十二 (3)


 その次に根津の家を訪れた時、アーネストは私に大判の封筒を差し出した。

「前回撮った写真だよ」

 私が写真を封筒から引き出して見ていると、彼は言った。

「これは芸術作品にはならない。君にきちんとポーズをつけていないし、表情も演出していないからね。でも、素敵な笑顔だ。ぼくは自分のためにこのショットを現像したよ。君にも同じ写真を持っていてほしいんだ」

「宝物にするよ、ありがとう。けど……これ、自分の心まで裸で写っているみたいで、恥ずかしいな。誰にも見られないように、隠しておくよ」

「ぼくら二人の間では、これが最高傑作ってことだね」

 彼は私の肩に腕を回した。

「もう、難しくはないだろう?」

「何が?」

「愛してるって言うことがさ」

 アーネストのささやきに、顔が赤くなる。

「言ってごらんよ……」

「……愛してる」

「よく聞こえないな。もっとはっきり言える?」

 からかう口調に、むきになって日本語で答える。

「それでいいよ」

 彼が笑う。

君は可愛いねユー・アー・ソー・チャーミング、惇也。ぼくも君を愛してるよ」

 抱きしめられて、彼の匂いの中に目を閉じる。この時が、いつまでも続く夢を見て――。



 ――愛していた!


 色褪せた封筒と、あの日のままの写真を手に、私は自分が泣いているのに気づいた。昨夜の雨で濃く湿った土の上に、涙が次々と落ちては消える。

 アーネスト。

 愛されていなかったのではないかという疑いの念は、いつしか苦い確信へと姿を変え、私の中に凍りついていた。幸せだった日々を思い出すまいとするうち、愛の言葉を交わした記憶さえ、悲しみの地層の下に沈んでいったのだ。忘れたいと願うばかりに、彼にもらった写真を如月が見つけた後も、それにまつわる思い出をあえて呼び起こそうとしなかった。

 胸の奥に冷たくこごり、私を傷つけてきたものが、今、淡雪のように融けていく。

 彼が私を愛していたかどうかなど、問題ではなかった。ただ私が、愛していると――あなたを愛していると、私の血となり心となった二つの言語で証を立てられるほど、本当に彼を愛していたこと、それだけが大切なことだったのだ。

 吐き出すように、私は泣いた。アーネストと別れ、また瑶子が去ったあとも、こんなふうに泣いたことはなかった。涙は嗚咽とともに限りなく溢れ、口元を押さえた私の手から滴り落ちては大地に滲みた。深く淵に沈めた感情のかけらが一つ、また一つと水面を目指して上昇し、重しから解き放たれて、高いくうへと同化していった。

 長い涙の時間が過ぎた。身を震わす衝動が引いていくと、心地よい疲れとともに、すがすがしさが残った。自分の中に溜まったおりが洗い流され、内側から浄化されたかのようだった。

 頬に塩気が痛い。涙の止まった目で、天を仰いだ。

 雲が切れて、春の青空が見えた。




 二〇一七年三月のカレンダー写真に、桃の花が咲きこぼれている。白と濃淡さまざまの桃色に染まる山里の景色の下、日付をもう一度確認して、私は如月燎からの電話を待った。今日、この時間に私の研究室へ電話をかけると、彼からメールがあったのだ。

 岬裕真が北海道へ去って七年、如月が修士課程を終えてからでも、六年が経つ。

 あの雨の夜の翌朝、私の家を出る如月を見送って以来、彼の姿は見ていない。翌年、東日本大震災の混乱が続く中で行われた学位授与式の日、文学研究科の式から研究室に戻ってくると、ドアの下の隙間に封筒が差し入れてあった。中のカードに、――在学中はお世話になりました。お元気で。――と書いて、如月燎の署名があった。

 もう二度と、如月と私の人生の軌跡が重なることはない。そう考えていたのだが、数日前に入った一本の電話が、思いがけなく彼にまつわる記憶を呼び戻した。

 電話の主は、旧知の編集者だった。この大学の広報課を経て、今は大手航空会社機内誌の発行に携わっている。彼の依頼で何度か、英語や文学に関するエッセイを寄稿したことがあった。今回もその件かと思えば、別の原稿を頼みたいという。

「新企画のシリーズ記事で、若手ビジネスパーソンを紹介するんです。インタビューをメインにして、そこに本人をよく知っている方々のコメントをプラスする予定なんですが、初回に取り上げる方から朝永先生のご指名があったので、お時間があれば一筆いただけないでしょうか」

 ここしばらくの卒業生の顔を思い浮かべた。アメリカ文学の専攻で、雑誌の取材を受けるほど産業界で活躍しそうな者がいただろうか。

「書けると思いますが、誰でしょう」

「如月燎さんといいます。文学部のご出身ではないですが、憶えていらっしゃいますか」

 その名を耳にした途端、時と場所の感覚が飛び、口がきけなくなった。相手の呼びかけで我に返り、指名の理由を尋ねたが、そこまでは聞いていないという。

「如月さんがいた研究室の先生にも依頼していまして、そちらからは、在学当時のプロジェクトについて書くと回答をいただいています。専門分野の外からの視点も加えたかったので、他にどなたか書いていただけそうな方がいるかと如月さんにうかがったら、文学部の朝永惇也先生で、とすぐ言われたんですよ」

 どんな内容を書くのがいいのか、確認したいと編集者に伝えると、彼から如月に連絡を取ってくれた。追って、如月本人のメールが私に届いたのだった。

 時計が正午を少し回ったところで電話が鳴った。呼吸を整えて受話器を取る。

「如月です。朝永先生?」

 彼が初めて電話をかけてきた時を思わせる、明るく、扉を開けて飛び込んでくるような声だった。歓迎と、懐かしみを込めて答える。

「ぼくだよ。朝永だ。よく、かけてくれたね」

 しばらく、近況の交換をした。如月は大学院修了後、外資系のIT企業に就職したが、一昨年、かつて指導を受けた宮園准教授――今は教授になっている――から、研究室で立ち上げたベンチャー企業に移らないかと声をかけられた。産学共同プロジェクトとして、如月の学部生時代に産声を上げたそのベンチャーは、今は小規模ながら先進的な各種アプリを開発する企業になっており、彼はその一部門を率いているという。

「宮園先生に会いに行った時に、朝永先生にもご挨拶したかったんですけど、柳井がうろうろしてるかと思うと、そっちの建物に行けなかったんですよ」

「柳井さんはもういないよ。四年前、上海の大学へ引き抜かれていった。ここの二倍の給料が出るんだそうだ」

「なんだ、そうだったんですか……。俺、今、出張でシンガポールに来てるんですよ。帰ったら、お邪魔していいですか」

「もちろん。君の母校だ。ぼくは定年までまだ数年あるから、いつでもおいで」

「ありがとうございます。……朝永先生、ネットのニュース記事で見ましたよ。日本の総合大学で、バイをカミングアウトした初めての学部長だって。注目の人じゃないですか」

「そんな大したものじゃないけど、この頃、話を聞きたいという人が増えてきた実感はあるね。特別なことは何もないですよって答えるんだけど。時代だろうね」

 如月と私が最後に会ってから数年の間に、日本の性的少数者をめぐる社会情勢は劇的に変化していた。国会議員に、同性愛者であることを公表した候補が初めて当選し、東京のある区では、現行法では結婚できない同性カップルに、法的保護を与える条例が制定された。大学でも性的少数者の学生を支援する方針や組織の必要性が認識されるようになり、思いがけず本学がその先進的な事例となったのだった。

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