいやいや!そんなん一本あっても殺せませんて」
上司が差し出した殺虫剤を払いのけて、男二人はなおも訴えかけた。
「もうね!もうデェェェエェェェェェッカイんですよ!」
「もうなんだろうなぁあアレ!もう…ユンボユンボ!ユンボぐらいデッカいの!」
「何言ってんだよ…」
男たち二人のおびえ方は尋常ではなかった。
奏たちも虫に遭遇しておびえる気持ちはよくわかるが、二人の様子から感じられたのは嫌悪感よりも恐怖心であった。
そんな二人の懸命な訴えにも、上司は聞く耳を持とうとはしなかった。
「あの…何かありましたか?」
みくがとぼけた様に男たちに尋ねた。
「虫だよ虫!地下にメッチャクチャデカいのがいるんだよ!」
「お嬢ちゃんも早く逃げな!その方がいい!」
「私たちにも見せてくれませんか?その虫…」
男たちは思いもしない返答にキョトンとした表情で顔を見合わせた。
「…何言ってんの?」
「関係者以外は立ち入り禁止だ!ほら!散った!散った!」
みくは何とかして押し通ろうとしたが、男たちに制されて工事現場から歩道に弾きだされた。
「…なしのつぶてってカンジですねぇ」
「『ツブテ』って何よ?梨はわかるけど」
彩の言うように作業員たちの判断がいたって常識的なものであることを奏たちもよく理解していた。
突然現れて見ず知らずの女学生を自分たちの仕事場に易々と立ち入らせてくれるはずはなかった。まして非常事態ならなおさらである。
しかし、男たちの言う『デカい虫』が今回現れた魔物なら、現場の作業員たちに危害が及びかねない。何とかしなくては…
「アッチに裏道がある。あそこから忍び込もう」
奏は工事現場の隣家を指さして言った。
「…裏道?」
「あの家のブロック塀。フェンス見たくなってるところがちょっと低いっしょ?あそこから上って塀の一番高い部分まで行ければ工事現場の囲いを乗り越えて忍び込めると思う」
保育園時代は男児顔負けのわんぱくさで保育士たちを困らせてきた奏にとって、このような抜け道を見つけるのは簡単なことだった。
奏は迷うことなくブロック塀に足を掛け塀を上りはじめた。
みくは一瞬躊躇したものの、ほかに方法がないことを悟ると意を決して塀を上り始め、彩も渋々それに続いた。
「あー制服ドロドロになった…」
「カーディガンにひっつきむしついてる…」
工事現場に忍び込んだ3人は奏を先頭に建物の地下へと足を進めた。
彼女たちが進む廊下は3階まで吹き抜けになっており、向かって右側は仕切りで小分けされた小さな空間が続いていた。左側はガラス張りになっており、差し込む夕焼けがむき出しのコンクリートをオレンジ色に染めつつ3人を照らしていた。
先頭の奏はすでに魔物が地下から移動している可能性を考慮して、移動しながらも周囲への警戒は怠らなかった。奏は辺りを見回したが、魔物どころか人の気配一つ感じられなかった。
今のところまだ地下から動いていないようだ。
「げっ、タイツ伝線してんじゃん…」
「あー靴下にもひっつきむしいる…」
「手ェヒリヒリする…めっちゃ汚いし…」
「ボタンとれてる…どっかでひっかけたかなぁ…」
みくと彩は奏に抗議するように大きな独り言を言いつづけていたが、奏はすべて無視して先を急いだ。
開放的な空間だった地上とは打って変わって、地下は薄暗く閉鎖的な空間であった。
辺り一面の景色を覆うコンクリートの灰色と暗闇の黒、そして規則的に並んだ柱が、見る者の方向感覚を狂わせ、この無機質な空間がどこまでも続くような錯覚を起こさせた。
そんな空間を奏たち3人はスマートフォンに内蔵されたライトの明かりを頼りに進んでいった。
3人の足取りはいつどこから襲い掛かってくるかわからない魔物への警戒心から、より一層慎重なものになっていた。
「あの…虫ってもしかしてコレ?」
彩が一本の柱を指して言った。
柱には一匹のハエが止まっていた。それは確かによく見るハエよりも一回りも二回りも大きかったが、それでも親指ほどの大きさだった。
「なぁんだ、これなら大したことないじゃん。殺虫スプレーでも撒いてやれば…」
「いや…多分アレだ」
奏が指さした方向へ向き直ると、そこには天井に届きそうなほど巨大な甲虫が柱にしがみついていた。
3人は3方向から甲虫を取り囲むようににじり寄っていった。
「寝てるのかな…?」
「さっさと仕留めて佃煮にしてやりましょ♪」
