第21話 罠に飛び込む小鳥
「大丈夫だ、桃」
祖父と慕う人の声が聞こえる。
「きっと、全てうまくいく」
そうだね。お爺ちゃまを信じてる。
「だから安心して行きなさい」
大丈夫よ、あたしはやれる。お爺ちゃまのことだってあたしが守る。
大丈夫。大丈夫だから……
何か落ち着かなくて、
朝の光が窓から差していた。ゆっくり起き上がる。とても眩しい。
眩しいけど可愛い。
──可愛い?
「……」
「も、
起き抜けにメイド姿の桃を見た圭一郎は、心臓が飛び出すほどに驚いた。
桃は何も言わずに圭一郎を少し睨んでいる。
「な、なな……どど……」
何だ、とか。どうした、とか。そんな簡単な言葉も出ないほど圭一郎は動揺していた。
「……おはようございます」
少し不貞腐れた顔で桃が言う。
「お、おはよう」
圭一郎はやっとそれだけ言えた。
桃が不機嫌に見える。俺は何かしたか?と圭一郎は自問自答した。
だが特に思い至らない。というか、昨日の記憶はあまりない。
探偵から桃の母親がやはり
しかし、それよりも弩級の衝撃が圭一郎を襲っていたのだ。
桃に、将来を約束した相手がいるかもしれない。
格好つけて「妻になるか」とか言ってる場合じゃなかった。
「昨日は、何か大変なことがあったんですか」
「え?」
桃にそんなことを聞かれて圭一郎は呆然と聞き返す。
「ずうっと上の空で、あたしと目も合わせてくれない。生返事ばっかりでご飯も食べずに寝てしまったし」
「……」
え。どっち?
圭一郎の脳は混乱を極めた。
使用人として主人の健康を心配しているのか。
それとも、構ってもらえなくて拗ねているのか?
「べ、別に、使用人ごときが考えることじゃありませんけど!失礼しました!」
圭一郎が呆けている隙に、桃は自己完結して寝室を出ていった。
「お、おお……」
あまりの可愛さに、圭一郎は悶絶しながらベッドに倒れこむ。
これって喜んでいいやつ?
とりあえず圭一郎の元気は復活した。
桃の目の前で着替えるのがアレなので、圭一郎は最近寝室にスーツ一式を置くようにした。
寝室で着替えた後、圭一郎が続く執務室の扉を開ける。桃はいつも通り朝食をテーブルに並べていた。
「……旦那様が寝坊されるのでいつもお部屋にお持ちしますけど、たまには食堂にいらしてくださいと富澤さんがおっしゃってました」
桃は手を動かしながら言う。それが新妻のお小言のようで果てしなく可愛かった。
「うん、わかってはいるんだが……」
圭一郎は朝食が並べられた所のソファに腰かけて、桃を見つめて言う。
「朝は桃以外視界に入れたくなくて」
「ば、ばっかじゃないの!?」
照れもせずに言ってのけた圭一郎に、桃は真っ赤になって乱暴にコーヒーを置いた。
そのせいで自分の手にコーヒーが飛び散ってしまう。
「あつ……ッ」
「大丈夫か?」
圭一郎は思わず桃の手を取った。柔らかくて小さい綺麗な手だった。
「急いで冷やしてきなさい」
「だ、大丈夫よ、これくらい」
顔を赤らめながら桃が言うので、圭一郎はじっとその顔を見据えた。
「桃」
「……!わ、わかりましたっ!」
桃はさっと手を引っ込めて、不貞腐れながら洗面台に向かった。水を流す音が聞こえたので圭一郎はほっとしてコーヒーに口をつける。
「申し訳ありませんでした」
「火傷はしていないか?」
「はい……」
ブスったれて返事する様もとても可愛い。やはり朝はこれがないと始まらない。もう圭一郎はそういうおかしい体になってしまっていた。
「ところで桃よ」
朝食を食べ終えた圭一郎は桃にあることを頼もうとしていた。
「なんでしょう?」
「すまないが、昼間のうちにおつかいを頼まれてくれないか」
「部屋から出てもいいんですか!?」
途端に桃は弾んだ声を出した。その様子に圭一郎は複雑な不安を覚える。
だが、我慢しろ。これは必要なことなんだ、と自分に言い聞かせた。
「大叔父に果物を送りたいので、デパートへ行って欲しいんだ。その時、この手紙を添えてくれ」
圭一郎は代金と封をしない手紙を桃に渡した。
「はあ……果物と言いますと?」
「うん。大叔父は果物なら何でも好きだから、旬のものを適当に見繕ってくれ。住所はここだ」
ところで忘れがちだが、桃は産業スパイを名乗っている。まともなスパイなら、こんな無防備な依頼は罠だと勘繰るのが普通だ。
だが、この娘は素直過ぎるというか、少し抜けているので……
「わかりました!おまかせください!」
案の定、とてもいい笑顔で圭一郎の頼みに頷いた。
「よろしく頼む」
本当にアホな子だ、この子は。圭一郎は笑顔の裏で桃の将来を心配する。
こんなに何でも信じてしまう子は、やはり俺が全力で守らないといけない。
「じゃあ、行ってくる」
圭一郎はカバンを持って部屋から出ようと歩き出す。
「行ってらっしゃいませ!」
桃は明るく、意気揚々と見送った。その姿に、ちょっと心が痛い。
圭一郎の思惑通りにいけば、今日の夕方には重大なことがわかる。
それが、今から恐ろしい。
圭一郎は、きっと今日も仕事が手につかないだろうなあと、今から会社に行くのが嫌になった。
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