第30話 フレンチビュッフェ
京橋のバス停でレイクラインを降り、歩いてホテルに戻ってきた。ホテルに着いたらまずは部屋へ。お風呂などのホテル内移動の為に持ってきた小さい手提げバッグに、お財布とスマホとハンカチ・ティッシュを入れ、急いで部屋を出ようとして、やっぱりと思って目薬を差した。目が乾燥していて充血気味だから。ここまできて、数秒急いだところでそう変わりはあるまい。
部屋を出て、エレベーターに乗り込み、7階のボタンを押した。6階にいたのですぐ7階の扉が開く。だが、うす暗い。それに見た目が6階と同じ。普通のお部屋しかなさそうだ。あれ?どう考えてもおかしいぞ。エレベーターを降りかけたが、すぐに戻り、エレベーター内の各階の表示をよく見てみた。すると、7階も客室となっている。何か勘違いしているぞ。もっと上の階にもレストランはなさそうだ。という事は、別館ではなく本館にあるのか!しまった!また1階へ降りなければ。
1階へ降りて、別館から本館へ移動した。そして本館のエレベーターに乗った。中に各階に何があるかの表示があったが、レイクビューレストラン「キャンドル」は9階だった。うわぉ、何も合ってない。9階のボタンを押した。落ち着こう。もう大丈夫だ。はあはあ。
9階の扉が開き、出るとすぐにレストランの入り口だった。部屋番号などを告げると、
「夏目様、ご予約ありがとうございます。」
と、丁寧に言われ、席を案内された。もう18:20になっていた。でもまあ、許容範囲内だったかな。これくらいの遅刻で済んで良かった。
レイクビューというだけあって、レストランに入ると前面が広い窓になっている。目の前には宍道湖。9階なのでなかなか眺めが良い。その、広い窓の方を向いて座る、カウンター席のようなところへ案内された。私の名前と「本日はありがとうございます レストランのお料理は全て手作りです シェフが一品一品心を込めて作りました candleで素敵な時間をお過ごしください」と手書きの文章まで添えられたカードが、コルク栓で作られたカードスタンドに挿してあった。
ホテルのビュッフェ会場と言えば、だだっ広くて、子供がわちゃわちゃしていて、なんていうイメージを持っていたのだが、全然違った。意外と狭いレストランで、お客は2~3組しかいない。
そこへ、ギャルソンが現れ、丁寧にお辞儀をし、
「夏目様、本日は、ご利用ありがとうございます。」
と言った。そして、ビュッフェの説明をしてくれた。1つ1つ小さい器に入っているので、それをお皿の上に手で取っていただく、などなど。そのギャルソンの丁寧な物腰に、少々引け目を感じた。入り口でご予約ありがとうございますと言われた時からうすうす感じていたのだが、ちょっと場違いな靴を履いているような、服装もけっこう場違いのような気がしてくる。ジーンズでなかった事がせめてもの救いか。こんな私が来てよかったのか?でも仕方がないではないか。旅行中はたくさん歩くから、スニーカーで来るしかないではないか。でも、ヨーロッパに新婚旅行で行った際には、ディナークルーズのためにドレスとハイヒールを持参したっけ。そういや、夫がスーツを持ってきたのにワイシャツを忘れ、パリのデパートで買ったっけな。サイズが分からなくて、適当に買ったら袖がやたらと長くて……まあ、その話はまたどこかで。
たとえ場違いな自分が高級感漂う接客をされても、ちゃんと飲み物を注文し、マナー良く食べて、お金を払って帰れば許されるのが日本ではないか?特に観光地では。それにしても、この高級感はビュッフェとは思えない。なんというか……流石だ。素晴らしい。
ギャルソンの説明は非常に長かった。ビュッフェの説明が終わると、次に本日のメインの説明があった。メインだけは運んで来てくれるそうで、本日のメインは臭みのないラム肉を手に入れて、6時間だったか、長時間かけて火入れをしたというお肉だそうだ。更に、
「お酒は召し上がられますか?」
