学部 三年半 (5)雉も鳴かずば打たれまい

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は、様々な女子に援けられながら、中・高・浪~そして大学の生活を過ごしてきた。

 勉学と応援部で地味に暮らしていた駿河の前に、再留学のエリーと一時帰国のベーデが現れ、状況は一変。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


 大学の中を一通り歩いた後、僕が選択授業の時間割を取って来るということで、彼女は一旦ホテルに戻った。


「あれぇ、また着替えてきたの?」

「だって、先刻随分歩いたじゃないデスか。」

「僕は同じ儘だよ。」

「男の人は良いんデスよ。」

「そう?」

「そうデス。」


 今度は、ウェストに細い革のベルトが付いたオフホワイトのノースリーブ・ワンピースに涼しげな黒いサンダルを履いている。其の彼女をホテル近くの多少品が良くて、長尻の出来る喫茶店兼レストランに誘った。


「此のお店は、雰囲気が良いデスね。」

「うん。お茶も食事も出来るから便利。」

「此処、覚えておきマス。」

「女子大生が多いでしょ。此処は、どちらかというと、うちの大学より女子大に近いから、雰囲気も落ち着いているんだ。」

「Ah, 成る程。」


「女子大生が多い店は、一旦席が埋まって了うと入るのは難しいけれど、座れさえすれば長居出来るからね。」

「女の子は話し好きデスものね。」

「そうそう。」


「駿河は、どれとどれを取っているんデスか?」

「エリー…」

「Was?」

「《駿河》って呼び方は誤解されるかも知れない。」

「えっと、失礼デスか?」

「失礼っていうよりも、ベーデが使っていたように、男女で呼び捨ては、可成り親しい間柄に使うから、君が誤解されるおそれがある。」

「私と駿河は親しいから良いデショウ? 駿河は私をエリーと呼びマスし。」

「んー、僕は良いけれど、君が考えている以上の誤解を生むかも知れない。」

「Ah, 難しいですね。では一先ずご忠告に従いマショウ。じゃあ、Goちゃんデスか?」

「Goちゃん? なんか擽ったいな。」

「それとも『駿河様』の方が良いデスか?」

「何それ? 旗本の道楽息子じゃないんだから。そういう奇妙な言い方、何処で覚えたの?」


 此の娘は時折、神妙な顔で時代がかったことを言う。


「アハハ、単に時代劇デス。」

「そう。本当に?」

「どうかしマシたか? 駿河様ぁ?」


 面白そうに僕を眺めている。


「エリー?」

「Was?」

「ベーデから何か変な話を聞いたんじゃない?」

「いいえ、Ich höre nichts.」(なんにも聞いていませんよ)

「そう、なら良いんだけれど。」


 目の前でペロッと舌を出した。


「あ、何か隠してるでしょ?」

「Ich weiß nichts .Ich verstehe Japanisch nicht.」

(知りません。日本語ヨクワカリマセン)

「そうやって誤魔化す。」

「誤魔化してイマセン。」

「ふーん。」

「来年のお楽しみデスよ。」

「え?」

「いいえ。何でも。ところで呼び方デスけれど、もう面倒くさいから、Goで良いデスか?」

「うーん…やっぱり呼び捨て?」

「私、どうせ外国人デスから、姓ではナクて名の呼び捨てなら大目に見てもらえマスよ。」

「そういうことなら、まあ良いか。」

「さ、Goは、何を択ってるの?」

「いきなり、くだけたね。」

「だって、幼馴染みデスし。」

「あ、そう。」

「So.」


 *     *     *


 名の呼ばれ方よりも、何かを隠している風に勿体ぶっているエリーの言葉に、得も言われぬ胸騒ぎを感じたのだが、聞いてみたところで教えて貰えないものを心配しても仕方がないので、講義割に頭を戻した。


「此様な感じ。」


 僕が見せた選択表を、エリーはじっと見ている。

 相変わらず、真剣になると眉間に皺を寄せる。


「Herr Suruga! Was ist Das?」(駿河さん、これは一体なに?)

