第35話 なぜか分からない −dominant seventh chord−
本誌読者諸君はカーラ・ゲタという女性は知っているだろうか。
明晰な者であれば前回特集したキース・ウォトラニオ氏の口からも名前が上がっていたのを覚えていることだろう。
革命前夜、皇后セシルの官女であり、彼女と子供たちの最後を見送ったひとでもある。
カーラの名前に聞き覚えがなくても、この事件にはピンとくるものも多いと思う。
「血の日傘事件」
帝政から政権を引き継ぎ、時の権力者となったガルバ総統を暗殺したその人である。
第一級犯罪者がなぜか死刑されずに今なお生き続けられているのか、なぜかは分からない。
監獄の奥底で刑に服していると、まことしやかに囁かれた都市伝説の類だ。
本誌はカーラが収監されていた監獄の元看守とのコンタクトに成功した。
これまでその多くが謎に包まれていた伝説の人物が、初めて輪郭を表した瞬間でもある。
インタビュー時のテープを起こしながら、終始興奮気味な筆者自身に決まり悪さを覚えるが、どうかご容赦願いたい。
−チック・シンさん。今日はありがとうございます。
私自身まさか、あのカーラの生き証人に会える日が来るとは思いませんでした。
シン: ほんとたまたまなんですが、ウォトラニオ氏のインタビュー記事を見させて頂きました。読んだあとにこう思いました。私が聞いた話を誰かに届けるべきではないか、彼女達が生きた時代を知るべき時期なのではないかって。
−シンさんはモンゴメリからの移民二世ですよね?どういった経緯でオーセロワ監獄で看守として務めることになったのでしょうか?
シン: 生まれは旧ヴァルハル移民自治区です。父と母はタイウォン事変の時に亡命してきました。難民申請が通るまでは、国境沿いの難民キャンプで長い期間待機を強いられたそうです。とても過酷な環境で、飢えで死んだ人の肉を食べる者もいたそうです。一緒に逃れてきた難民の多くはそこで力尽きて死んだと聞きます。運良く生き延びた父と母はヴァルハルで出会い、私を生みました。
ヴァルハルには戦禍を逃れた多くの人種、多種族の難民の他にも、様々な理由でこの地に流れてきた者がいました。ただしヴァルハルで暮らすには母国語での交流を禁じられており、ラルキア言語の習得が必須となります。これは難民申請の許可にも直結します。そのため比較的同人種、同種族同士で結ばれることが多いのです。家に帰ればその限りではないですからね。私は二世であるため、ヴァルハル訛りはありますがラルキア語で育ちました。
ヴァルハルには異能局の支部があります。6歳になるとヴァルハルの子はそこで鑑定してもらうことが義務付けられております。私はそこで「干渉耐性持ち」であることが分かりました。
−それが後にオーセロワ配属されるきっかけに?
シン: (静かに頷く)私は異能局が用意した訓練所に行くことになりました。幼くして両親と離れるのは悲しかったですが、そのおかげで兄弟達も学校に行けたことを思えば恵まれていたと思います。おかげで家族もヴァルハルから出ることが出来ました。今では自治区は解体され工業地帯になっておりますが、あの多くの種族による混沌とした活気を今では懐かしく思います。
−干渉耐性とはどういうものなのでしょうか?
シン: 精神感染を防いだり、感情統制も図れる能力とのことです。これはあとで知ることになりますが、「連結」というアビリティからきているそうです。本来耐性とは別に、対となる攻撃型のスキルもあるわけですが、私の中にはないそうです。
オーセロワでは配属された職員は理性に異常をきたす者が多く、当時から問題になっていたそうです。特に政治犯、思想犯のアジテーターを集めた階は、彼らが持ち、私が持たない攻撃型のビジョンの共振が強く、その影響を受けない耐性持ちが必要になるわけです。
−すさまじい能力ですね。
シン: 歴史に残るような指導者は特に人を煽動することに長けております。立場の弱い人らに向けて困窮を訴える。そしてそれを阻んでいる仮想敵を作り出し、今排除しなければ暗い未来が待ち受けていると煽るのです。それだけではなく、無防備な心に共振を起こし、我々を救ってくれるのは彼だけであるという一種の錯覚に陥れます。
私は幼い時から自分の意思的にでしか感情的になることも、癇癪を起こすこともありませんでした。歌や詩に感動しないのではなく、振り幅を自分で決められる感覚です。訓練所では自身でコントロールする幅と深度を磨いてきました。そして今から22年前にオーセロワに配属されました。
−すぐにカーラには会えたのでしょうか?