と聞かれた。少し、と言ってメニューを見た私は、奥出雲ワインと書いてある白ワインを注文した。すると、
「白しか書いていませんが、赤も奥出雲ワインがありますが。」
と言われた。そして、
「メインがお肉ですので、赤の方がよろしいかもしれませんね。」
とギャルソンは言う。それで、
「これ、1杯どのくらいの量ですか?」
と聞いたら、120ミリリットルくらいだと言う。
「じゃあ、赤と白両方で。」
と言うと、ギャルソンは眉を挙げて驚いていた。え、そんなに驚くほどの量ではないでしょ。少し飲むと言ったのにって事か?とにかく、先に白ワインを持ってきてもらって、メインの頃には赤ワインを持ってきてもらう事になった。
やっとビュッフェ開始だ。席を立ち、お料理を取りに行った。ちなみに、最初にお品書きと割りばしがテーブルに置いてあったので、ギャルソンが来る前に見ておいたのだが、季節の冷前菜、季節の温前菜、季節の魚料理、季節の肉料理、とカテゴリー分けされていて、それぞれお料理の長い名前がたくさん書いてあった。だから、何となく何があるのかは理解していたつもりだったが……。
とにかく、端から見て行った。普通お盆だが、今日は白くて丸いお皿を持つ。そして、それぞれ小さいガラスの器に入ったお料理を、手で掴んで自分のお皿に乗せて行く。1つがとても小さいので、これはほぼ全種類食べられるだろうと思った。最初は白ワインなので、魚料理を取った。パスタなどもあって、これは後で食べようと思った。
席に戻ると、白ワインのグラスが置いてあった。早速写真撮影だ。ちょうど時刻は18時半。そろそろ日没だろう。そういえば、宍道湖に沈む夕日が見られるかもしれないと思っていたが、どうも地平線辺りに雲が連なっているようで、その雲が少し赤くなっているのだが、残念ながら湖に沈む夕日は見られなかった。という事は、今まで県立美術館にいたとしたら、損した気分になっていたかもしれない。それでも、夕暮れ色の空と雲、グレーがかった水色の湖は、とても美しい。そんな美しい景色を目の前にし、もちろん写真撮影も済ませ、ワインとお料理を楽しんだ。
「うまっ!」
思わず、小さい声で言ってしまった。それぞれ少しだが、それがまたいい。美味しい。さすがフレンチ。見た目もキレイだ。
10分ほどして、メインのラム肉がやってきた。ギャルソンも小さいと言っていたが、確かに小さい。お肉の上にグリーンピースと砕いたナッツが乗っている。おしゃれだ。そして、赤ワインもやってきた。え?これが120ミリリットル?なんか、白ワインよりもたっぷり注いでくれたような。いや、絶対そうだ。重たい。
おやおや、赤ワインはすごく独特な味だ。白ワインは、爽やかで飲みやすい味だったが、赤ワインは独特。フランスワインともチリワインとも全然違う味がする。けれども確実に美味しい。きっと高級なワインなのだろう。2杯頼んだから量をサービスしてくれたのだろうか。赤の方がきっとお高いに違いない。
ただ、ラム肉に合うかと言われると、私としてはイマイチ。というのも、臭みのないラム肉と言っていたが、お肉を食べた後にワインを飲むと少し臭みを感じてしまった。私は、例えばレバーを食べた時にも、その時には臭みが気にならないのに、その後赤ワインを飲むと、臭みを強く感じてしまったりするのだ。鼻が敏感なので、他の人とは違うかもしれない。でも、ラム肉は柔らかくて美味しかった。
またお料理を取りに行った。すると、さっきは気づかなかった場所に、実は冷前菜たちがあった。これは先に食べるべきだったと思いつつ、それらも取る。お肉料理も取る。すると、さっきのギャルソンがいて、パンがお勧めだと言う。朝食のビュッフェにはないパンだとか。私は朝食のビュッフェを食べていないのだが。せっかくお勧めされたので、1個もらうと言うと、ギャルソンがトースターで温めてくれた。
