19話

 一度深呼吸をし、冷静に状況を確認する。

 不気味な男が現れたのは突然であった。城の中から見える騎士団の大演習場に人が吊るされていると報告を受け、万が一のこと考えこの場で一番戦闘力の高いメイアが直接見に行くこととなった。装備も戦争の時に着用していた国宝一式。騎士団の半分は街の鎮静化に当たっていたとは言え、護衛もつけて万全の準備ではあったのだ。

 演習場に辿り着き絶句。五本の柱が無理やり差し込まれ、そこに磔にされていたのはあの有名な冒険者パーティー【聖なる崩壊】だ。英雄レベルの五人がまとめて捕まり、一人の女の子は腹に大きな杭を打ちつけられていた。恐らくこの娘が他国の不死身の【アンレーヴ】なのだろうと察しはついたが、ここまでやるかとメイアは歯噛みをした。

 その瞬間だった。後衛に就かせていた騎士団が一瞬にしていなくなったのだ。音も無く、悲鳴もなく、まるで始めからいなかったように消えた。

 そして、いつの間にか目の前に長身の男が立っていたのだ。


「お前……割と強そうだな。いやぁ~アイツらとそこまで変わらねぇか?」

「な……ん…」

「ま、試してみるか」


 ギリギリだった。戦闘モードになるのがもう少し遅ければ、真横から放たれた魔力弾に首を折られるところだった。


「はぐぅうっ!」

「おっ?」


 大剣で受け止めたが、ただの魔力弾でありながらとんでもない威力と伸び。ジリジリと地面を削りながら何とかいなすことは出来たが、たったそれだけで手が痺れた。ここまでの相手と正面からやり合うのはメイアにとって初めての体験であった。


「すげぇ反応だなぁ!! やれたと思ったのによ!」

「一国を背負う人間を舐めるなよ」


 メイアの魔眼の星が煌びやかに光る。思考を読み、未来を視通す唯一無二の魔眼。その眼が捉えた最適な未来を沿い剣撃を放つ。

 しかし……。


「ふむ、攻撃の方はあんま捻りがねぇな?」

(くそ、思考が重なりすぎてノイズが酷い上どの未来でも一発も当たらん! どうなっておるのだこやつ!)


 単純な実力差と言えばそれまでだが、かと言って逃げ帰ることもできない。城の中に逃げた場合、まず捕まっている五人の首が刎ねられて城が謎の黒い魔法に飲み込まれる。一人で遠くに逃げた場合、メイアを引き戻すために家族全員が城の天辺から吊るされてしまう。どちらにせよロクなことにならない。


(朗報があるとすれば、捕らえられた五人はまだ生きているということか)

「知ってるか、よそ見って危ないんだぜ?」

「おわっ!」


 メイアは軽く足払いされ尻餅をつく。よそ見もしていなければ意識も途切れさせていない。無いはずの隙を突かれたのだ。何をされたかはわかるが、いつされたのかが全く分からない。

 不用意に立ち上がらず、そのまま超低姿勢で構えたメイアを見て、男は興味深そうにニヤつく。


「お前、何か変だな」

「お互い様だ」


 大剣が地面擦れ擦れで薙ぎ払われる。もちろん男は上に逃げるしかなく、メイアは着地される前に高速の二連撃を放つ。一発目は器用に避けられ、二発目は指で流された。魔眼通りの動きではあるが、ダメージさえ受けなければ時間が稼げる。強者が数人駆けつけるだけで未来の数が破格に増えるのだ。ここは我慢しかない。


「はっ! やぁっ!」

「典型的な綺麗な型だな。面白味はねぇが将来いいオモチャになりそうだなぁ~。どうすっかなぁ、殺すのは流石にもったいねぇか?」

「それは、優しいっ、事だな!」

「だろ? だからまだ迷ってんだなぁ~」

「っ!!!!」


 突然メイアは大きく距離を取る。

 様子見というか、生かすか殺すか悩みながら凌いでいたはずなのに、未来が変わったのだ。あと一撃打ち込んでいたら殺されていた。

 嫌な汗がどんどん出てくる。表情、仕草、予備動作、言葉、どれにも結び付かない殺意などあるものだろうか。今目の前にしているのは本当に同じ人種であるのだろうか。この疑問が募れば募るほど手玉に取られるのがわかっているのに、思考がガチガチに巻き取られてしまう。

 そんなメイアの表情を見て、「あ~」と何か納得したように男は手を叩いた。


「そっかそっか、お前、未来が見えるんだろ」

「なっ!!」

「あ、だよな! そんな動きしてんもんな! いやぁスッキリしたぜ。未来視の能力者なんて滅多にお目にかかれねぇからよ」

「……」

「黙っても無駄だぜ。こうされると嫌なんだろ?」


 目に見えて殺気が増し、武器を持たない男はゆっくりとその場で構える。


(まずい!!)