シン: 最初の頃は存在も知りませんでした。フロアスタッフは耐性持ちで固められておりますが、囚人の能力と看守の能力が釣り合うかはまた別問題です。私は適正数値が高かったこともあり、他の職員が適応できない奥の部屋まで担当することになったのです。
−そして彼女に会った。
シン: 最初に担当する際、フロアマネジャーからも詳しい説明はありませんでした。ただ失礼の無いようにと言われただけです。それはとても異例のことでした。マネージャーは囚人に対し、過干渉を良しとしない、そういう信条をもっている方だと思っていました。
その言葉がどういう意味か図りかねましたが、とりあえず疑問を持ちながらも対象の独居房に行くことにしました。オーセロワ監獄には個室しかありませんが、待遇は様々です。場合によっては塀の外より不足の無い生活をしている受刑者もおります。政府と取引が出来るような大物を収監している場所ですから、それも不思議ではありません。
最初彼女は椅子に座りながら本を読んでいました。凛とした佇まい。背筋が伸びていますが、高齢のエルフです。私は形式通り自分が新たな担当になったことを告げました。彼女は本を閉じ、眼鏡の奥から私をずっと見つめております。部屋からは梔子の香りがしました。
やがて口を開くとこう言いました。「まずは座ってあなたの話を聞かせて。時間は気にしないでいいのよ。ここに回されたということはあなたは特別だから」と。
私は戸惑いを感じながらも、近くのメープルウッドの椅子を近くに寄せて腰掛けました。そして彼女の質問に対し、精一杯真摯に答えました。そうした方が良いと感じたからです。彼女は私の話を聞きながら何度も頷いていました。一通り私自身の事を話し終えると彼女は言いました。
「私の名前はカーラ。時代に取り残された亡霊ね。今の政府要人は私を怖がって処罰出来ないの。こんなおばあちゃん捕まえていやになっちゃうよね」
−彼女と話してみてどういう印象を持ちましたか?
シン: 彼女に名前を告げられても、正直のところピンと来ていませんでした。後に同僚から噂話として教えてもらうことになりますが、訓練所のカリキュラムで通る近代史では、一切触れられてきませんでしたし、もちろん聞いたところで、そんなとんでもない大罪人が彼女本人だとは到底思えませんでした。それを実感できたのは随分経ってからです。
◇
いつしか彼女は私に慣れ、私も色々なお話をするうちに、お互いの間に好意のようなものが芽生えてきていると感じました。
そんなある日、私にとって大きな出来事がありました。
その日も彼女のいる牢獄に(とは言っても実際には複雑な魔法術式が組まれた、ただの個室ですが)いつも通り記録簿持って向かいました。
彼女は私の顔を見るなり「どうしたの?」と尋ねました。
さきほどもお伝えしましたが、私は感情をコントロールすることが出来ます。今まで人に動揺を見分けられたことなどありませんでした。しかし彼女は私のささいな機微を見分けたのです。私は彼女に今朝両親から連絡が来た事を告げました。
一番下の弟が移民排斥のグループに捕まり、暴行を受けて意識不明の重体になったと私は言いました。今考えると順序も、話すべき要点もバラバラだったと思いますが、彼女は辛抱強く話を聞いてくれました。
私は早くから家族から離れて暮らすことになりましたが、それでも家族のもとに帰る僅かな時間をとても大切にしておりました。自己同一性を実感しにくい移民の子が、この世界と繋がっていられたのは帰るべき場所が存在があったからです。
彼女は私の話を聞いたあと、深く吐息を吐きました。
あんなに深い目をした彼女を見るのは初めてでした。
彼女はゆっくりと立ち上がり、電話を手に取りました。
なぜそんなものが牢獄に、しかも彼女の個室にだけあるのだと、そして今の今まで気づきもしなかったことを不思議に思いました。