「食えるかよこんなの…」
3人がそれぞれ甲虫の半径5メートル以内に立ち入った瞬間、それは目を覚ました。
柱から離れた甲虫は前身の外骨格や両手足の関節を軋ませ、人間に近い姿かたちに変形して3人の方へ向き直った。
「…やばい!」
3人はそれぞれ身構えた。
「よし!行くよみんな!」
「おう!」
「うん!」
みくの呼びかけに奏と彩がそれぞれ呼応した。
「ドレスアップ!ソル・シェ=カトラール!」
「ドレスアップ!ソル・シェ=ガーラ!」
「ドレスアップ!ソル・シェ=クィル!」
3人がそれぞれ鍵状のソルシェルタクトを握った手を、シュトラールリングを付けたもう片方の手でかざすと、タクトがステッキ上の形状に変化した。
そしてステッキに変化したソルシェルタクトで空中に魔法陣を描くと、描いた魔法陣から帯状の布が無数に飛び出し、3人の体の上で縫い合わせられそれぞれの装束へと変化していった。
3人はそれぞれ魔封少女へと変身すると、散開して戦闘態勢に入った。
先陣を切ったのはガーラであった。
角笛を吹いて衝撃波を飛ばし、甲虫へと攻撃した。しかし、いずれも命中することはなかった。
「ッ早い!?」
甲虫は背中からはやした羽で数十程センチ浮遊し、柱と柱の間を滑るように縫って縦横無尽に動きまわった。
目の前の甲虫はハエややぶ蚊の何十倍、何百倍もの大きさであったが、そのスピードは何らそれらと遜色なく、ガーラは照準をまったく定められず翻弄された。
ガーラは攻撃の手を緩めなかったが、いくら続けてもすんでのところで回避する甲虫相手に、彼女の照準は焦りといら立ちから次第に雑になっていった。
そして甲虫が弾幕の一瞬の隙をついて放った蹴りが、ガーラの胸部にめり込んだ。
「ガーラ!」
甲虫はガーラの胸を足場に方向を急転換し、カトラールに襲い掛かった。
カトラールは初撃のチョップをすんでのところで回避し、体勢を立て直して手にしたナイフで突きを繰り出した。
甲虫はカトラールの突きを大きくのけぞって連続で回避し、カトラールの足を掬おうと回し蹴りを繰り出した。
カトラールは回し蹴り回避しようとして俄かにバランスを崩したもののすぐに立て直し、すぐに飛んできた甲虫のパンチをいなしてカウンターを繰り出した。
一方のクィルは攻めあぐねて二人の闘いから蚊帳の外になってしまっていた。
壁を作って防御しようにも甲虫の猛攻が激しく割って入るスキはなく、天井の低い地下空間では足場を作ったとてどうともできない。
3人にとってはフィールド自体が魔物側に有利な状況を作り出しているともいえた。
攻めあぐねるクィルの様子を察知した甲虫は、矛先をクィルへと変えた。
油断していたクィルはあっさりとマウントポジションをとられた。
嚙みつきに来る甲虫の口に、クィルは持っていたペン状のステッキを噛ませて抑え込んだ。両腕で力いっぱいステッキを押さえて、甲虫の頭を必死で遠ざけたが、少しでも気を抜けばたちまち力負けする危うい状況だった。
クィルは自分の両腕に乳酸がたまり、じわじわと疲労していくのを感じた。このままでは長くはもたない…
「クィル!」
クィルに覆いかぶさる甲虫に向け、ガーラが衝撃波を放った。
放った衝撃波は甲虫の体に2、3発命中し、甲虫の体はクィルから引きはがされた。
「クィル!大丈夫!?」
カトラールとガーラはクィルに駆け寄った。
前方を向き直ると、ひるんだ甲虫はすでに暗闇の中に姿をくらませていた。
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工事現場のプレハブ事務所に、粗末な引き戸をたたく音が響いた。
作業員が扉を開くと、そこには物腰柔らかな印象の青年が立っていた。
「港湾防災局 のものです。『虫』の件でご連絡いただきましたので参りました」
青年は『いかにも』な身分証明書を見せつけて言った。
責任者の男が応対のために青年のもとへ向かった。
「あぁぁ…わざわざご苦労様です」
「出現したのは工事現場の地下だと聞いていますが間違いありませんか?」
「えぇ…そうです」
「わかりました。ではすぐに駆除作業に入りますので、作業員の皆様を退避させてください」
港湾防災局の関係者を名乗る青年は半ば強引に話を進めた。
「…全員ですか?」
「駆除には強力な殺虫剤を使用します。うっかり吸い込むと人体には有害ですので…」
