死ぬより怖いもの。
さんまぐ
第1話 (完)死ぬより怖いもの。
金曜日夜。
学生時代からの友人とのサシ飲みの約束は、相手の急な残業でお流れになる。
働いていればそういう事もある。
男同士で気楽に話して酒を飲んで、好きなものを食べる。
そう思っていたのに、15時頃から届く不穏なメッセージに、何処か諦めの用意が出来ていた。
定時間際に入る断りのメッセージを見て、今度は夕飯に頭を悩ませるが、酒とホッケの気分は変わらずに、独りで飲み屋に向かう事にした。
1人飲みなのでカウンター席に通されると、少し席が離れたカウンターで飲んでいる中年男性2人の会話が気になった。
「俺、この前の健康診断で胃に影があるって…、要再検査でさ」
1人の恰幅のいい男が言うと、横の小柄な男は「マジか。でも案外再検査すると何もないって聞くから平気じゃないか?」と励ます。
自分と友人も後15年もすればこんな会話をする日が来るのかと思いながら、ホッケを食べて酒で口の中の油を流す。
そして漬物の盛り合わせを頼んで、その中年男性達を酒の肴にしようと思っていた。
「まだ子供も高校に入ったばかりで、家のローンもある。嫁さんの1馬力じゃ到底無理だ」
「まあローンは団信だろ?それは平気だよ。まあ金なんかは前に保険外交員から雑談で聞いたけど、搭乗者傷害特約があれば、自動車事故で死ねば補償されるらしいぞ」
「本当か!?なら余命宣告されればそれで!」
おいおいおい、何を言ってるんだ。
そういうテクニックみたいなのは本当だとしてもバラすなよ。雑談にしても相手を選べよ。
そう思いながら漬物の盛り合わせに手をつけるとカブが美味い。
ついメニューでガブの漬物を探してしまったが、漬物は盛り合わせしかなかった。
酔いが回ったのか、ついに恰幅のいい男は頭を抱えて「死にたくねぇ、死ぬの怖え」と言い出す。
まあわからなくはない。
未知の恐怖だし、爺婆が見せる生への執着を見ていると、死はとても怖いものに見えてくる。
その時、小柄な方の男が「何言ってんだよ?俺は死ぬより葬式が怖い」と言い出した。
ん?
お前こそ何を言っているんだ?
俺と恰幅のいい男の心はシンクロしたのだろう。
恰幅のいい男も「何言ってんだよ?」と聞き返す。
「いいか?俺には恐ろしい葬式が何個かある。まずは推しカツがバレたとしよう。お前、スマホゲーで銃器少女ってやっていただろ?気になって少し見てみたが、昔のお前なら間違いなく推しをスマホの待ち受けにしたはずだ。だがお前は嫁さんと娘の中学入学の記念撮影を待ち受けにしている」
「今は高校入学だ」
「そうか、だが本来なら推している銃器にしたいはずだ」
「ああ、北欧美少女キャラのマカロフちゃんにしたい」
「だが妻と娘に見られてはアウトだ」
「だからそっとスクショを眺めるだけにしている」
「俺が気を利かせて、お前の葬式にそのトカレフちゃんの抱き枕カバーを用意して棺に入れたいと言ったらとうなる?」
あ…、すげーやだ。
それは嫌だ。
銃器少女は俺もやった。
俺は美少女チャイナ娘のキューニーちゃんが好みだ。
キューニーちゃんグッズが葬式に届き、何も言い返せず、弁解も出来ずに納棺されてしまう。
冷ややかな目で見る母親と妹、口うるさいだけの叔母さんのニヤニヤ顔。
嫌すぎる。
「マカロフちゃんだ馬鹿野郎!」と怒った恰幅のいい男は、身震いと共に「お前、入れるなよ?棺にマカロフちゃんを入れるなよ?」と言い出す。
「嫁さんと娘さんにはバレたくないか?」
「ああ、『もうパパってば、またキャンプの動画見てるの?』、『本当にパパは硬派だね』と言われたままの父親で逝きたい」
真剣な表情にニヤリと笑った小柄な男は、そのまま「な?死ぬより葬式の方が怖いだろ?」とドヤる。
一瞬頷きかけた恰幅のいい男だったが、「いや、まだ死ぬ方が怖い」と言う。
「仕方ない。もっと怖い葬式を話そう」
小柄な男はそう言うと、「俺には40まで独り身同士だったら結婚しようと言って終わった彼女がいた」と話し始めた。
40遅すぎじゃね?
