第8話 平穏は続かない

 金持ちの住宅地エリアで彼らのコミュニティに加わるようになってから一週間、エリア外から聞こえてくるゾンビの唸り声以外は以前のような平穏な暮らしを送ることが出来ている。依然と違ってボロアパートではなく高級住宅街の中でも一際目立つ大きな家の客間に住んでいるので、ゾンビパニック前よりも生活は向上しているので寧ろ俺にとってはこんな世の中になってよかったとさえ言えるかもしれない。


 ただ一つ問題は、俺がお世話になる事になった須田家の一人娘、夏海さんが何故か俺にベッタリ張り付いては慣れなくなってしまった事だ。女慣れしていない上に半分も年下の女子高生に詰め寄られて毎日どぎまぎしてどうにも調子が狂う。俺が車から助け出した女の子、藍田さくらちゃんの様子を見るため西園寺家に足を運んだ時も、腕に引っ付いてついて行くと聞かなかった。お兄ちゃんと呼んで来るところから変な勘違いをしなくて済むのだけは有難いものの、正直動きにくいったらありゃしない。


 俺はこのコミュニティにずっと所属する気は無かった。というのも、このコミュニティの人間は西園寺さんや子供達以外から精神的に壁を作られていてとても居心地が悪いのだ。彼らはどうも世界がこうなる前の俺と彼らの地位の違いからこちらを見下しているようで、あえて浅く刺のある問いかけをして来たり、俺に対してなぜまだここに居るのかと言ったようなことを遠回しに言ってくる。ああいう態度は俺が勤めていたブラック企業の上司を思い出してしまっていけない。


 そういう訳で俺はこのエリアで色々必要な情報だったり物資だったりを確保してどこかタイミングの良い所でこっそり抜け出そうと思っていたのだが、ここでこの夏海さんの行動がかなり面倒になってくるわけだ。毎日毎日飽きもせずにニコニコと笑顔を浮かべながら腕を絡めてきて、ずっとどこまでも付いて来る。おかげで物資調達は全く出来ていない。だからこの一週間はもっぱら情報集めが主だった。まあ、そのおかげでここの連中が殆どクソ上司と同じタイプだと知れたわけだが。


 今日も夏海さんは俺の腕に自分の腕を絡めてがっちりホールド状態、食料を保管している家にこっそり侵入は無理か。リーダーの源一郎さんの指示で食料は大型の冷蔵庫があった美空家にすべて集められ管理されているからな。こうくっ付いていられたんじゃどうしようもない。


「なあ夏海さん、いい加減俺から離れた方がいいんじゃないか? 別に毎日何もしてないし退屈だろう?」


「ん~? 別全然退屈じゃないよ。寧ろお兄ちゃんが色々な人の所にお話し聞きに行くから私も知らなかったこと知れて楽しい」


「知らなかったこと? そんな大したこと聞いたかな?」


「聞いたんじゃなくって見たんだよ。みんなお兄ちゃんにとげとげしてて感じ悪かったじゃん。あーゆー人たちなんだなぁって」


「ああ、そういう。まあ元々生きる世界が違うからね。しょうがないっちゃしょうがないよ」


「うーん、私はそうは思わないけど。お兄ちゃんが気にしないならいいや。気分悪い話はおしまい! それで、今日はどこに行くの?」


「今日は西園寺さんの家だよ。さくらちゃんの様子も気になるし、何より西園寺さんが一番俺の知りたいことを知ってそうだしな」


「そっか、じゃあさっそく龍紀ちゃんの家にレッツゴーだね!」


 そう言って俺を先導する用に引っ張っていく夏海さん。その若さゆえのパワフルさに翻弄されながら俺は西園寺家へ向けて歩を進めたのだった。





 一方その頃、須田源一郎は樫屋から受け取った一週間分の駄菓子、イカ串24本とソーダガム24個をテーブルに並べ、住人たちにどう使わせるかを考えていた。イカ串とソーダガムはそれぞれ一つずつ娘の夏海に食べさせその効力が本物であることは確認済みだ。後はこれらをどう違和感なく有効的に使用するか。それを考える必要があった。


「これらがあればこの住宅エリアの周辺から物資を回収しに向かう事は容易になる。ただ、あのプライドばかり高い住人たちが素直に従うかが問題だ。ここで渋られ引きこもられればこれらは宝の持ち腐れ、それだけは避けなければ」


 源一郎は長年このエリアに住んでいる為、近所の連中の性格はよく知っていた。傲慢で金と権力に目が無く、それでいて自分より強いと分かった人間には簡単に頭を下げてすり寄ろうとする。少しでも甘い汁を吸おうとするその様は醜いミツバチと行った所だろうか。


「しかし、あんなゴミ共でも私の組織の一員ではある。私の計画には今のところは必要な人材だ。樫屋を飼い殺しにするための措置はもう取っている。私の組織が大きくなるまで、彼らを奴隷のように働かせるためには何が必要か……」


 以前までの世界では彼らが求めるのは金だった。今は安全と安定、それを維持するためにどうすべきかは流石の彼らも分かっているだろう。自衛隊の救助も今のところは全く期待できない状況。いずれは誰かが外に出なくてはならない。ならば何が求められるか、簡単だ。それは『力』。正にこのテーブルにあるこれらこそが『力』だ。


