第17話 鈴と豊水が雨をきっかけに昔を思い出すある日の話

 制服のまま喫茶店『無聊』に入った南田豊水と田北鈴は足を止めず、歩きながらマスターに『今日はホットでいつもの』と同時に言って、一番奥のいつもの場所の前に立ち、カバンからタオルを取り出した。

 豊水は鈴の頭をタオルで拭い、同時に鈴は自分の制服を拭う。しばらくしてから立場を変え同じ事をした後、さらにもう一回立場を変えて同じ事を繰り返す。

 それが当たり前のように喋りながら、何度もお互いを拭い続ける。



「まさかあんな数秒で制服が濡れるとは思わなかった。豊水がカバンで守ってくれたから私はそこまで濡れなかったけど、その代わり豊水が……。……はい」

「だって、鈴の濡れた姿を俺以外の誰にも見せるわけにはいかないから。……はい」

「豊水……、一応制服の下にもう一枚着てるから見られても平気だけど。……はい」

「それでも、そんな姿の鈴を見たら色々と考える奴がいるに決まってるじゃないか! ……はい」

「豊水……、トゥンク。……はい」

「鈴……、トゥンク。……はい」

「ポテトとコーヒーお待たせしました。……ちょこちょこ声を出して拭うのを交代するぐらいなら、場所は貸すからジャージに着がえるなり何なりして、いいかげん拭き合うのは止めなさい」




 そう言われて二人はようやく椅子に座り、コーヒーに砂糖とミルクを入れ、琥珀色の飲み物を掻き混ぜ始める。

 実はもう殆ど濡れてないのだが、お互いに拭い合うのが楽しくなってしまっていたのだ。

 鈴がそう思いながら笑っていると、掻き混ぜるのが終わった豊水がじっと見つめている。

 そこで気がついた、濡れたので髪を下ろしたのだが、豊水の前でこうしたのはいつ以来だろうか。

 見たいならもっと言えばいいのに。そう思い鈴は見惚れている彼氏の鼻を摘まみ上げた。




「豊水さ~ん、そんなに私のロングヘアは好きですか~。見惚れるぐらい好きですか~?」

「いはいいはい、やめへやめへ。……久しぶりにその髪型は見たから、ついね。髪が前より長い気がするけど、美容院に行って無いとか?」

「行ってます、当たり前でしょ。後ろの方は前からずっと伸ばしてるの。……前に言ったでしょ、もっと長い方が好きだってさ」

「あ、ありがとう。……でも鈴が好きな髪型にしてくれたら、鈴の好みがわかるんだけどな」

「まあ確かに長いと色々面倒はあるし、もう少し短くしようかとも思ったけどさ。でもしばらくは彼氏の好みに合わせる健気な彼女をやっておこうかと思って、もう少し続けるつもり」

「……じゃあ俺も彼女の好みに合わせる、健気な彼氏にならないと」

「それならとりあえず、いつでも豊水のふくらはぎをもめるように毎日半ズボンで過ごしてもらいましょうか」

「……髪型じゃないんだとか制服でどうやってするんだとか、色々と言いたい事は沢山あるけれど、鈴は一体どこに行こうとしてるんだろうか」




 冗談だとは思ったが、言い方が冗談には聞こえなかった。

 鈴はいつも豊水の事を考えている、いつも鈴の事を考えている豊水はそれを感じている。

 二年前、最初に会った二人はお互いの事を考える余裕は無かった。

 自分は不幸だから何を言ってもいい、お互いに相手にそう思っていて、実際にそう言ってもいた。

 それが二年たってこんな関係になるとは考えてもいなかった。今の鈴の心の傷は、本当に少しでも癒えているのだろうか。

 そう思っていると鈴も同じ事を考えていたのか豊水を見つめている。

 今はお互いが相手を見る事ができなくなったのか、二人は同時に店の外を見つめた。




「……ここアーケードの下だから当たり前だけど、雨が降ってるかなんてわからないよね」

「でも雨音は聞こえてくるから。……あの頃みたいに」

「懐かしいなあ。偶々使っていない真っ暗な教室に入ったら豊水が一人で居て、何も言わないんだもんねぇ。初めて会ったのが雨の日で、梅雨に時期だっけ。今だから言うけど、実は最初は自殺したお化けかと思ってた、お化けなんだから外に出ても平気だから外に出ればいいのにって」

「いや実際に言ったよね、それ。それで違うって言ったら、じゃあ邪魔だからどっか行けって、雨の中でずぶ濡れにでもなればいいのにって。最初に居たのは俺なのに」

「そうだっけ? 豊水が私の邪魔をして申し訳ないから外に出てずぶ濡れになりに行くって言ったから、私がありがたくもここに居ていいって言ったら、豊水がお礼を言って私にプロポーズしたんじゃなかったっけ?」

「凄い記憶改竄だ。じゃあ鈴の記憶では、俺は初対面で鈴にプロポーズした事になるんだけど?」

「しなかったっけ?」

「しなかったよ。あの時はまだ」

「言われた時は雨だったのは覚えているんだけどなぁ。それ以外があやふやで……」

「あやふやってレベルじゃないな」

「お待たせ~。お姉さんは覚えています、あの頃には珍しく笑った鈴ちゃんの顔を。嬉しそうに笑いながら恥ずかしそうにした事を」




 からかうようなような戸西さんに、鈴は顔を赤くして否定しながら抱きついた。

 戸西さんは改めて思う、鈴は顔を赤くする事ができるぐらい表情を出すようになったと。

 ここに来た頃はかすかに唇を動かし笑みを浮かべるだけでも驚きだった。

 マスターに聞いた事があるが、豊水も似たような状態だったらしい。

 あの二人が出会ってから。最終的にこうなった。良かったのか、それとも悪かったのか。

 きっと良かったと思う。過程では事件があったのは間違いない、しかし今が続いていければ、二人は幸せになれるような気がする。

 こんな事を考えていたとはおくびにも出さずに、鈴を抱えたまま戸西さんは環尉流弩に向かって歩いて行った。




「……もうすぐ梅雨か。あの時を思い出すね」

「珍しく店に来てコーヒーを飲みながら、少し笑ったんですよね。久しぶりに気を使われ無かったって」

「……だけどあの後の夏休みでは何も無かったのに、冬休みではあんな事になったんだよなぁ」

「……あれは何と言うか、どうしようもなかったと言えばそうなんですけど……」

「……難しいよね、あの子の親代わりをしている人は居なかったし、しようとする人もいなかった」

「まあ結局、二人そろって叱る人は出来たんですけど……」

「……幸い、遅くは無かったからいいと思おうか。助けを求めて来たら助けるでしょ、この前のケーキみたいにさ」




 豊水と鈴は雨の日に出会った事がきっかけで、傷つき合い、そして間違いを犯した。

 しかしそれは誰にも迷惑をかけていない、二人が中学生でなけば、二人だけの問題になるはずだった間違いだ。

 だが、二人の周りの大人がそれを許さなかった。

 二人をまだ子供のままにしていおくと、間違いを知った周りの大人達がそう決めたのだ。

 だから二人も子供のままでいてくれようとしている。

 子供を育て上げている人間が複数居るのだし、二人は大人になりかけの子供だ。

 少しぐらい目をかけるぐらいなら、老人にとっては楽しみの一つになっているかもしれない。

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