席に戻る。前菜だったはずのわかめのポタージュとか色々食べたが、それらは余計だったかもしれない。一方、お肉料理はお肉よりも、一緒に煮てある角切りのカブがとても美味しい。さっきのラム肉に乗っていたグリーンピースも美味しかったし。お肉の旨味を吸っているのかも。それから、チーズとかポテトなどを使ったペースト状の物がすごく美味しい。グラタンも舌鼓を打ってしまう。お勧めされたパンも絶品。
いやー、満足だ。ワインも飲み終わったし、デザートに行こう。というわけで、デザートを取りに行く。ギャルソンと話をした。私は全部美味しいです、と言った。嘘偽りのない言葉だ。お世辞ではない。それからワインの話も色々した。一人旅でも、こうやって話す機会があるものだな。そういえば、先程から私の2つ隣の席にも女性の一人客が座っている。今時、女性の一人旅、一人飯は珍しくないのだ。
デザートも1つ1つは小さいので、全種類いただいた。飲み物は、ルイボスティーがあったのでそれを。カフェインレスのお茶をゲットできた。本当はコーヒーが欲しいのだけれども、ルイボスティーもなかなか美味しいのだ。
デザートの、イチゴアイスのように見えるものはムースだった。甘酸っぱくて美味しい。ベイクドチーズケーキは悶絶するほど美味しかった。抹茶のテリーヌ、だったか、これはねっとりしていて美味しかった。抹茶はカフェインが入っているけれども、お菓子に入っている量は少ないし、しかもとても小さい一切れなので、これくらいなら大丈夫だ。
1人で、あー美味しい、悶絶―!などと思いながら食べ切った。本当は、家族など気の置けない人と「美味しいね」と言いながら食べたら幸せだけれども、美味しくないと言われたり、お料理と関係ない話ばかりされたりしたら、むしろ邪魔だ。1人なのは幸せ度も低いが、リスクがない。自分の好きなようにお料理に没頭できる。以前は、周りが気になって、周りからどう見られているかが気になって、1人でいると余計に食べ物に集中できなかった。それは、1人で食べている人が珍しいから、寂しい人だと思われるから、という前提があった。今はその前提がない。だから、一人飯はなかなか良い物になった。
食べ終わり、支払いはホテルをチェックアウトする時にという話をつけ、ごちそうさまと言ってレストランを出た。出た直後、パスタを食べ忘れた事に気づいた。パスタは2種類あったのだ。ほんの少しずつでもいいから食べたかった。お腹はいっぱいなのだけれど。それから、しじみご飯はどこかにあっただろうか。このレストランのサイトを見た時に、食べ放題のコースと、お任せで何品か選んでもらうコースがあって、その選んでもらうコースにはしじみご飯が入ると書いてあったのだが。
まあいい。美味しい物を食べられて、とても満足だった。今日の夕飯をここにして良かった。我ながら良い選択をしたものだ。やはり直感は正しいようだ。思い切ってホテルに聞いてみてよかった。もし、夕食付のホテルプランにしていたら、2日間ともこのホテルでのビュッフェになっていたわけで、昨日は昨日で良かったから、これが一番良かったのだ。それと、ビュッフェ(食べ放題)とは言え、それほど無理しなかったのも良かった。飲み過ぎてもいないし。1品が少量なのがまた良かった。自分でお皿に盛るよりも、断然少量ずつだっただろう。お客の側からは食べ過ぎを防げるし、ホテル側からしても、良いに決まっている。
部屋に戻り、お腹が落ち着いてからお風呂に入りに行った。今日はボディスポンジと洗顔料をフロント前のアメニティの棚からもらって、お風呂に持って行った。部屋に戻って日記を書き、SNS投稿をした。今夜はWi-Fiもそれほど不安定ではなかったが、眠くなったので早々に寝てしまった。さあ、明日は最終日だ。無事に家に帰れるのか?それともまだハプニングが起こるのか。夏目碧央、そう簡単には帰れないのであった。
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