第11話 その人、五十嵐武志
土曜日になり森田塾に行くことを決めた私は足取り軽く・・・というわけではないがただ面倒だなという感情だけがそこにあった。塾はゼミ室と呼ばれる場所で行われ、いつも先生が行っている講義室が入っている棟とは違う場所。
その場所へ向かって行く途中に喫煙所があるのだけれど、例によって背中にでかでかと「森田研究室」の刺繍が入った作業着を着た集団に出くわし、そして話しかけられることになる。
「松下君!来てくれたんだね!」
来なかったことについて何か言われるかと思ったのだけれど、どこか嬉しそうに歓迎してくれた。それがやや鬱陶しい笑顔に感じたのは今後の私が〝とてつもなく大変な目〟に合うことの予感だったのかもしれない。流れでそのまま他愛もない話をしながら一緒にゼミ室に向かうことになった。
席に座るとあるものが渡される。
まず、透明なクリアファイル。これは森田塾で渡されたテキストなどを入れておく用らしい。次にクレヨン。何色か忘れたが多分12色の有名なメーカーのやつ。そして小さめのスケッチブック。
そして黒のマジックを渡されてこう言われた。
「名前を書いて、次回の森田塾に忘れないように持ってきてね」と。
とりあえず言われるがままに名前を書いているとゼミ室にある人物が現れることになる。
その人物のこそ、五十嵐武志。通称〝イガさん〟である。
風体として背は高く軽く180㎝以上あり、頭には帽子を常に被っている。そして必ず「森田研究室」の作業着を着用し、ズボンはとび職の人たちが履いているニッカ。その姿だけをみると「現場の人ですか?」というような感じである。
来るなり机を見渡すと私に足りない資料があったらしい。すると一言。「松下君に紙渡してあげて」と言い残し何故かゼミ室を後にした。自己紹介もしてないのに私の名前を知っているらしい。多分院生から聞いただろうか。また外に出てすぐに帰ってくると端っこの方へ座り、何も口出しせずにずっと塾の様子を伺っている様子だった。
そしてついに私にとっての森田塾が始まった。
最初にやったのはクレヨンの中から「赤、青、黄、緑」の4つの色から1つを選び、その色で自分の名前と今日の日付をスケッチブックに書くという物だった。言われるがままに私は何となく緑色を選んで自分の名前を書いた。
そして院生から「その色を選んだ理由を発表し欲しい」とのこと。まるでテレビのクイズ番組みたいな感じで回答をオープンしてくような感じでみんながそれを見せていく。
同期の理由は様々で「今日は何となく青色の気分です」とか「癒しが欲しいので緑色にしました」とかそんな感じ。急に言われてやり方が分からなかった私も同期を見習って「ああ、そういう理由でいいんだ」と思って、適当に「初めての森田塾で緊張しているので落ち着きが欲しいので緑にしました」とか言っておいた。
次にやったのは「大切な物10個書き出してください」というもの。ざっくり過ぎるかもしれないが自分にとって大切な物。例えばなんだろ分かりやすいので言えば友人とかお金とかそういうの。それもまた適当に書くことに。
これ以外に「働く」を漢字一文字で表して欲しいや「森田研究室を選んだ理由」などのことを聞かれそれについて書き、そして発表を繰り返し行っていく。
グループディスカッションと言われればそうなのだろう。
そしてこれをやらされている私。多分私以外にも思った人は居ると思う。
「これ、研究と関係なくない?」とか「これ、何の意味があんだ?」とかそういう事。で、それを思ったのはやっぱり私以外にも居たらしく、何人かは飽きて適当にスマホを見たりとか答えも笑いを狙いにいったりしていた人も出てきた。
でも私はその光景を部屋の温度の低い位置からじっと見ている人物の視線が気にはなっていた。あまり笑わず、そしてあまり発言をしない。森田塾の進行は基本的に4年生と院生。イガさんのほうを見てもあまり目を合わせてくれないし話しかけようともしてくれない。
「なんなんだろう、あの人は」
という感情だけが私の中で芽生えた。でも院生や4年生とは仲良く話をしたり、笑ったりしているところも垣間見ることは出来た。「仲良くなればいいのかな」とも思ったし、「仲良くなる必要があるのか?」とも思った。
気になった私はゼミが終わった後に院生に質問をした。
「あの人は誰なんでしょうか?」
「イガさんだよ」
少し笑いながら院生は答えた。
「イガさん・・・って?」
「あーん・・・森田研の1期生の人でデカい人」
そう答えてくれたのだけれどそれ以上のことは答えてくれなかった。でも情報はくれた。森田研1期生ということ。で、今の自分は11期生。つまり10歳離れている人。そして何となく院生と話しているのを聞くとどうやら社会人らしい。
得られたイガさんに関する情報はそれ以上無かった。
次の週、また次の週と森田塾に一応参加はしてみたもののやることは基本的にはあまり変わらなかった。色を選んで自分の名前を書く。大切な物10個、「働く」を漢字で。これ以外にもやったのは「アンケート」と「自分史」。アンケートに関しては何を聞かれたのかは覚えていないのだけれど自分史はそのまんま。
「どこで生まれ、何をして結局大学まで来たのか」ということを箇条書きで書いてまとめていく。それも発表する。
そして相変わらずイガさんは毎週のように森田塾へ現れてはじっと私たちのことを見ていた。
「・・・これあんまり出る意味ないかもなぁ」
そう感じるようになったのは嘘ではない。けれど同期は一応全員出席している様子を見ると出ないとなんか気まずくなるかもしれない。とも思ったわけで。
少しでもやっている内容が理解できればいいのだけれどそれが出来ない以上「これをやって」と言われれば「はい、わかりました」とやるしかない。
実際この森田塾の活動は卒業研究とは一切関係が無いのだけれど、なんというか簡単にいえばここでの態度とか出席率とかが結果として関係あるんじゃないか?と考えてみたりとかもした。
こんなことを繰り返していったのだけれどやがて森田塾でやることに変化が表れ始めた。
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