35 演技
ショットバーに行く機会はなかなか訪れなかった。ジュノには内緒で行きたい。ジュノが夜に外出する日を待つしかない。
決行できたのは、八月になってからだった。
スマホと指輪は置いて出た。頭の中に叩き込んだ地図を頼りにショットバーに向かった。
「いらっしゃいませ」
薄暗い店内にはマスターが一人だけ。他の客はいない。好都合だ。
「あの……俺のこと、覚えてます?」
「はい、メイさんですよね。お久しぶりです」
確定した。俺はこのバーに来たことがある。まずはビールを注文し、タバコを一本吸った。
「マスター。その、変なこと聞くんですけど。俺が初めてこのバーに来たときのこと、覚えてらっしゃいます?」
「ジュノさんのお誕生日の時でしたよね。そこでお二人が出会われて」
「去年の六月一日……」
「ええ、確かそうだったと思います」
嘘つきはジュノだ。だが、ジュノはなぜそんな嘘をついた? 何か理由があるに違いない。
「その時って俺、けっこう飲んでました?」
「そうですね……それなりに。その夜はジュノさんと帰られましたよ」
「それから、俺とジュノは付き合ったってことですよね?」
「お話を聞く限りでは。メイさん……どうなさったんですか?」
「ああ、いえ。酔っ払ってたから記憶なくて。知りたかっただけです」
ビールを飲みながら、考えを巡らせた。ジュノが俺との出会いを捏造したのはなぜか。よっぽどこのショットバーと俺を結びつけたくなかったのか。
思い当たるとしたら、やはりユミさんとの関係か。俺はマスターに怪しまれないような言い回しを用意してから尋ねてみた。
「ユミさんって最近来られてます?」
「月に一度は顔を見せてくださりますよ」
「俺、ユミさんとの会話もあまり覚えてないんですよね……」
「ユミさん、メイさんのこと気にされてましたよ」
「まあ、この前喫茶店で会って話したんですよ。それで、やっぱり懐かしくなって、ここへ」
ビールが尽きた。これ以上飲むのはまずいだろう。情報は引き出せたし、これで打ち止めだ。
ショットバーを出た後はコンビニに行き、缶ビールを一本買った。帰宅して流しにビールを捨て、空き缶を作った。それをローテーブルの上に置いて、ソファに座り、ジュノの位置情報を見ながらひたすら待った。
――問い詰めたい。でも、まだだ。まだその時期じゃない。
ジュノに対する信頼は大きく揺らいでいるが、決定的な証拠を掴むまでは泳がせておく必要があるだろう。まだ、俺は何も知らないメイでいた方がいい。
ジュノは、きっと手強い。
「ただいま、メイ」
俺は目一杯の笑顔を向けた。
「おかえりジュノ」
「あれ? お酒飲んでたの?」
「ジュノがいないと寂しくてさ」
「ごめんね。本当は飲み会なんて断りたいんだけどね」
ジュノは今まで俺を偽ってきた。それがわかってしまったのだから、俺だって演技をしなければならない。
「ジュノ……早くシャワー浴びよう?」
「ふふっ、今日はメイが甘えん坊かな?」
ジュノにしがみついて耳たぶを唇で挟んだ。ここが弱いのだ。
「あっ、もう……」
「ねぇ、ジュノ。たっぷりお願い聞いてね?」
胸のわだかまりを誤魔化すかのように激しくジュノを抱いた。ジュノはその日弱音を吐いたのだが、俺は構わずにジュノをいたぶり続けた。
「ふぅ……メイってば、酔ってた……?」
「そうかも」
ニヤリと不敵に笑ってみせて、ジュノの髪を撫でた。虐めた後、優しくしてやると、ジュノはうっとりと目を細めるのだ。
「まあ、もう寝なよ、ジュノ。疲れたでしょ」
「そうだね……」
ジュノを胸に抱き、眠るのを待った。寝息が十五分ほど続いた頃、もう熟睡したものとみなしてベッドを出た。
何かあるとすれば、ここだ。ジュノの仕事部屋。
マッチングアプリで知り合い、その履歴が何も残っていないというのは、元々そんなやり取りが存在しなかったから。俺の元のスマホもこの部屋にあるかもしれない。
慎重に扉を開け、電気をつけた。まず目に飛び込んできたのは三枚のモニター。デスクトップパソコン。それらが置かれている大きな机と、座り心地の良さそうな椅子。
本棚には、音楽関係の書籍や書類のファイルなどがぴっちりと綺麗に整頓されていた。備え付けのクローゼットもあった。
俺はまず、机の上をあさった。作曲関係だろうか。メモ書きのようなものと、ボールペン。後は何らかのケーブル類だ。
本やファイルの隙間も一つ一つ見ていった。ジュノは本当に几帳面な性格らしい。種類ごとに並べられており、他人が見てもどこに何の資料があるかすぐにわかるようになっていた。
その夜は、それくらいでやめておいた。いつジュノが起きてくるかわからない。チャンスがあるとすれば、外出中。幸い、位置を監視できる。バレないように部屋を探るのは何とかなるだろう。
――なあ、ジュノ。何もないって、信じさせてくれよ。
俺は自分なりの期限を決めた。半年。半年経って、何も証拠が見つからなければ、ジュノに出会いの真実を吐かせ、なぜそうしたのか聞く。それが、幼稚な理由であることを、俺は心のどこかで願っていた。
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