「ふふふ、単純な事だったか。だがまずは安全性を見せなければならん、臆病な虫を木の穴から引っ張り出すには、若く無知な個体を狙うのが一番いい。夏海が帰ったらこれらを子供達に配るように指示を出すとしよう」






 俺は今、5日ぶりにさくらちゃんと面会している。俯いた顔からは生気が抜け落ちたようにうつろな目が覗いていて、こちらの呼びかけにもわずかに頷くか小さな声で「はい」か「いいえ」を答える程度。目の前で両親が死んだのだ、心の傷は深い。さくらちゃんに関しては暫く様子を見るしかないだろう。


 俺はさくらちゃんの両親が死んでしまった原因の一端だ。あのとき俺が道路に飛び出さなければ車はそのまま真っ直ぐ走って行き、電柱に突っ込むことも無かった。ただ、ある意味では俺はさくらちゃんを救ったとも思っている。あのまま真っ直ぐ坂を下って行ったとしても、待ち受けていた大量のゾンビの壁を越えられるとは到底思えない。ダンプカーならともかくただの乗用車では限りなく不可能だっただろう。あの時、事故に遭ったおかげでさくらちゃんだけは何とか助かったわけだ。


「……」


「おにーちゃん、さくらちゃんに随分熱心だね。もしかして小さい子がタイプの危ない人?」


「そうじゃない。ただ俺はあの子の命に責任がある。だからだよ」


「ふーん、責任、ね」


「ところで西園寺さん、俺は今日さくらちゃんに会いに来ただけじゃなくて君にも聞きたいことが合って訪ねて来たんだけど、聞いても良いだろうか?」


「え、あ、はい! なんでも聞いちゃってください!」


 何故かじっと夏海さんを見つめていた西園寺さんに、俺は質問をしようと話しかける。前回も俺が夏海さんを伴ってきた時、夏海さんをじっと見つめている場面があった。もしかして西園寺さんは夏海さんの事が好きなのだろうか? だとしたらちょっと申し訳なくなる。


 とは言いつつも、俺は遠慮なく西園寺さんに質問を投げ続けた。最初はFPSゲームの話から、徐々にロボットは自分で作っていたのかとか、いくら何でも防衛が間に合い過ぎじゃないかとか。もちろん最後の質問が一番聞きたかったものだ。他はまあ緊張している様子の彼女をほぐしてやろうという俺なりの優しさの表れかな。


 この金持ち住宅街エリアはいち早く事態に気付いた西園寺さんによってゾンビの侵入を完全にシャットアウトされたことで安全が保たれた。俺はあの日、普通に仕事に言って帰って来たら翌日にはゾンビ溢れる世界になっていた。ネットでニュースを見たりすることは殆ど無かったものの、SNSは良く見ていたのでその手の情報が記憶になかった中でどうしてこんなに早く動けたのかというのは当初から気になっていた。


 それを全て包み隠さず西園寺さんにぶつけてみると、帰って来たのは何ともあほらしい内容だった。『普通にテレビのニュースで見ました、です。はい』。なんとテレビのニュースでこのゾンビパニックについての報道がされていたらしい。そんな馬鹿な、と思ったところで横合いから『私もニュースで報道されてるの見たよ』と夏海さん。そう言えばここ数年テレビなんて見た覚えがない。


 彼女たちの話によると、どうやら俺が使っていたSNSのアプリは製造元のアメリカの企業が政府からの依頼で混乱を避けるためとして一部のワードをブロックしていたらしく、その手の情報が出にくくなっていたらしい。俺が保険屋さんと会っていたあの時間帯にはブロック解除されていたとのことだが、そんなに頻繁に見るタイプじゃないからな俺。


 そんなこんなで質問をしていると、時間が経つのは早いものでそろそろ夕日が沈む頃合いだ。俺たちが須田家へと返ろうとすると、西園寺さんはどうやらまだ俺と話したいことがあったらしく引き留められた。


「じゃあ夏海さん、源一郎さんと奥さんには西園寺さんのお宅でお世話になっていると伝えてください」


「うん、わかった。本当は私も一緒にお泊りしたいんだけど、流石にお父さんとお母さんが心配しちゃうから。寂しくさせちゃったらごめんね、おにいちゃん」


「あ、あはは」


「それじゃ、おやすみー」


 颯爽と去っていく夏海さんの背に「おやすみなさい」と返して、玄関の扉を閉める。そして振り返ると俺と一緒に夏海さんを見送っていた西園寺さんが無表情で立ってこちらを見つめていた。


「ど、どうしたんだ?」


 俺は何か不気味に思って口調を砕けたものに変えて問う。


「何でもありません」


「そ、そうか。それで俺に話したいことというのは?」


「話したい事なんてありませんよ。ただ、貴方を此処に引き留めたかっただけです」


「はあ?」


「ベッドは客室がそこに在るので自由に使ってください。それから一つだけ忠告です。須田家の人たちには気を付けて」


 そういうと西園寺さんは踵を返して自室へと戻って行った。


「なんだったんだ今の?」


 俺は奇妙な感覚に襲われながらも、いまさら須田家へと戻るのも何だか億劫で、結局その日は西園寺家の客間に泊まる事となった。


 そして翌日、俺は悲鳴と共に目を覚ます。慌てて家を飛び出し悲鳴のもとを確認すると。そこには家々の中央の道路、その中心付近に散らばる肉片と血だまりが見えた。


 美空さんの家のお子さんである武弘たけひろ君が爆死していたのである。

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