それから結婚して、出産と育児って、早くても子供の成人は還暦過ぎるよな?
ウチの親父は40代の終わりに俺の成人式を祝ってくれたぞ?
恰幅のいい男は「だけどお前、結婚…」と口を挟む。
ん?
え?コイツ嫁さんいるの?
「ああ、だからその約束はない。キチンと彼女には結婚の報告までした。彼女は『約束だもんね。仕方ないね』と言っていた。『私が仕事が楽しくて、結婚とか考えられないって言ったからだもんね』と言い、涙を流しながら『ずっと好きでいていいよね?来世があったら二十歳で結婚しよう』と言われた」
おいおい、相当なやり手だな小柄男。
恰幅のいい男は「お前、それ奥さんには?」と聞くと、「言うわけがない。言えるわけがない!」と握り拳で力説をする。
「いいか?俺がもし明日死んだら葬式になる。前の彼女は学生時代からの付き合いで、未だに年賀状も届く。友達だと思っているから嫁さんも連絡するだろう。もしかしたら学生時代の友人が気を利かせて連絡するかもしれない」
小柄な男は話しながらどんどん夏の心霊番組の司会者のような口調になっていく。
「いいか?葬儀の席で泣き崩れる嫁さん、嫁さんを励ます嫁さんの両親と友人達、俺の両親、俺のきょうだい。俺の友達、会社の同僚にお前、皆がしんみりしている中に、泣きながら元カノが葬儀場に乗り込んできてみろ?想像付くか?」
げ…。
なんて恐ろしいことを考えるんだコイツは…。
「仮にこっちへの片思いでもいい。そんな相手が居たとする。俺が存在を覚えていない、記憶にない女が、泣き崩れながら葬儀会場に来てみろ。一瞬で俺の亡骸は俺の葬儀なのにアウェイになる。これでもかと向けられる白い目と陰口、嫁さんは愛情が一気にマイナスになるのに誤解だとも言わせてもらえない。これぞ正に死人に口なしだ。淡々と事務的に燃やされる俺、嫁さんはもう涙も見せてくれない。冤罪だ、誤解だと夢枕に立っても『あー、やな夢見ちゃった』とか言われるぞ?」
怖い、怖い、怖い。
やめろ、やめろ、やめろ。
「お前もバーチャル俺をやってみろ。イメージだ。お前の葬式、泣いている嫁さんと娘さん、パパ、パパと偲ばれるのに、そこに飛び込んでくる元カノ。元カノは大号泣だ。毎日一緒にいた妻子よりも久しぶりな分だけ想いは強い。疑われる不倫と不貞。泣いていた嫁さんは飛び込んできた女に、見せた事もない怖い顔で『お帰りください』と言う。娘も『パパ』から『不潔なジジイ』に早変わりだ。弁明の機会はない」
恰幅のいい男はワナワナと震えると、誰の名前かわからんが「ゆり子ーっ!」と叫び出す。
「どうだ?怖いか?ふふふ」
「あ、…あぁ…?怖い…。怖いな」
そう言って震えながらハイボールを煽った恰幅のいい男。
…胃に影があるなら酒やめれば?
クソデカ大ジョッキのハイボールを一気した恰幅のいい男は「ウィーっ」と言うと、「やっぱ死ぬ方が怖い」と言い出した。
「ならもう一段上まで話す必要があるな」
なに?まだ上があるのかよ…。
愕然としてしまう俺は枡酒に切り替えて男の話を待つ。
「いいか、元カノとかが来た場合の更なる話だ」
とかってなんだよとかって。
お前の人生にどんだけ女の影があるんだよ?
