第5話(下) 総合学習とかいう謎の時間

 そんな感じで誰よりも早く視聴覚室に着いた僕たちは――須凍さんに誘われるがままに最後尾の列の、端っこを陣取る。


「寝てても気付かれないから最後尾は人気あるよな」

「こんだけ暗ければどこで寝てても一緒よ。夜墨君はいつも最前列で寝てるじゃない」

「……よく見てるな」

「スクリーンに反射する光でよく見えるわ」


 高校で最もよくわからない授業――総合。

 自習だったり薬物濫用防止教室だったり部活動紹介だったり生徒集会が行われるバッファのようなこの時間を、今日は映画鑑賞に充てるらしい。

 映画と予告された以上楽しみにしている生徒も多いが――僕はそうじゃなかった。

 こんな時間あるくらいなら早く帰宅させてくれ、というのが本音だ。


 視聴覚室の端っこで、僕と須凍さんは二人で座る。

 僕らに続いてぞろぞろと続いてきたクラスメイトは、僕らと同じく最後尾から徐々に席を埋めていく。

 それでも、氷の一匹狼の圧を感じるのか、僕らの周りには誰も座らなかった。


 僕が須凍さんと仲良くなかった頃も、須凍さんの周りに座ろうとはしなかった。

 あの“圧”を二時間受け続けるのは――正直、しんどい。


 今もその圧を発しているのかもしれないが……今の僕には感じられなかった。

 須凍さんが思った以上に恐れる人じゃない、ということが分ってきたからかもしれない。


「……にしても、いきなり隣で映画見るとか」

「それだけ切り取ると、デートみたいね」

「偏向報道だ。授業の一環だろ」


「でも、こういう時男子は『好きな女の子と一緒に映画を見た』って嘯くんでしょう?」

「そういうのは皆中学校で卒業してんの」

「私は今……好きな男の子と一緒に映画を見るわ」


 さらっと言った須凍の言葉は、流せるようなものじゃなかった。

 須凍の顔を見ようと隣を向くと、須凍は顔を背けてしまった。


「……なんで黙るのよ」

「聞いてるこっちが恥ずかしくなっただけだ」

「冗談で言ったのよ、忘れなさい」


 なしなし、と須凍は極めて冷静――な振りをして、俺に向きなおる。

 がやがやと騒がしい視聴覚室の中で、僕らだけの時間が過ぎ去っていった。


「そ、そんなことより……昨日交換したLine、見てないわよね」

「Line……? ああ、そういや交換したな」


 朝は寝坊しそうになって、昼間は授業で忙しい。

 Lineどころかスマートフォンを弄る時間は無かった。


「なんか送ったのか?」

「夜墨君がスマホを確認しないのはわかったわ」


 なんだろうと僕はポケットからスマートフォンを取り出す。

 長押しで電源を付け、緑色のロボットが表示される。

 二十秒くらいして、大量のメール(ほとんどが迷惑メールのようなものだが)とゲームのスタミナ回復の通知、それからいつからか送られるようになったニュースサイトからの通知、そして最後にLineの通知が届いた。


『須凍有沙:お弁当を作ってきたので、一緒に食べます』


「『決定済み』みたいな文面が届いてる」

「開いてみて、最初はもう少し柔らかいわよ」


『須凍有沙:おはようございます。私です』

『須凍有沙:須凍です』


『須凍有沙;昨日はありがとうございました。早々に連絡できずにすみません。この文面を作るのに時間がかかっており、気付けば寝てしまいました。ところで、本日夜墨君のためのお弁当を持っていこうと思うのですが、ご迷惑でなければ一緒に食べたいと考えております。夜墨君の都合もありますので、四階屋上前で食べるという形でどうでしょうか?』


『須凍有沙:おはようございます。起きていますか?』


『須凍有沙:日向さんが近くにいるため話しかけられないので、こちら連絡いただけると幸いです』

『須凍有沙:お弁当ありますので、一緒に食べませんか?』


『須凍有沙:向かいます』


 朝6時から何回かに分けられてメッセージが送られていた。


「これでも、重くならないように気を付けたのよ……?」

「文字列から配慮は伝わる。なんていうか……ごめん、あんまりスマホ見なくて」

「謝る必要はないわ。逆に言えば、こうして話している間は私が夜墨君を独り占めできる、ってことよね」


「……優しいな、須凍は」

「優しいのよ、私は」


 須凍はくすりとほほ笑む。


「それとも――好きになってもらおうって人に冷たくあしらう必要はないから、って答えた方が私らしいかしら?」


「それも須凍っぽいけど……優しい方がいいかな」

「夜墨君はそっちがお好みなのね」

「ポジティブな方がいいだろ、人生楽しめそうで」


「私もそう思うわ。……とはいえ、緊張した時間だけは返してほしいわね」

「緊張?」

「ええ。既読マークがついていないから見ていないかもとは思っていたけど、もしかしたら無視されてるのかもって思ってハラハラしてたんだから」

「悪かったって」


 須凍はにぃっと悪い顔をして、僕を見る。


「……誠意」

「誠意?」

「そ、誠意として夜墨君に要求するわ」

「……あ、ポケットの中にガムくらいならあるけど」


 ガサゴソとポケットの中にあった板状のガムを一枚須凍に渡す。


「要らないわ。しかもトーマスの……」

「板状のガムがこれくらいしか売ってねーんだよ。トーマス美味いぞ」


「……ガムじゃなくて、時間を貰うわ」

「時間?」


 パチ、という音とともに視聴覚室の電気が消えた。 

 前面のスクリーン上には『桐島、部活やめるってよ』が流れ始めていた。

 「始まるぞー」とセッティングを終えた先生が電飾スイッチの近くに立っている。


 こそこそと、友達同士の会話は聞こえるが、先生はそれを無視して映画を流す。

 ここは映画館ではない。多少のノイズは割り切っているし、映画をちゃんと鑑賞したい人は前の方に固まっている。


 僕たちは――最後尾。

 多少話していても気にされない場所。


「そ、映画が終わるまでの2時間。夜墨君の時間をちょうだい」


 左側に座る須凍さんの吐息が少しだけ艶っぽくなり。


 机の上に置いていた僕の左手が引っ張られ――温かいものに包まれる。

 須凍さんの手だ。


 ふにふにと――僕の左手を、須凍さんの右手が包む。

 ……細くて、でも柔らかい。


 誰かに触られる感覚は、こそばゆくて。

 でも、どこか気持ちよくて。


 スタッフロールが始まる五分前くらいまで、僕の手は温かいままで。

 まるで昇天したような気持ちで、映画の内容なんて何も記憶にないまま――気付けば二時間が過ぎていた。

 須凍さんは、ほくほくとした顔で。


「これで、許してあげるわ」


 そう言って――ご機嫌に教室へと戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クラスのクール系美少女がいつの間にか俺にだけデレデレ(当社比)になっていた。俺を好きな理由を証明してくる毎日がもうしんどいです 一木連理 @y_magaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