第34話 実践の場として

 卒業論文を書き終え、森田先生から判子を貰って大学に提出した。あとは査読のようなものを終えるのを待つのと同時に卒研発表の為のプレゼン資料の見直しと、発表の練習が継続された。もちろんこれはゼミでは行われないため、実験班ごとに院生に協力してもらって見てもらい言葉とか見せ方などを突き詰めていくことになった。


 卒業論文・卒研発表は大変である。というのを部活の先輩から聞いたことがあったのだけれど、森田研の場合どちらかというと「まとめる」に近い感覚だった。今まで作り上げてきた数多くのプレゼン資料から必要な物を選んでそれらを清書してまとめれば卒業論文。


そしてそのプレゼン自体をまとめていけば卒研発表のプレゼン資料が出来上がる。


 もちろん、見せるための編集は必要ではあるがそこに関しても今まで森田先生のゼミと森田塾のプレゼン資料作りでやり方は知っていた。


 そしてついに卒研発表当日がやって来きた。発表時間は確か10分くらい。発表が終わると聞いていた森田先生以外の教授からの質疑応答がある。これの対応が「卒研を認定してもらう材料」となりうるらしい。〝らしい〟というのは実際に何を判断材料として認定しているのかは明確には分からないけれど、答えられない人は「もう一回まとめてきて」と言われて後日また改めて発表となるということを聞いた。


 どんな質問が飛んでくるのか流石に予測は出来ない。それでもキチンと対応できた。と思う。質問をしてくださった教授の質問に答えると「なるほど」と真剣な表情になったのを今でも覚えている。


 こうして卒論、卒研発表が終わった。


 本来ならばここで大学の集大成である研究室活動からは基本的に開放になる。他の研究室に行った同期はこの日を境に自分の次の生活、つまり進学とか就職とかに向けて動きだしていた。具体的に言えば下宿先の引き払いの準備、勤務地への引っ越し、仲のよ人たちとの卒業旅行とか。そういうのをやり始める時間になるのだけれど私が居るのは森田研。そうはいかなかった。


 発表が終わった次の日、私は同期と院生と千葉に向かうことになった。何をこの時期にしに行ったのか。それはイガさんから「2月に苗箱作りをやるからそれ手伝って」とのことだった気がする。それであらかじめ連絡を受けた院生が連れていく11期生を選んだ結果、私もその中に入れられることになった。


 お世話になったのは千葉県でお米を作っている農家さん。苗箱作りは朝から行われるため、前日に行き宿泊することになった。この時、教科書や千羽鶴など渡すことになった。


 「苗箱作り」というのは一体何をするのかと言うと、稲の苗を育てる箱を作ること。


 苗箱の特徴は箱という名前はついているものの深さが3センチくらいしかないお盆みたいな形状をしている。作り方はそこにまず土を薄く入れ、その上に種を蒔いて、更にその上に薄く土をかぶせる。これを何というか工場のラインみたいな流れ作業で作っていくような専用の機械がある。


 という説明も無いままに作業が始まった。


 私と同期は役割分担を決めて作業に取り掛かることになったのだけれど、ここでイガさんと院生からの指示は何もない。終始無言でずっとこちらを見続けている状態が続いた。質問しても答えてくれなかった。


 作業はとりあえず進んで行き、昼が来て、夜が来るとやる枚数の苗箱は完成し、そして帰宅することになった。


 ここまでにおいても全く話してはくれない。


 となるとどうなるか、というと研究室に帰った時にこれについて院生から話があると言われ私は呼びだされた。


「まっつん、わかってるよね?」


 わかってはいる。何となくは。苗箱はもちろん出来たのだけれど、つまり私たちの動きがイガさんや院生が納得するような形では無かったのも何となく察することが出来た。


「何を1年間学んできたの?」


 とここで結構本気で怒られることになる。一応、言っておくと私たちなりには真剣に取り組んだつもりだった。


「つもり、じゃ困るんだよ。これ、苗箱出来てないよ。どうすんの?」


 一応言っておくと「苗箱は出来ている」けれど「出来ていない」やっぱり納得する形というか動きじゃなかったことが気になっていたらしい。


 その最中に電話が鳴る。イガさんからだった。話の内容はもちろん苗箱作りについてだった。


「役割分担ってなんでやったか分かる?」


「どうして何も聞いてこないの?」


「ずっと指示待ち?」


「だから11期はここまでの程度なんだよ」


「そろそろ気が付いたら?」


 ここはね、本当にきつかったのを覚えている。多分なんだけど、私を含めた苗箱作りに参加した同期は基本的に「森田研究室の理論」は知っていたとしても「そのための実践」という場面において「全く動けていなかった」という現実を受け入れろ。ということだと思う。


 だからこれはある意味11期生が変わるポイントだったからこそ、イガさんも院生も「この期を逃してはいけない」と言わんばかりに畳みかけてきたのである。


 そして帰ってきた日、その日の夜に今度は11期生の話し合いが開かれた。


 珍しく総務や企画が提案した話し合いではなく、他の人が提案したらしい。話の内容は今後の事。例えば環境論文とかそういうことを話したのではあるが、話は私に向けられる。


「まっつん、なんで農やりに行ったの?他にやることあるじゃん」


 と今度は同期から責められる羽目になってしまった。気持ちは分からなくもない。私は確かに環境論文などをやる側に立っていたことはもう間違いなく、私が抜けるとそれが進まないのも何となくは分かっていた。


 だから同期からは「そんなことよりも、研究室の事をやれよ」と責められてしまうことになったのだけれど、これに対して院生も沈黙。何も言わなかった。環境論文の完成度はこの時点で30%くらい。ここで私が感情に身を任せて同期に怒ったら環境論文を作るどころの話ではなくなる。


「何も考えず行ってしまい申し訳なかった。ちゃんとやろう、研究室の事」


 その日の夜、皆が帰った研究室の喫煙所で煙草を吸っているとまた電話がかかってきた。イガさんからである。


内容としては今日の出来事をプレゼン資料にすることと撮った写真をまとめ動画化しておくことだった。


「もう一度何がダメだったのか考えないと、環境論文なんか書かせないよ」


 そう言われて電話を切られた。


 深いため息にも似た紫煙が立ち上り、私は頭を抱える余裕も無く、そのまま咥え煙草のままにパソコンに向かってプレゼン資料の作成に取り掛かった。


 何が問題だったのかを考え付く限り書き出し、図式化し、プレゼン資料を作る。作ったプレゼン資料は確か全部で10枚ほどだったが完成する頃には朝になっていた。それと同時に参加した同期と時間を合わせて動画の作成に取り掛かる。


 イガさんからは「はやくしてよ」という催促の電話を何回も私にかけてきたが、さすがに「プレゼン資料は出来ましたが動画の方は少し時間が掛かります」という返答をするほかなかった。


 そして2日後の11期生の森田塾にてこのプレゼン資料と動画の上映を行ったし、その後の森田先生のゼミでプレゼンは行われなかったものの動画の上映は行われた。


 けれど、これに対してもイガさんと院生は私に対して無反応だったのを覚えている。


これは後に「苗箱出来ない事件」として語り継がれることになり、当時を振り返る時にイガさんからもそして院生からもいじられることになる。


 そしてその事件が過ぎると節分の企画を行うことになった。本来、節分は2月2日であるがそこは森田流である。過ぎたとしてもやると決めたことはやる。当然豆まきをするのであるが鬼が必要。そこで院生と話し合った結果、院生の何人かと先生に鬼の役をお願いすることに。お願いをしに教授室へ行くと「いいよ!お面買ってこようか?」とノリノリだったのを覚えている。


 私は買ってきた鬼のお面を院生と先生に渡し、11期生と12期生に豆を渡して豆まきを行った。


 そしてそれが終わるとそのまま研究室に入り昼礼が始まったのだけれど、先生は鬼のお面を頭に付けたまま昼礼を行うもんだから院生が「ほら、まっつん、鬼がいるよ」と先生の方を指さしていたのを今でも覚えている。


 キックオフ合宿・卒業を兼ねた旅行日は2月の末日からの3日間。それまでの間には今まで通り12期への引継ぎ、環境論文の作成が行われていくことになる。卒業論文や卒研発表から解放されている状態なのと事件後に私を含めた同期の何人かの意識が変化したこともあって進みは早くなっていった。


 ゆっくりとしてそして着実に積みあがっていく環境論文の試作品というかたたき台というか。そういうのが出来上がり始めた。けれど、まだこの時点においても私が担当している「色彩」についての答えを出せないままに居た。同期はキチンと環境論文の作成を行えている中で私だけが「何を書けばいいのか分からない」という状態が続いていた。


「本当にどうしよう」という気持ちだけがこの時、私の中にあったのである。

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