というよりは受話器から聞き漏れるコール音で、初めて違和感の正体を感じたぐらいです。それぐらい自然に彼女は電話を手に取り、どこかに連絡をしました。
彼女は受話器を爪でコツコツと叩いていました。
部屋からミシミシと軋んで、今にも破裂しそうな雰囲気を感じました。
「お久しぶりです」彼女は繋がった相手に告げました。相手が誰かはわかりませんが、その相手は彼女から連絡をもらう事を歓迎していなかったことは確かです。
彼女は相手からの返答に何度か相槌を打ち、「わかりました」と伝えて受話器を置きました。
彼女は私に向き直り、笑顔をつくりました。
「あのね。あなたがどんなに感情を抑制できたとしても、ひとが抱えられる悲しみの総量は変わらないの。涙は痛いと声をあげるわけじゃないわ。行き場を失った苦しさが外に出て私たちに教えてくれているの」
私は初めて涙を流すという経験をそこで行いました。
涙がとまらない私を見て、彼女は言葉を繋ぎました。
「昔、昔、とても昔のお話。そしてこれは個人的な私の告解」
◇◆
− 皇紀659年 旧都ヴェルべコフ リーフィディック宮殿 −
別荘に移ってまもなく、招かざる彼らは宮殿の中を土足で汚した。
旧都には急遽逃れたため、必要な警護も追いついていなかった。
小銃を肩に掛け哨戒する民兵たちは、皇后と子供等を一室に集め、部屋の前に立ち交代制で監視している。
様々な種族、中には幼すぎる若者も居たが、みな感情を表に出す事を禁止されているように見えた。
帝都アリゴテはセシルの醜聞で、民衆の不満は最高潮にヒートアップしていた。
ゼネストは暴動となり、議会や皇宮警察は機能麻痺し、無法者が跋扈するようになったため、戒厳令が敷かれた。
それでも一度決壊した勢いは衰えることはなかった。多くの兵が帝都から離れていたため、収拾を図ることは難しかった。暴徒化した民衆と皇軍の衝突はもはや避けられないところまで来ていると思った。
皇后達に皇宮から離れるよう献策してきたのは帝都の留守を任されていた近衛師団からだった。
宰相も、大公妃様もすぐに反対を表明した。今ここから逃げてしまえば、皇室と民衆の間に決定的な溝が生まれてしまうと。
しかし皇太子殿下の体調が優れなかった。咳が止まらず、みるみると生気が失われているようだった。セシルにおいては、たとえそれが全てを投げ打ったとしても優先すべきことだと考えた。
そうして、なりふりかまわず旧都に向かい、事態は見事なほど最悪で複雑な状態を迎えた。
しかも民衆には知られずに帝都を出たので、ロイヤルファミリー全員が人質に取られた事を発表するわけにはいかなかった。当局はなんとか時間を伸ばそうと交渉を進めていたが、立てこもった犯行グループは痺れをきらし、新聞社を通じて声明を出した。そのあとはもうどうなったか、考えるまでもなかった。
体制側にもう民衆を止める術はなかった。
皇宮を取り囲む民衆は、門を薙ぎ倒し、雪崩れ込んだ。
門を守る近衛兵は抵抗はしなかった。
宮殿内は思いつく限りの蹂躙をされた。
抵抗するものは容赦なく恥辱をうけ、嬲られてから殺され、女たちは陵辱されたうえで殺された。
旧都の別荘を襲った民兵達は交渉する相手を無くし、混乱していた。
やがて誰かがプピエヌス線に出ていた軍が戻ってくると言い出した。
彼らの混乱はより大きくなり、ここでは守ることは出来ない、場所を移ると言い出した。
セシルは皇太子殿下の体調を思って残ることを懇願したが受け入れられなかった。
家族はオートモービルの荷台に載せられ、夜中に出発した。
そしてそれが私が彼らを見た最後になった。
のちに皇軍は本当にやってきた。
残っていた民兵を倒して、地下に閉じ込められていた私たちを解放した。
私は皇后たちの行方を知っているかと彼らに尋ねた。
皆誰もが首を横に振った。
そして皇帝陛下も戦場から戻る列車に乗りこんだ際に、敵国の工作員に爆破され帰らぬ人となったことを知った。
600年以上続いたセロニオス=クラウディウス朝は、ここに完全に終わりを告げた。
軍は暴徒化した民衆を鎮圧したのち、左翼が指揮する民兵との内戦状態となった。
長く多くの犠牲を出したその抗争に勝ち、次は混乱に乗じて独立を果たそうとする地域にも軍を派遣し、これを阻止。
ついには軍事政権樹立を果たした。
私は闇に消えた皇后と子供達が、どこかで生き延びていてほしいという、糸のような希望に縋っていた。来る日も来る日も行方を探し彷徨った。
何年も国内を歩き回った。
記憶をなくした少女がヘレン皇女からもしれないということで、遠方にも足を運んだが、まったくの別人だった。ガセだとわかっていても贖うことは出来なかった。
また数年を経て、政府は皇后とその子供達が森の奥深くで白骨となって発見されたと発表した。
私は昔の伝手をたどり、その森へと自ら足を運んだ。
白骨となった遺体はすでに引き上げられた後だった。
勿論、身につけていただろう貴金属なども見つからなかった。
私は森の奥で騒ぐ風を受けながら、彼らの声を聞いた。
トラックから降ろされ、森の中を進むように指示され、恐怖に犯されながら前を進み。
後から向けられた銃口に倒れた。悲鳴が暗闇を走り、次の銃声数発が響き渡ると残った声も消えた。皇后が被っていた帽子が風に飛ばされ舞っているように見えた。
私は森の間から聞こえる声に身を任せることしか出来なかった。
少し遠くに見える湖沼に、首の長い鳥の群れが見えた。
互いの体を啄んでいたり、翼を広げて日に当たったりしていた。
風からくる声はしだいに希薄になっていった。
伸びたり、細くなったり、まるで抑揚のないものに変わってしまった。
私は震える体を自身の腕で必死に留めた。
湖沼に留まっていた鳥達は私の視線に気づくと、群れをなしてそこから飛び立っていった。
◇
現政権が樹立された記念日を国軍の日とし、軍事パレードが毎年行われる。
ラルキア帝国時代とは色を反転させた国旗を街道に詰めかけた民衆が振り、挙国一致体制を国内外にアピールする。
思えば私はもうすでに鍋底にこびりついたカスみたいな存在だった。
親しいものは皆一緒に死んでしまった。
なぜ私だけ取り残して行ってしまったのか、もう神に救済を求める必要すら無かった。
そしてパレートが行われた日、私は悪魔にあった。
私の知っている悪魔の容姿は山羊の蹄と角をもち、立派な髭を蓄えた半獣だったが、その男は仕立てのいいスーツを着て、パイプと杖を手にし、頭が禿げていた。
「その悩みの根は深いと見えますね」
カフェでその男はそう話かけてきた。
「失礼。とてもお辛そうに見えたので」
まわりを見渡したが、私の他にカウンター近くにはいなかったので、どうやら自分に話しているのだと理解した。
あまり関わりたくないなと思い、曖昧に返事をすると、禿げた悪魔は意に介せず話しかけてきます。
「帝国がなくなって、新たな国名と支配者層に取って代わる。長らく帝国の中にいることに慣れた人々の中には、喪失体験を感じているものも少なくありません。心と体が馴染まないのだと思います。生活もあまり良くなったように感じられません。最近になってやっと政府は食糧徴発制の廃止を行い、余剰生産分の販売を認めました。対外的には一時休戦協定を結び、食糧輸入ルートも確保し、またインフレ対策として新たな通貨の発行と、生活必需品の配給制度が始まってます。疲弊した国内の対策としては、まずは悪くありません。いやはや彼らに官僚の言葉を聞く器量があったのは僥倖です。しかしながら効果が出てくるのはもう少し先でしょう。言論統制は帝国時代よりも強固に行なっておりますので、不満が表面化することもないでしょう。ただ日々を繰り返しながら私たちは思うのです。多くの犠牲を払った代償の世界がこれなのかと」
なんだろう。すごく違和感のある喋り方をする。
どちらからというと嫌悪感が先に立つ。有り体に言えば虫唾が走る。
「最前線を駆け抜けた私たちは、少なからず功罪を己に抱えております。違うんだ、仕方がなかったんだと自身に対して言い訳していくわけですが、言葉を発することができぬ死者たちは、なぜ、どうしてだと我々を淡々と非難してきます。帝国を降ろして権力を握った彼らは誰よりもそれをよく知っている。なにせ帝国最後の年に起きたできごとは、ことごとく彼らが絵を描いたわけですからね。
……ふむ。その顔は、なぜそんなことがわかるのかと言いたいわけですね。至極当然の疑問です。時代に敗れたのは帝国側だけではありません。あの時私は無数にあった抵抗勢力の一つに属してました。そのなかで、かつての皇軍がどう動いたかも知っているわけです。
あれは帝政最後の年でした。ある日、極左グループのイヴリット派に情報屋を通じて皇后一家が帝都を離れるとの一報が入りました。彼らも流石に都合が良すぎる情報が流れたことに対して、ずいぶんと訝しみましたが、皇宮警察による拠点一斉捜査で多くの仲間がしょっぴかれたり、他の対立グループとの内ゲバや粛清により弱体化が進んでいたこともあり、選択肢を選べる状態ではありませんでした。すでに追い詰められていたという点で、スケープゴートにするには打って付けだったのです。
リーフィディック宮殿には帝都から連れてきていた従者と僅かな警備兵しかいないことに、彼らは驚きました。予測もされていなかった襲撃に、制圧は拍子抜けするぐらい簡単なものだったと聞きます。実は私が当時在籍していたグループにも、他の団体にも情報は届いていたのですが、みな怪しがって手を出しませんでした。
抵抗勢力だった自分で言うのもなんですが、極左のグループは外から見ればみんな一緒と思われがちですが、その中身は理想と理念が違うため、互いにいがみ合い、憎しみ合っています。同じ宗教でも宗派が違えば、己の正義がため、忌み嫌うのとなんら変わりありません。皇軍に敗れたのも、革命を標榜していたグループはひとつに纏まることが出来なかったからだと思います。
まあ、これは蛇足ですね、失礼しました。話を戻すと、皇后たちを人質にとった彼らは追い詰められた状態であったため、グランドデザインが欠けていた。体制に対して一撃を加えることが、自分たちに残された唯一の革命であり、レーゾンデートルになると信じて疑わなかった。
それがあのような悲劇を生むとは誠に嘆かわしい限りです。
ただ私は思うのです。確かに彼らは愚かであった。ただもっと醜悪なのは救世主の皮を被ったフレネミー、皇軍でなかったかと」
それは私に対する明らかな挑発でした。
ただ、それをそうと気付けるのは俯瞰できる余裕がある場合に限ります。
その皇后一家を襲ったというグループ同様に、その時の私には余裕は一切ありませんでした。
禿げた悪魔は続けました。
「私にはあなたが今どう思っているか、手に取るようにわかります。死者への贖罪、無力への憎悪。果たせなかった思いは胸を掻きむしります。あの時、なにかを変えれば違った未来があったのではないかと頭をもたげる。拭いきれない悔恨。そしてその時間になるといつも懺悔を唱え赦しを請う。過去の自分の顔を鏡に映して、狡賢く立ち回る自身の醜悪さに目を覆いたくなる」
彼は瞳の奥で私を見ています。
「あなたに力を授けましょう」
◇
− ヒトサンサンマル 総統府庁舎前 −
とても暑い日だった。照りつける日差しは攻撃的になることを決めたようで、地面からの輻射熱がのぼり、汗ばんだシャツがとても不快だった。
「止まれ!!民間人の立ち入りは禁止されている。許可なくここより先には入ることはできぬぞ!」
守備兵が私に話かけている、と思った。
私はどうすればいいのか、初めから知っていた。
彼らの肩を軽く叩くと、そのまま守備兵は後ろ向きに倒れた。
庁舎の廊下をヒールの音を響かせて歩いた。
不思議なことに、どの部屋からは誰も出てくる様子は無かった。
廊下には多くの人がまるで陸に上がった水生生物のように倒れている。
