第25話 A列車で行こう
なぜ人は嘘をつくのだろう。
あるデータによると男は年に2190回、女は1095回嘘を重ねているらしい。
相手に対し妄言を吐き、自分に対して欺瞞で身を守る。
時には誰かを陥れるために偽証し、虚言を吐いて疑心暗鬼にさせる。
そしていつしか嘘をついている内に本当のことだと錯覚するようになる。
罪悪感はいつしか薄れ、嘘が常態化すると痛みに鈍くなる。
最初は何気ないものであったものが、虚飾をべたべたと貼り付けていくうちに、ぶくぶくと太って動けないようになる。
こんなはずじゃなかったな。こんなふうになったのはあの子の所為だ。
自分の嘘は忘れるが、相手の嘘は許せない。
傷つきたくないから、正直に話すのはとても怖いから。
それは優しさから来て、己への憐憫になって帰ってくる。
雪が降った日に玉を転がして大きくしていくように、肥大化した嘘は坂道を転がって、自分で止まる術を持たない。
それは有史以来の遺伝子であり、それは原罪の相続なのだと思う。
タブロイド紙モーニング・ラルキアの扱うネタは、主にスキャンダルだ。
貴族、財界、映画俳優に歌劇歌手、そして勇者と特権階級の有名税はいつだって諸刃。
彼ら、彼女らを持ち上げ、憧れる一方で、なんであそこにいるのは私じゃないんだと、どこかで転んでほしいと妬みも一緒に買っている。
国内に対するジレンマは日に日に高まっており、著名人のスキャンダルはなにより燃える。
攻撃対象には容赦なく、満たされていない己の不満をぶつけることが出来るのだから。
真実がどうあれ、活字で印刷されたものの影響は高く、世論を形成する。
下世話が酒場での肴となり、手垢のついた主観が重なり、燻製されたハムのような状態で世間へと出荷されていく。
もしも民衆が全員ペンを持ち、各々が自由に発信するような世界が来たら、きっとそれは、とてもグロテスクなものになるのだろう。
だって人の本質が嘘つきなのだから。己が正義のためには真実をねじ曲げ、なんの呵責も感じずに嘘を正当化するようになるだから。
そして今日も今日とて我々はせっせと火を焚べる。
火に油を注ぎ、ラベルを変えて新商品と謳った燃料を天井を焦がすまで投下させていく。
ゴシップは生きていく上でまったくの無駄だからこそ、人が求める娯楽として存在し続けることだろう。
「エラ、ちょっといいかな?君にはこれから征夷の勇者、ダニエル・ヴァレンタインを追ってもらいたい」
「不倫ですか?んー?相手にもよりますが、彼は独身ですので見出しとしては弱いですね。あとは痴情の縺れから殺しとか?勇者の横領、恐喝なんて掃いて捨てるほどあるから難しいですねