第26話 新森田塾
「いままでやったことをまとめて欲しい」
院生から唐突にそう言われた。
まとめる事は言うまでも無く森田塾でここまでやってきたことである。けれども当然そんなのは面倒なので「やりたくないです」が心の中の声。誰だってやだよそんなの。
「全部ですか?」
「全部。塾の1回目からの内容とか」
「でも、私全部出て無いですよ」
「いるじゃん、出たやつ」
院生は同期の方を見つめた。
「じゃあ全部出た人に頼んでくださいよ」
「いや、イガがまっつんにやらせてってみたいな感じで言ってたから」
「ええ?」
仕方なく今までまとめたプレゼン資料とかを共有のサーバーから引っ張り出し、持っていたスケッチブックを少し開いてやってきたことをまとめ始めた。やりたくはないけれど、やってきたことだから出来る。というのがこの時思っていたことでこれは割と簡単だった気がする。
イガさんにまとめたプレゼン資料をまたいつものごとく印刷して手渡す。それを眺めてまた一つ言われる。
「これ、テキストみたいに出来ない?」
出来なくはないが、やりたくない、が本音。
するとこの辺りから今まで全く表に出てこなかった院生の人が顔を覗かせるようになってくる。今まで私が悩んでいたり、相談したりしていた相手は院生の1年生の人。この人は院生2年生であり、私たちと同時に卒業する人である。
「まっつん、やってあげなよ、まっつんがやらなくてもいいから」
初めて話した人は「あ、多分、怖い人だ」という印象を持つのは間違いないタイプの人。何せ月のバーベキューとか合宿とかそういう場にはほとんど現れなかった。でも研究室には夜遅くまで居るタイプでイガさんとも仲がいい。そんな人だった。
「これ、なんでやるんですかね」
パソコンの前でまとめながら院生に話しかけた。
「来年のことがあるから」
「来年ですか?」
「うん」
来年、森田研的には最後の年。そしてこの後12期生が入ってくることになる。現に長期休暇が終わると以前の私のように研究室見学が始まろうとしていた。
話は少し脱線するが、もうすでに学生実験の手伝いをしている時、3年生から頻繁に「森田研って言うのは大変ですか?」という質問をかなり受け付けるようになってきていた。質問には「イガさんって言う人が居てね、それで色々課題とかイベントがあってさ、それで深夜まで話し合いを・・・・」とか答えたくなったのだけれど、この部分に関しては「やらない」という選択肢もとれるわけで。
事実、やらないという選択をした人もいるから間違っていない。それと大学に入って何の研究をしたいかっていうのも大事だし。森田研でしか出来ない研究ももちろんあるからそれを私が「森田研は大変だよ」とか言いたくはない。私がそう思ったのは院生の中に「森田先生の研究室に入るために大学を選んだ」という人もいたためである。
だから私はお決まりでこう答えるようにしていた。
「一回研究室見学に来てみれば?」と。
実際この話をして見に来た3年生は少ない。結構びっくりしたのだけれど、意外にも人の話だけを聞いて自分の行く研究室を決めてしまう人が多かったらしい。私は見られるのなら自分の目で確かめてから決めたいタイプではあった。だから一回見てみて、それで合わなそうだったら行かなければいいと私は思ったのだけれど。
話を戻して、森田塾。
「来年、イガさん居ないじゃん?」
「はい」
「森田塾、出来ないじゃん」
「はい」
「だから教科書が必要だってさ」
「はい?」
イガさんが居ないから森田塾やりません。という話ではないらしい。居なくてもやるために教科書とテキストを作成するとのことである。
「誰がやるんです?」
「まっつんたちの代の院生がやるんじゃね?」
多分これは今の私からの推察ではあるので確証はないけれど、教科書を作るということを言われた人は全員ではない。今になればわかるのだけれど、当時はまだ全員が森田研に対しての熱量というかなんというか。そういうのがまばらな時期だったのもあったからだろう。
教科書は遅くとも11月が始まるまでには作らなければならない。もう10月から森田先生のゼミが始まって、同じように11月くらいから森田塾が始まる。
要するにスピードが必要だった。
