カミサマのおまじない
獅子島
第1話 「おまじない」
暗い森を抜けて嗤う木々を横目に走り抜けた先には真っ暗な闇と浮遊感。真っ逆さまに落ちていく感覚。暗闇の中で何かが弾けて消えていく。
光り輝くそれは星のようでもあって。まるで火花のようでもある。その光を見つめていたら何かが砕ける感覚がした。
底に落ちていく意識に抗えず目を閉じれば体は真っ逆さまだ。
「お目覚めですか?」
「……」
「ふふ。まだぼんやりしているのですね。さぁ、起きて」
「こ、ここは…」
体を起こせばそこは見慣れない部屋だった。
白を基調とした壁紙に小花が散っている、金の装飾が施された柱はとても豪華だ。
まだぼんやりとしている意識をなんとか覚まそうと頭を振る。ほんのりと香る薔薇の香りに顔を上げれば、こちらを見つめる端正な顔と柔らかな桃色の髪とまるで慈しむかのように見つめる真紅の瞳。
伸ばされた手は白く綺麗だその掌が頬に触れ、びくりと肩を揺らせば微笑まれる。
「そんなに怯えないでください。大丈夫、もう何も怖いものなんてありませんから」
その時初めて気付いたのは、自分が泣いている事。
頬を伝う雫は少しずつ布団を掴む手を濡らしていく。嗚咽を漏らす声も重なって抑えられない。恥ずかしいもうそんな年じゃないのにと思う気持ちを知ってか知らずか目の前にいる女性は額にキスをした。
驚いて固まると女性はただ笑う。
「さぁ。こちらに貴方にお渡ししたいものがあるんです。こちらを受け取っていただけないかしら」
「……これは?それにこんな豪華なもの貰えません。あの、俺、帰ります」
「…帰るってどこに?」
「え……そ、れは」
女性に手を引かれ案内されたのは豪華なソファでその前の対となる机の上には服や装飾品などが置かれている。パッ見ても分かるくらいそれらは高級品だ。そんなもの受け取れないと拒絶し、部屋を出ようと立ち上がれば優しく手を握られる。
近付く顔に体が固まる。
帰る場所—そんなも決まっている。なのに、言葉が出てこない分かっているのに口から零れる言葉は意味のなさない音だけ。
分からないのだ。自身のことでさえ。なのに目の前にいるナニカは自身を知っているように笑む顔が突然恐ろしく感じられた。
冷や汗が背中を伝っていく感覚に震えが溢れる。女性は困ったように笑うと彼を抱き締めた。
「怖がらないで。分からなくていいのです、ここでは何もかもが無意味なのだから。色も形も全てが意味を成さない。あるべきはその存在という魂の価値だけ…。何も怖いことなんてありません。記憶を対価に貴方は何を受け入れるかなんて容易いこと、対価は相応です。さぁこれを受け取って、貴方自身を受け入れて、貴方がこの世界を享受すれば全て取り戻せるのだから…」
「俺は……」
女性の手の中には小さな透明なガラスケースとその中に燃えるように輝く光。色のないそれは星の煌めきを纏って綺麗だ。
それを女性は彼の胸の前へ押し付けるように添わせ、違和感に気付いた時にはそれは体の中に入ってしまった。途端に歪む視界と酷い眠気に立っていられない。燃えるように体内に疼く熱に侵されて痛む胸を抑えて蹲って必死に耐える。
「苦しいでしょうが、その痛みは一瞬です。これで契約は結ばれた…ごめんなさい」
「あ…ぁ……」
「クリア。どうか貴方の人生が幸あるものになりますように」
霞む視界にまたか、と思う。
薔薇の香りに包まれて彼—クリアは意識を手放した。
なんてことの無い人生だったはずだった。
夢を追って上京して志半ばで心が先に折れた、何の意味もない日々を過ごして自分を偽って、光から目を閉ざして無意味な正義感に息が詰まりそうだった。
中途半端な人生に嫌気が差したのかもしれないいや、人はそれを魔が差したと言うのだろう。
インターネット上で見つけた、おまじない。
小学生の頃に良く流行った都市伝説のようなものだ。
掌に収まるくらいの紙に描いた星のマークと飽きたという文字。それを手に握り眠る。
大人の特権であるお酒を入れていたことで変な好奇心が募り面白半分で試してしまった結果、何処かも分からない自身のことも分からないという最悪な結果を生み出してしまった。
そして、新たに与えられたのは新しい名前と姿そして存在だ。
気付けばもうあの始まりから数ヵ月が経っている。
この世界にも慣れてきた。
ふかふかのベッドの上で布団を被り起床のコールが鳴り響く部屋の中でそれを拒むように唸る。その存在がいるベッドが軋み甘い匂いが鼻腔を擽る。
「クリア。起きて、もう起床のコールが三回も鳴っているよ」
「んん…起きる…」
「それも三回目だ。そんなに起きられないならオレが目覚めのキスでもしあげようか。まるで童話の中の美しい姫君の目覚めのように」
「起きる」
「あはは。おはよう、寝坊助くん。また眠ってしまう前に顔を洗っておいで」
「…おはよう、アーツ。ナインは?」
「彼ならとっくの昔に出て行ったよ。今日も隣町まで遠征だそうだ。全く素晴らしい正義感だね、感心するよ」
「ふぅん」
「さて、騎士長殿が不在という事は、我らが副騎士長は今日も缶詰という事になるのかな?大変だね」
「知ってて言っているならだいぶ意地悪だぞ。手伝う気もない癖に」
「おや。今日の副騎士長はご機嫌斜めだね。大丈夫ちゃんと手伝うよ」
「ホントなんだか」
クリアは、意地悪な笑みを浮かべ口から生まれたかのように良く回るその口を動かす赤髪の男—アーツを睨む。少し背の高い彼はそんな睨みを意に介さない様にふわりと笑って、タオルを差し出す。クリアは無言でそれを受け取り無造作に顔を拭けば顔を離した途端にそのタオルは宙に浮かぶと洗濯機の中に放り込まれて蓋が閉まり勝手に動き出す。魔法だった。
「横着」
「何か言ったかい?使えるものは使わないとね」
この世界には魔法がある。それがこの世界の普通だった。
この世界の人間はある程度の魔法が使えるそれが生まれた頃からの普通で、その強さは個人差が在れど全く使えないという人間はいない。
その例に漏れずクリアも魔法が使える。元の世界にこんなものはなかった、空想の中の幻想だと思っていたから。
「—ッ、いった…」
「無いものを生むことはできないよ。クリア」
「ないものじゃない。元々あったものだ」
「それを対価にここに来たんだろう?その意味が分からない愚か者じゃないんだから…それとも痛みが好きなもの好きだったりするのかな?」
にたりと笑む意地の悪い顔をこちらに向けるアーツ。
元の世界のことを思い出そうとする度に痛みに襲われ思い出しては消えていく。そして無かった事になる。記憶を対価にクリアはこの世界に来た、という事になっているがその意味がクリアには理解できない。この世界の仕組みもあやふやでまるで幻想の世界だ。
この世界の街の人はとても温かい、それ故に恐ろしく感じる。人間が嫌いな訳じゃないと思う、なのにその温かさがとても恐ろしく感じるのだ。
無意識に前の世界と重ねているのかもしれない。
「前の世界も悪くなかった、と思うんだけどな…」
「またそれか?キミは本当に元の世界への執着心が強いな」
「ルーナ」
「隈が酷い。しっかり寝ているのか」
「彼は今日三回目のコールで起きているのに寝不足なんてそんな…おや…」
「仮にも副騎士長が聞いて呆れるな」
「そうだな…気を付けるよ」
職場であるゼーレの廊下をアーツと共に歩いていれば目の前から現れたのは金の髪と顔の半分を覆い隠す仮面を付けたスラリとした体躯の青年だ。
鋭い視線が仮面越しにも伝わってくる。
「遅れを取るようでは今後の存続も危うくなる失望させるなよ。レイヴン騎士」
「厳しいなお前は」
「貴様らが緩すぎるのだろう。特にその横のヘラヘラとした野良猫のような男がいい例だ」
「野良猫って…アーツ、笑っている場合じゃないぞ」
「あははは!野良猫だって、キミも冗談を言うんだねぇ」
「とにかく、その顔色は良くない。早急にあのイカレ騎士長にしっかり座に居ろと伝えるべきだ。貴様の負荷が大きすぎるのも一つの要因だろう。今日は何処にいる」
「ナインなら隣町に遠征だよ。明日の夜まで帰ってこないんじゃないかな」
クリアの代わりにアーツが答える。ルーナの拳がわなわなと震えだす。いまにも殴りかかろうとしているくらいの勢いだ。
ナインはレイヴン騎士の騎士長をしているにもかかわらず殆ど姿を現さず城外の街に出掛け人助けをしている。なのでその代わりを全てクリアが担っている。
その許可を出しているのもゼーレなので大きな声では言えないが、そもそも騎士長自らが赴くことではない。クリアの目の前で怒りに震えるルーナもシャイニング騎士の騎士長である。シャイン騎士にも同じような命令は出されることもあるが、ルーナは基本部下に任せている。それは部下が申し出ている可能性はあるがしっかりと話し合っているからでもある。ナインはその逆で自身で見て最後まで見届ける派なのだそうだ。
クリアはずっとゼーレ自らが赴けばいいのにと思っている派なのでどの意見も良く分からないが、本人の意思を尊重することにしている。
「まぁまぁいいじゃないですか?あの騎士長さん強そうだしヘマするとも思えませんしー?」
「ミカエル貴様、何処に行っていた」
「え?…あぁ、遅刻しました!すみません」
「ミカエル!!」
「遅刻の一回や二回大目に見てほしいものだけど。そんなピリピリしないで騎士長さま」
「貴様には副騎士長という自覚が足りない!!」
ルーナの肩に腕を回し垂れた目を細め微笑む長身の男性はルーナと同じく仮面を付け顔が半分隠れている。
ルーナがミカエルと呼ぶその男はルーナが率いるシャイニング騎士の副騎士長をしている。クリアは何度か騎士の会議で顔を合わせているが食えない男だなと思う。
柔和でその目に見つめられれば全てが見透かされているそんな気がしてしまうくらいミカエルが話す言葉が重いのだ。シャイニング騎士に捕まれば、この男の尋問が待っていると思うととても恐ろしいと感じる。
「行こうか」
「あぁ」
「ねぇ。もう諦めたらその隈も取れるんじゃないかな」
「……余計なお世話だよ」
「はは。そりゃどうも」
去り際に掛けられた一言はクリアを咎める。
夢の中でもずっと探している、元の世界の自分をいっそ諦めてしまえれば良かった中途半端に消えないモノがクリアを唯一縛り付けている。
元の世界に帰りたいのだろうか。自分は―それすらも分からないまま時は過ぎていく。
自身の管轄する部隊の部屋に行こうとすればゼーレ内に警報が鳴り響くそれを聞いてアーツがニヤリと笑む。嬉しそうだななんて言葉は心の中に仕舞って代わりに違う言葉で歩みを促す。
「行くぞ」
「仰せのままに」
ゼーレの守護を管轄にする騎士は三つの部隊に分かれている。
太陽の守護を持つ、イーグル騎士。
光の守護を持つ、シャイニング騎士。
夜の守護を持つ、レイヴン騎士。
三つの部隊はそれぞれの特徴を持っており、ルールがある。お互いに干渉はあるものの深くは干渉しない。
そして三つの騎士の共通ルールは、お互いを尊重すること、助け合う事、干渉しすぎないこと。この三つだ。
いままでそれを破られたことはない。それがルールだからだ。
「これ、オレたちの出番あると思う?」
「……」
「おっと、流石だな」
「フン」
ゼーレから出た塀の所には既に多くの騎士で溢れその視線は一様に一人の存在に向けられている。
赤い燃えるような鮮明な赤。綺麗に伸ばされた髪が風に揺れる。それは本当の炎のように。その存在が携える細身の剣は天高く掲げられる。
その優美な姿に人は皆見惚れてしまうだろう。それもそのはず彼女はこのゼーレで最も誇り高い騎士。イーグル騎士長。
「何、熱くはないさ」
一瞬のうちに魔獣は大きな炎に包まれて奇声を上げ消えていく。
灰も残らないとは残酷な、と思うが皆それを美しいという。
「お疲れ様です。リン」
「あぁ。怪我人はいないか確認してくれクライル」
「畏まりました」
リンと呼ばれた女性は身長も高く綺麗に鍛え抜かれた体に合わせた制服がよく似合う。細身の剣を魔法で仕舞いギャラリーに解散するように声を掛ければ周りはそれに従って去っていく。
少し困ったように眉を下げ、目の前にいる部下でもあるイーグル騎士の副騎士長に指示を出す。一礼をして美しい所作のままクライルは消えていく。
そして、まだ残っている存在が四つ。クリアとアーツ。ルーナとミカエルだ。
「そんなに見ないでくれ。少し気恥ずかしいよ」
「素晴らしい戦いだった」
「あぁ」
「ありがとう。丁度、巡回から戻った時だったんだ。しかしゼーレが近いこんな場所であのような魔獣一体誰が…」
「魔法陣の気配はもうないけれど微かに魔術の痕跡はあるね」
「術者か」
「さて、どうだろうね」
アーツが魔獣の居た場所の地面に手を置いて魔力の痕跡を探るがすぐに手を離したところを見ればあまりいい結果は得られなかったようだ。
その後ろから駆け寄るクリアにアーツは首を横に振る。
「闇の魔術の微かな気配…」
「……厄介だな」
「とりあえずゼーレ内に戻ろうか、報告もあるだろうし」
「あぁ。そうしよう」
最近頻繁に出没する謎の魔獣は結界が貼られている城内で起きている。
それが原因で街の人々は不安な日々を過ごしている。ゼーレは総力を挙げて捜査をしているし、騎士たちもすぐに駆け付け対処にあたっているが、どうにも尻尾が掴めないのだ。
手を拱いている間に事件は起きた―。
カミサマのおまじない 獅子島 @kotashishi
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