 メイアがその場で姿勢を低くし、僅かに飛んで身体を捻る。上手く着地し、すぐさま大剣を前に持ってくる。

 だが、男は構えたまま動いていない。


「いま、なにが……?」

「キシシ、何もしてねぇよ」

「では何故……ぅうっ!!」


 同じように男が違う型に構え直した瞬間、メイアは真横に回避した。またしても何も起こっていない。常人の数倍の思考速度を持つメイアですら、ずぶずぶと混乱の沼に引きずり込まれていく。


「武道の経験はねぇが、エンブってやつでもやるかな! キシシ、よく見てろよ」


 男がゆったりとした動きでどんどん型を変える度に、メイアはその周りをグルグルと不規則な動きで回っていく。回避、回避、回避の連続。しかし、攻撃は一切行われておらず、傍目には二人が何をしているのかさっぱりわからない光景になっていた。

 男が満足してケタケタと笑っている足元で、メイアは汗だくで膝を着いていた。運動量に見合わない細い呼吸。とんでもないプレッシャーを受け続けたのだ。


「はぁっはぁっはぁっ!」

「何されたかわかんねぇだろ。だが、お前のあの滑稽な動きは全部正解だ」

「…………」

「簡単な話しだ。攻撃しようとしたけど、避けられたから止めた。これの繰り返しだ。もし一瞬でも迷いが出たならお前は死んでいた。所詮、神の力とされる未来視なんてその程度なんだよなぁ。起こる事象が固定されれば他の未来なんて見せてももらえねぇ。結局は同じようなレベルの相手にしか効果がないんじゃ面白くも何ともねぇへズレ能力だ」

「……その我をおちょくるためだけに使った異常な反応速度が貴様のユニークスキルなのか?」

「クックック、そうだったらスキル封印の呪いや魔道具で対処出来たのになぁ。残念ながらコモンスキルですらねぇただの身体能力なんだわ」

「残念というほどではない。全ての能力で劣っているこちらにとって一つ対処しようと結果は変わらんからな」

「そこは変えてみせろよ。暇つぶしにならねぇ……だろ!」


 すくい上げるように腹部を蹴り飛ばされたメイアは、意識を失わないように宙で構え直す。眼に力を込めより多くの未来を導き出す。あえて使わなかった大技を解禁し、選択肢を一つでも増やす。


「トリアイナ王宮剣術【彼岸突き】」


 一振りで三十もの刺突を飛ばす、今やメイアにしか使えない王宮剣術の奥義の一つ。数多の湾曲した軌跡は精密な闘気コントロールにより分散、集中どちらも思うがままだ。この一撃で先の戦争の戦意を大きく削いだ、メイアの代名詞ともされている。

 目の前の男は捌くことも避けることも容易だろう。だが動かない。防御もすることなく、逆に手を広げて全てを受け入れた。

 その衝撃は凄まじく、城の硝子が何枚も割れ頑丈な外壁にも亀裂が入る。周囲に伝わる振動ですらその規模であるにも関わらず、薄い土煙の中の男は平然と立っていた。


「なかなかの威力だなぁ。やれば出来るじゃねぇか!」

「何が、何がしたいのだ貴様……っ!」


 致命傷にならなかったが、明確なダメージは入った。ずっと避けられていたからもしかしたら防御力は低いのではと希望を抱いていたが、それすら砕かれた焦りから感情がにじみ出る。

 男は鋭い歯を見せながらどこか遠くを眺め、嬉しそうにケタケタと笑う。


「遊びの時間も終わりが近そうだ。そろそろ準備しておかねぇとと思ってなぁ」

「どういうことだ!」

「ここからはちゃ~んと受け止めてやるから気合入れてかかってこいよ」


 我慢の限界だった。終始ナメられ続けたメイアは後先を考えずにパワープレイに入る。集中力を限界まで高め、身体能力強化を最大まで引き上げる。掠るだけで命を絶つような威力の斬撃を惜しみなくたたき込む。

 男は宣言通り全ての攻撃に対してしっかり肉体で受け止め、隙を見てはメイアの急所に打撃を打ち込んでくる。お互いにダメージが積み重なっていくこの攻防は、メイアにとっても悪くない流れであったが……。


「っ………っっ!…………」


 途切れそうな意識を奥歯で繋ぎ止め、少しでも多くの斬撃を相手に打ち込む。ただその一心に集中する中、ふわりと飛びかけた意識が僅かに別のことを考える。


(なぜ……こんな無駄なことを……)