青年はもっともらしい事を言って責任者に退避を促した。
責任者の男はこの青年の言動にいくつか引っ掛かりを感じていたが、従うことにした。
責任者の男は、作業員たちを集めながら、現場に入ってきた『港湾防災局の関係者たち』の様子を眺めていた。
男は彼らの様子に違和感を感じていた。最初に尋ねてきた青年がどちらかと言うとベンチャー企業にいるような、役所の人間にしてはかなりラフな格好をしていたのに対し、引き連れてきた部下の格好は警察の機動隊や特殊部隊のような物々しい格好をしていた。
そして青年は『人体には有害な殺虫剤を使用する』という自分たちへの説明に反し、ラフな格好のまま建物の内部へと入っていった。
(…まぁ、一応役所の人間みたいだし、悪いようにはしないだろう)
責任者の男は首をかしげながらも、作業員たちとともに現場から立ち去って行った。
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カトラールたち三人は背中合わせになり、周囲を警戒していた。
三人はこの地下空間を探し回ることも考えたが、自分たちと比べて機動力で大きく上回る相手に、下手にバラバラになって行動すれば返って不利だと判断した。
暗い地下空間に響く羽音が、段々と大きくなってきた。あの甲虫が、再び自分たちに近づいてくる。カトラールたちは身構え、耳を澄ませたがどこから来るのかまではわからなかった。
不意に、後方の暗闇から甲虫が飛び出してきた。ガーラに一撃を加えると、ガーラたちがその姿をとらえる間もなく、すぐに暗闇の中に消えた。
再び、今度は側方の暗闇から甲虫が飛び出し、カトラールに一撃加えた。
ガーラは直ぐに反応し甲虫を攻撃したが、当然のようにすべて回避され、暗闇の中に逃げられてしまった。
甲虫は地の利を生かして、ガーラ達にヒット&アウェイを繰り返していた。このまま攻撃が続けば、ガーラ達が追い詰められていくのは明白だった。
三人はそれぞれ少しでも早く気配を感じとるべく、神経を研ぎ澄ました。
「このままじゃジリ貧だ…どうする…」
「……!私に考えが!」
クィルがそう言うと、二人の周囲を走り回り始めた。
「クィル!?」
「いったい何を…」
クィルは走り回りながら、自分たちの周囲を取り囲む柱と柱の間にランダムにステッキを走らせた。
カトラールとガーラが困惑していると、地下に響く羽音が再び大きくなり始めた。三人の間に緊張が走る。
「来る…!」
甲虫が三度、三人のもとに迫っていた。カトラールとガーラはそれぞれ身構えた。
一方クィルはいまだに二人の周囲をぐるぐると回っていた。
「クィル!」
「何してるの!?敵がくるよ!」
二人の呼びかけを意に介さず、クィルはステッキを振るいながら二人の周囲をぐるぐると回り続けた。
不意に、側方の暗闇に異形の顔面が浮かび上がると、一瞬のうちに甲虫が姿を現した。
甲虫は大きな羽音をたてながら、猛烈な勢いで3人に迫った。
そしてカトラールたちの周囲の柱にまで迫った瞬間、甲虫は身動きを封じられた。
三人が身じろぎする甲虫に恐る恐る近づいた。甲虫の様子を注意深く観察すると、その全身に細い糸が絡みついているのが見て取れた。甲虫が絡みついた糸を振りほどこうともがくたびに、糸は甲虫の全身に深く食い込んでいった。
「これ…クィルがやったのか?」
「私たちがここから動かないなら、罠を張るのは簡単だと思ったの。甲虫が攻撃するにはこちらに突っ込んでくるしかないから…」
甲虫がカトラールたちを攻撃しようと近づいたのは、むしろクィルの張った罠に飛び込む行為であった。
クィルはカトラールとガーラの周囲を走り回りつつ周囲を取り囲む柱と柱の間にステッキで生成した糸を張っていた。クィルが何周、何十周とカトラールたちの周りを走り回るたびに、張られた糸は幾重にも折り重なり、カトラールたちの周囲には網が形成されていった。そうして柱と柱の間に張られた網に、甲虫は自ら飛び込んだのだ。
「じゃ…トドメ行きますか」
カトラールが構えたとたん、暗闇からもう一匹の甲虫が飛び出した。
「何ィ!?」
「に…、二匹目!?」
二匹目の甲虫は一匹目が網にかかった箇所から網の中に入り込み、カトラール達の前に姿を現した。そして二匹目の甲虫は、カトラール達をよそに、網にかかった一匹目の甲虫にかじりついた。傷口から血が噴き出し、かじりつかれた甲虫は痛みと自らの運命への恐怖からかつんざくような悲鳴を上げた。
