第256話

*鑑定の祠


 もう無理だよ。


 ライムが思わず発してしまったその言葉は、彼女の意思がはっきりと乗った言葉だった。


「目的の物が目の前にあって、敵が来る前に…ってのだったら…良かったんだけど」

「…………」


 ガーは少し押し黙っていた。


 ここまでは、階段にはモンスターが出ない。それを信じての行動だった。

 これ以上は彼女の身が危険だ。これ以上は冒険じゃない。それは我儘だし無謀だ。 また来ればいい。


 ガーは正当な判断ができた。


「わかった」


 ライムはホッとした。この分なら二人とも無事に帰れる。

 帰り道の階段や、綱渡りを思うと気が遠くなるが、勇気ある決断ができたのではないか。そんな風に考えていた。



 立ち上がったライムの目には見えた。違和感のある床が。似たような色だが、材質の違う石床だった。彼女の目がそれを見分けてしまった。


 なんだろう?

 たった一歩、そちらを向くため踏み出しただけだった。


『ひっ』


 ライムは轟音と共に地面に吸い込まれる。落とし穴に落ちたのだ。


 ガーが慌てて駆け寄り覗き込む。高さはそれほどではなかった。

 ライムは尻もちを着いた風で足を投げ出し、苦痛の表情を浮かべて上を向いていた。


 ガーは鞄から縄を取り出した。

「大丈夫?」


「…なんとか」


 その時、嫌な音がした。

 開いていた落とし穴の蓋が、地響きを立ててせり上がり出したのだ。


 それは、ライムから見ると天井に開いた窓が閉されていくようだった。


 落とし穴の中は真っ暗だった。

 光源が失われていく。


 地獄に落とされ、天国の門が閉じて行くようだわ。

 ライムは、打ちつけた体が痺れて、あまり身動きできないまま、なにか他人事のように考えていた。


 小さくなった天界の扉から何かが降って来た。


 細くなった隙間から無理矢理飛び込んだからか、上手く着地できなかったようだ。

 大きな音と、小さなうめき声が聞こえた。


 線のように細くなった光源が、最後に一つ、大きな音を立てて閉じられた。

 音の響きが消える。そこは暗闇に包まれてしまった。



「まったく…無茶して、何のつもり」

「置いて行かないって、言ったよね?」


「ふん、今のはわたしが置いて行こうとしたのよ」

「じゃあ、置いて行かないでよ」


 真っ暗な石室に、子供たちの忍び笑いが聞こえた。



 煙突の煤を塗り固めたみたいな暗闇だった。すぐに目が慣れると思っていたが、いつまでたっても変わらなかった。

 ライムは自分がどこにいるのかもわからなかった。


 恐ろしくて泣き言をいいそうになったが、すぐそばでガーの身動ぎの音がする。

 ガサゴソと物音がして、暗闇のポケットから光が取り出された。


「…え、なーにそれ?」

「これは蓄光石だよ」


 ガーが鞄から取り出したのだ。青緑がかった白く光る石だ。

 これは日光などの光源に当てておくと、吸収し暫く光を放つ石だ。光に当てたばかりの頃は結構、強力に光るが、時間が経つと仄かにしか光らない。


 ガーは祠に入る前に日光に当てておいたのだが、大分時間が経っているので、光は弱々しかった。


 閉じてしまった天井に、ガーは石を向けてみる。弱い光は、そこまでは僅かにしか届かなかった。

 きっちり閉じてしまっているようだし、そこになんの手がかりもなかった。


「これじゃだめだ。ちょっと待って。小さいけど松明が何本かあるんだ」

「松明。わたし、それの作り方知ってるよ」


 ガーはライムの言葉を流し、再びガサゴソと鞄の中を探し始める。


「さっき階段で聞こえた音、落とし穴の音だったかも知れない」

 ガーは呟いた。


「誰か、ほかにも落ちてるの?」

 ライムは少しトーンの上がった声を上げた。彼女は良い情報だと思ったのだ。


「…人じゃ、ないかも知れない」


 蓄光石に照らされた、ガーの青白色の横顔が闇に浮かんでいる。真剣な表情だった。



 そうだね。そうだよね。

 気落ちすると同時に、ライムの胸は苦しくなった。突然、例の心が危険を告げだした。さっきまでとは違かった。危険が迫っているのだ。

 とても近い。


「ガー、何かいる!のんびりしてられないよ」


 緊張感のある、ライムの声にガーも警戒心を上げる。先程から彼の耳にも、何かが聞こえていたのだ。だが、気配がまるでつかめない。何か、はっきりしなかった。


「君は…なにかが、わかるんだね?」


 ガーは蓄光石を翳すが、辺りには何も見えなかった。見えるのは微かに浮かぶ天井と、周囲の床だけだった。


 周辺には突き当りが、壁が見当たらない。そこまで光が届かないのだ。とてつもなく広い空間にいるのか、ただ光が弱くて見えないだけなのか。二人にはわからなかった。


「ガー、音は?なにか聞こえないの?」


「なんか、さっきから聞こえてるんだけど、水音みたいな…でも、全然場所がわからないんだ。そこら中にいるみたいな。いないみたいな」


 暗闇から何得体の知れない何かが迫って来ている。二人はそれを感じていた。

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