もしくは、この暑さですべてやる気が失せてしまったようにも見える。
それらを横目に通路を歩き、ある部屋の前で止まった。
ノックして部屋に入る。
そこには胸を掻き毟りながら、のたうち回る男がいた。
睥睨しながら、その様子をしばらく眺めた。
なにか、懇願するような声を発しているが上手く聞き取れない。
諦めて手に持っていた日傘を彼の向けて、リズムを刻んだ。
トン トン トン トント トン トント トン
男は目を見開き、そして膨れて弾け飛ぶと体の破片が壁のシミになった。
部屋にこびりついたシミを眺めていると、もうひとり入ってきた。
長い髪を靡かせ、端正な顔立ちをしていた。
「ああ、これは……そうか、あなたが今回は奴に選ばれた【律動】ということですね。軍がティア1に指定する最凶アビリティ。その特性から精神も汚染されやすい。
おっと、残念ながら私には効きません。【定位】とはそういう能力なのです。前因果律を抜けて新たな因果律の中で世界は循環してます。七響すべてが揃わないと世界は前に進まないということだと考えてます。まあ、今のあなたに言ったところ仕方がないことですね。気にしないでください。ただのひとりごとです。それはそうと汚染は中和しておきましょう。この世界が続く限り、あなたにはあなた自身の罪を自覚し、それを背負って生きていく。それがヒトとして真っ当なな生き方だと私は信じています」
背景が白く抜けていく感じがした。
群生している首長鳥が一斉に飛び立っていく姿が見えた。
死者たちが湖沼の奥からこちらを見送っていた。
◇◆
「話はこれでおしまい」
彼女そっと本を閉じるように話を終わらせました。
「私は自分を取り戻してからずっと、ここに入れてもらっているの。もう二度と律動が暴走しないように。ひとは、修羅の中だけで生きることはできないわ。例えどんなに深く傷つき、全てを呪ったとしても、どこかに救いを求めてしまうものよ。この世界が憎い。多くの仲間達が翻弄され無惨に散った運命を今も受け入れないでいる。でも、その感情を単純化できるほど世界は簡単ではないわ。だってこれだけ長くこの世に留まってきたけど、ちっとも生き方は上手くならないもの。私が人生について学んだ唯一のことは、たとえ絶望していても人生は続き、そして残念ながらその絶望もそう長くは続かないということだけよ」
シン: 彼女は翌日オーセロワ監獄から姿を消しました。
その日から示し合わせたように誰も彼女の話はしませんでした。私もいつしかそれに慣れ、彼女のいない生活に戻っていきました。
季節は流れ、新芽が萌出て柔らかい風が届く頃、首相が体調不良を理由に退陣したこと、セルト人至上主義を掲げる極右のセクトが壊滅したとのニュースが所内でも賑わっていました。私は周りの浮き足だった場所から離れて、どこか自分の位置を掴めていないような感覚で過ごしていました。
そんな折です、 意識不明だった弟が目を覚ましたと両親から連絡が届きました。
フロアマネージャーに願い出て休暇をもらい、私は弟に会いに飛んでいきました。
弟が入っていた病棟に着き、エントランスを通り過ぎると梔子の香りがしました。
私は立ち止まり、周りを見渡します。
エントランスの受付には梔子の花が飾ってありました。
少し後ろ髪を引かれながら弟が待つ病室への急ぎました。
階段を登り、病室へと向かいながら彼女のことを考えてました。
彼女が歩いた道のり、こぼれ落ちていった命、蝋が尽きて灯火が消える時、彼女は今も祈るのです。
弟かいる病室の前まで来ると、もう彼女のことを考えることを止めました。
扉を開いて家族が待つその瞬間を、私は生涯忘れないでしょう。
マイ・ファニー・ヴァレンタイン 〜転生したら革命期でした。恋のバリケードを超えてゆけ〜 ぶら @daikokutenbra
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