で、なんで私に話が来たのかというとそれが「気質」をまとめたからである。と思う。多分、当時教科書を「作る」と言われた人たちはそれぞれが「4つの軸」をまとめた人たちだったから。
とは言いつつも教科書なんか当然誰も作ったことがない。ここから先は手探り間満載の感じになっていく。
まず、今までやったことをまとめたプレゼン資料から順番に月ごとにやったことを並べていく。11月、12月・・・と大体来年の9月くらいまで。そしてそこでやることを並べていく。
当然、やることには気質が関わってくる。例えば11.12月というのは3年生がまだ全然なれていない頃になる。そのため塾の内容もゆっくりとしたものでリズムもゆっくりと。どちらかと言うと「4年生と遊ぶ」に近い内容になる。
「そういうのも書いていきなよ」
作っている途中、イガさんが覗き込んでそう言われた。やっている側が「これは何を意図してやっているのか」ということを踏まえつつやらないとやる意図が見えなくなってしまうから。とのこと。
ここまで来れば何となくわかると思うのだけれど教科書を作るといことは今まで自分たちが受けてきた塾の「意図」を知るということでもある。なぜあんなことをしたのか、どうしてやらなければいけないのか。
「引継ぎで使う本の内容が大事なんじゃないよ、本を引き継ぐのが大事なんだよ」
イガさんと中部屋で急にそんな話になって「え?なんのことです?」と私は聞き返してしまった。
「まっつんはどうして本の引継ぎをやったと思う?」
私が答えようとするとイガさんが続けた。
「前もってやっておくってことだよ」
3年生の11.12月頃にやった本の引継ぎ。これは本の内容を理解して研究室の活動に生かそう!という意図ではない。本質的な部分は「プレゼン資料の作成」と「研究室に馴染む」ということである。
通常の研究室であれば所属するのは4年生になってから。引継ぎは大体2~3月くらいに行われる。けれど行われるのは引継ぎであり、資料の作成などはあまり含まれていない。
だから4年生になってから先生にプレゼン資料を作って発表することが始まるのだけれど、その時点で作ったことがなかったり、見せ方が分かんなかったりするとそこで指導を受けることになる。
これは本来、研究の実験報告を行うことを目的としたゼミでそれ以外のプレゼン資料の作り方や発表の仕方をゼミでやらなければいけなくなるということである。
言われてみれば確かに森田先生にプレゼン資料の作り方をゼミで教えて貰った記憶は全くない。あったとしても「この表現いいね!」くらいなものである。作り方や表現に関しては森田塾の課題で作ったプレゼン資料を見た院生やイガさんから言われることが多々あった。
何もわからずやっていた味噌づくりもそう。準備する物・人・スケージュールなどを自分たちでくみ上げることはイコールで実験に対しても同じようなことが言える。
と、こんな感じで森田塾は森田研で行われることを先行しておくことでその後の事の流れが止まらないようにしていた。と言える。
「結局、これが就活に響いてくるんだよ。もちろんそれだけじゃないけど」
イガさんがそういうのには妙に納得してしまった。
というのも研究以外のことを森田塾でやっておけば言うまでも無く本業である「研究」が進むことになる。するとかなり早い段階で自分のやっている研究内容の背景や歴史、やる意味などを知ることが出来る。
そうすると就職活動の面接で「何の研究をしているんですか?」と聞かれたときに答えられる密度が他の人と変わってくる。
何よりも私が実感していた。
先生のゼミでは早い段階から研究についての話が殆どとなるため勝手に頭に入ってくるようになって、自分のやる研究内容が話せるようになっていた。それと森田塾ではプレゼン資料の作成→みんなの前で発表というのを「本当に数えられないくらいやった」から人前で何かを話すということに慣れているというのもあったし、自分史をまとめているから自分のことも何となく知っていることにもなる。
そのため私を含む同期は実際に就職活動の中でこれらのことが生きていたのだろう。内定を複数貰う人も多数いた。
「なるほど」
意図が分かれば納得する。納得したらやるしかないだろう。それがこの場所である。
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