「と、共食い…」
3人の目の前で目を背けそうになるほどの悍ましい光景が広がった。
甲虫の周囲には血だまりが広がっていった。二匹目の甲虫は残滓をまき散らしながら両手についた鎌で器用に網にかかった甲虫を解体し食べ進め、すべて平らげると、カトラール達を品定めするように順繰りに凝視した。
そして、最初のターゲットを見定めると、ソル・シェ=クィルに襲い掛かった。
「クィル!危ない!」
次の瞬間、クィルと甲虫の間で天井に大穴が開き、崩れた天井から現れた鎧武者により、甲虫はコンクリートの地面にたたきつけられた。
瓦礫とともに地下に降り立ったのは、曲線が複雑に入り組んだ鈍く光る藍色の甲冑に身を固めた鎧武者であった。
「目標確認。事前情報通り甲虫型の
鎧武者は散乱した瓦礫を足で払いのけながら甲虫に歩み寄り手にした槍を甲虫に向けて構えた。
甲虫は体勢を立て直すと、標的をひとまず目の前の鎧武者に変え両手の鎌を振るい襲い掛かった。しかし、槍を持った鎧武者と甲虫ではリーチの差は歴然であった。甲虫の鎌が鎧武者に届くよりも先に、鎧武者の槍が甲虫の腹を貫いた。
一度はひるんだ甲虫はなおも果敢に鎧武者に飛びかかった。しかし、鎧武者は甲虫の足元をスライディングで潜り抜け背中に回り込み、槍を廻して勢いをつけ甲虫の背中を切りつけた。
甲虫は「これならどうだ」とばかりに背中の羽を広げたが、先ほど鎧武者に背中もろとも切り刻まれた羽からは、もはや十分な浮力も推進力も得られなかった。
鎧武者は不利を悟って退却せんとした甲虫に槍を振るい、クィルが網を張った方向へと追い立て、甲虫を網に絡みつけ身動きを封じた。
そして、鎧武者は地面に槍を突き立て勢いをつけて高く飛びあがり、甲虫の顔面に蹴りを入れて転ばせた。
甲虫はなおも逃げ出そうとしたが、全身に網が絡みついた甲虫は最早自力で起き上がることすらかなわなかった。
「さて、仕上げに入ろうか」
鎧武者は一言、くぐもった声を出すと槍の穂の根元についたトリガーを引いた。
槍の穂が真っ赤な光に包まれると、面頬が開いて廃熱口から熱が噴出し、前立を模したバイザーの奥の瞳が光った。
鎧武者は穂先を怪物に向けて突き出すと、鎧武者の姿が一瞬消え、赤黒い閃光が甲虫の体を貫いた。
鎧武者が甲虫の真後ろで再び姿を現すと、甲虫の脇腹には大きな風穴があき、甲虫は断末魔を上げて爆ぜた。
カトラール達3人は鎧武者の戦いぶりを、ただ観客のように傍観することしかできなかった。
「“一之谷の亡霊”だ…」
クィルは口を開いた。
「え…?」
「ここ最近ウワサになってるんだよ…昔この辺りであった合戦で死んだ武将の幽霊が出て夜な夜な街にはびこる物の怪と戦ってるって話…」
ガーラは目の前の鎧武者に視線を向けた。
鎧武者のこの世のものとは思えない妖しい雰囲気を放つ甲冑、そして先ほどの闘いでみせた確かな経験を感じさせる落ち着いた立ち振る舞い、紛れもなく『亡霊』のような不可思議な存在としての風格を感じさせるものだった。
目の前の鎧武者は今しがたクィルが張った網に近づいて3人に尋ねた。
「この罠、仕掛けたのは誰だ?」
鎧武者の問いかけにクィルが恐る恐る手を挙げて答えた。
「わ…私です!」
鎧武者は手を挙げたクィルのほうを向くとゆっくりと歩み寄っていった。
地下空間に響く鎧武者の足音がクィルに迫った。
得体のしれない鎧武者が近寄ってきたのに反応して、クィルが戦慄いたようなしぐさを見せると、鎧武者はしゃがみ込んで視線を合わせて言った。
「よく考えたな。おかげ随分楽にあの虫ケラを倒せた。ありがとな」
鎧武者はクィルに一言お礼を言うと、ごつごつとした籠手でクィルの頭を撫でた。
「…よし!帰るか」
鎧武者は立ち上がって伸びをすると、地下空間の暗闇へと向かっていった。
「…待って!」
ガーラは鎧武者を呼び止めた。
「私の兄を…鶴木 剣一を知りませんか?」
鎧武者は一瞬立ち止まったが、ガーラに一瞥もくれず、地下空間の暗闇へと消えていった。
RAI-GOH 魔封少女代理人 枕 蔵人 @makurano_kuland
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