 始めのようにただ圧倒することも出来ただろう。わざわざこんな殴り合いに付き合う理由などあるものなのか。受けなくていいダメージを残し、何のメリットがあって自分に付き合っているのだろうか。


 そろそろ準備しておかねぇと……。


 彼の言葉がふとよぎる。準備、何のことだろうと。こんな無茶な戦いに切り替えて何が準備なのだと。


(これこそが、準備……? しかし、殴り合いに付き合わせたのは……)


 メイアの直観が意識を明瞭にしていく。嫌な予感が確信ほどに膨れ上がる。

 付き合わせたのではない。のだ。


(まさか! なら奴のユニークスキルはっ!!)


 一瞬意識を失っていたメイアは打ち合いを止め、斬撃で竜巻を起こす。自分に近寄るなと言わんばかりのその行動が、悪手になっているのにも気付かず。


「はぁ、はぁ、そうだ、だからダメージを……」

「なぁんだ。わかってんならもういいわ」


 自分で視界を遮ってしまったが故の致命的なミス。背後を取られ、無防備になったところで渾身の蹴りがメイアを襲う。


「グぶぅっっっ!!!!」


 骨がいくつも砕ける音。内臓が飛び出すんじゃないかと錯覚するほどの一撃は全身を巡り、頭からつま先まで痛みで支配されたかのように思えた。

 衝撃は全てメイアの中で暴れまわるように打たれ、その場で痙攣したまま動けなくなったメイアは男に髪を掴まれ演習場の真ん中へ投げられた。


「悪くなかったぜ。最後にもっかい役に立ってくれよ?」


 笑いながらどこかへ飛び去った男にボロくずのようにされたメイアは瞼一つ動かせないまま涙が零れた。初めての敗北。国の窮地で負けるわけにはいかなかったのに。子供扱いではなくオモチャ扱い。何が英雄だ。何が星王だ。不甲斐ない自分が憎らしく、あの悪魔のような男が怖く、悔しくて、悔しくて、悔しくて。言葉を発せない代わりに目が訴えているのだ。


(……………ちくしょう)


 どんどんと痛みは酷くなる。それに連れて小さな音が聞こえるようになってきた。地面の冷たい感覚、自身の呼吸の感触、意識だけが元に戻ろうとしていた。


「…………っ…」


 誰かの声が聞こえた。

 見られたくない。こんな無様な姿。


「………イアっ…!」


 聞いたことのある声。知り合いだろうか。

 徐々に視界は戻りつつ、そのシルエットから誰かすぐに判明した。

 ロックだ。彼が近くにいるというだけで心が震える。なぜか安心するのだ。

 しかし、同時に思い至る。先の男があれほど準備する相手。

 いや、なぜすぐに結び付かなかったんだ。

 メイアは全身の毛が逆立つようにゾッとし、声にならない声を上げた。


「メイア! 生きているのか!?」

「ご…………ぁい…でぇ」


 その一瞬が、スローモーションのように映った。

 走り寄るロック。彼の頭目掛け、先ほどの男が光のような速度で蹴りを打ち込んだ。

 無防備に側頭部を撃ち抜かれたロックは、成す術なく地面を深く抉るように叩きつけられた。あんなもの、誰が受けても頭が吹き飛ぶ。生きているはずがない。

 城の一部を消し去るほどの破壊力と爆音の中、今日一番の大きな声で笑う男。心底嬉しそうに瓦礫の中のロックに近寄り、いつから持っていたのか赤い花束を丁寧に抱えていた。


「おぉぉぉぉお会いたかったぜ俺の神人!! 俺の夢!! 俺の人生の極致!! ほら見てくれよ! お前のためにこんな花束なんて用意しちまってよう! お前のことを考えるだけでなんて素晴らしい世界なんだと全てが色づいたもんだぜ! ずっとこうしてやりたかった!! あの時のお前と同じように不意を突き!! わけも分かんねぇまま取返しもつかねぇ!! そしてこうやってやるのさ!!」


 男は花束を、それはもう丁寧にロックの上に置いた。それは彼が思いつく中で最大の侮辱の形。憐れみ、慈しみ、嘲笑する。

 何もかもが男のイメージ通り。最も最高な復讐を遂げた彼は、しばらくその場でよだれを垂らしながら浸ると、ゆっくりとメイアの元へ歩き出す。


「さぁて、気分もいいし片付けでもするか。景気よく皆殺しだな」

「貴様……!!」


 痛みを堪えて何とか座れるようになったメイアには、もう戦う力は残されていない。

 終幕が訪れようとしていた。

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