「それ、さっきのよりキツいのか?」
「ああ、極上級だぜ」
俺は冷めてきたホッケを口に運びながら話に耳を傾ける。
小柄な男は「さっきのは葬儀の話を聞いて、元カノとかが参列した場合だ。お前で言えば、妻子が参列を断り、門前払いも可能だ。だがな?門前払いを見越していたりして、お前宛に手紙を書いてきていたらどうなる?」と聞いた。
手紙?
まあない話ではない。
うちの婆ちゃんの葬式では、無骨そうで手紙とは縁遠い叔父さんが手紙を棺に納めていた。
後で聞いたら「向こうで寂しくないように、皆に会いたいとか言って皆を呼ばない為に、手紙には気長に待てと書いて、代わりに皆の写真を入れておいたんだ」と教えてくれた。
あの叔父さんがやるくらいだ。手紙文化はあるだろう。
「手紙があるとどうなるんだ?」
「よく考えろ、門前払いをするような相手の手紙だぞ?夫婦の最後を汚すのかと、嫁さんと娘さんが拒むかも知れない。その時に元カノとかが土下座の一つもして、後生だからと懇願して、受け取ったが棺に入れないんだ」
あ、それあるかも。
確かに受け取って無視、いわゆる既読無視だ。
「それを捨てられればまだしも、棺に納めず捨てもせず、持って帰られて大朗読会が始まったらどうする?」
…やだ怖い。
なにその怖い話。
やめようよ。考えたくないよ。
「告白の思い出、いや…その前の出会いや馴れ初め、2人でデートをしたエピソードが綴られているんだ。それを読まれてしまう。一緒にパンダを見に行ったよね?なんて書かれていたら、嫁さんは『ああ、動物園でパンダが見たいって言ったのに、反応が薄かった理由はコレね』と真実に気付く。誤解や冤罪もある。料理下手な元カノが勘違いして『私の回鍋肉を喜んでくれていたよね』なんて書いていてみろ、嫁さんは
『ああ、だから私の回鍋肉は不人気だったと』と誤解なのに怒りを募らせる。そんな危険が満載の中、万一彼女じゃなくてもいい、会社の事務の子でもいいんだ。実は知らない所でお前を良いと思っていたと手紙を書いてきて、その中には会社で『うちの嫁さんは寝相が悪い』とか『イビキがうるさい』とか、ちょっとした自虐トークのつもりで話したネタを拾われて、『奥さんは寝相が悪かったそうですね。私ならそんな事なかったんですよ?』なんて書かれていてみろ、読まれていてみろ。おしまいだぞ?」
恰幅のいい男はブルブルと震えている。
多分会社で自虐トークをしたのだろう。
「ヤバい、死ねない。まだ死ねない。今死ぬわけにはいかない」と言い出して、最後には「俺、生きるよ」と言った。
「よし、わかってくれたか!良かったぜ!」
小柄な男は嬉しそうに乾杯をして、なんとか話は綺麗にまとまっていた。
これは小柄な男なりの励ましだったのかもしれない。
死の恐怖に、死の先を意識させ、家族を思い出させて家族のために死ねないと、生きる意思を持たせる。
それがあったから恰幅のいい男は「まだ死ねない」と言ったのかもしれない。
まあいい話だ。
アルコールが入っていて、多少バカになっていてもいい話だ。
だが、そもそもそれは死ななければ起きないのでは?
俺が思った時、恰幅のいい男はそこに気づいてしまい、「やっぱ死ぬの怖い!」と言っていた。
小柄な男が「もう葬式の怖い話はねぇよ」と肩を落としたので、俺はお会計を済ませて帰る事にした。
帰ったら、明日は少し身の回りを片付けよう。
実はそう思っていた。
(完)
死ぬより怖いもの。 さんまぐ @sanma_to_magro
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