「何?」

「何じゃナイよ。此の講義。」

「講義がどうかしたの?」

「Goは理系デショウ?」

「そう。」

「理数科の科目は一番少ないジャないの。」

「だって、最低限でも自然科学の単位を取らないと進級出来ないじゃない。」

「当たり前デショウ。そうじゃナクて、どうして他は、人文や社会科学許りなんデスか? 哲学なんて普通の倍以上もとってる。」

「だって、面白いんだもの。それに、専門に進めば嫌でも理数科しか勉強出来ないでしょう。」

「Ah、 そうダケド。」

「エリー、日本の大学は一般教養が凄く弱いの。」

「そうデスか? んー、確かに私がÖsterreichで学んだ分だけで殆ど大丈夫というのは甘い気がしマスね。」

「だから僕は一般教養の科目を沢山とってるの。」

「一応、Goも考えてるんデスネ。」


「もしかして、僕のこと馬鹿にしてた?」

「Nein、 Nein、 私はあなたのことを尊敬してイル。」

「駄目だよ、今頃誤魔化しても。」

「じゃあ、私はGoと一緒のものを択る。」

「ちゃんと自分で興味のあるものを取らないと駄目だよ。」

「だって面白いんデショウ?」

「それは僕にとってであって。」

「大丈夫、ちゃんと考えて決めるカラ。」


 *     *     *


 結局、彼女の講義割は、僕の講義割の一部を引っ張っただけのものになった。空いている時間は、留学生向けの特別講義が少し入っているだけになった。


「何で此様なことになったの?」

「此様なこと、ッテ?」

「殆ど全部一緒。」

「Go、其の理由を聞き度いデスか?」

「知らぬが仏?」

「雉も鳴かずば打たれマイ。」

「え?」

「知ってる諺を言っただけデス。」

「なんだい、脅かすなよ。」


「ホカニ空いてる時間は、日本語の慣用句を教えて貰っタリ、本屋さんに連れて行って貰っタリ、喫茶店やレストランを教えて貰っタリしマス。」

「大変だね。」

「何を他人事ミタイに言ってマスか?」

「まさか其の相手を全部…。」

「Goデショ。」

「此の広い大学で? 何万人と人が居るのに?」

「冷たいナァ。アストリーにも昨晩ちゃんと誓ったじゃないデスか。」

「あれを誓ったって言うのか? 僕は聖書に手かなんか置いてたか? そうそう、フラウ・アストリーは、普段何をしているのさ?」

「何、って、ホテルに居タリ、お買い物に行っタリ。」

「君のお世話するのがお仕事なんでしょう?」

「一日が終わって帰れば部屋が一緒なのに、其処まで一緒にいたら、気詰まりスルでしょう?」

「そうかぁ。」

「姉みタイなものだと思って。」

「ふーん。」


「確かにÖsterreichが懐かしくなっタリ、女性でなければ理解出来ないことは、アストリーが居なければ困りマス。」

「まあ、そうだね。」

「アストリーに相談出来ないことは、Goに相談スルデスヨ。」

「ああ、そう…。」

「マァ、そんな顔セズニ、渡りに船だと思ッテ。」

「それは君にとってだろ?」

「ジャア、溺れる者ハ藁ヲモ掴む。」

「もっと悪い…。」

「弘法も筆の誤りッテ言うジャナイデスカ。」

「ぜーんぜん解らないよ。」


 ここまでの掛け合いが続いて、そういえば、この娘はどこまでが本気で、どこからが冗談なのか、時折解らなくなるのだということを、漸く思い出してきた。


「もっと留学生向けのサークルとかで、友だちも出来て、情報も仕入れられるものがあるんじゃないの?」

「ソンナものはアリマセンよ。」

「本当に?」

「Ja, soweit ich weiss.」(私の知る限りでは)

「なんだ、いつもそんな風に逃げてばかりじゃないか。」

「か弱い女の子を、そう苛めるものジャアリマセン。」


《淑女》とか《か弱い女の子》とかいう言葉は、決して男が使うものなんかじゃなくて、寧ろ女性が自らを護り、男性を縛めるためにあるものだということを、此頃には既に充分気づいていたので、もう其れ以上の追究はせずに、御説に従うことにしてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る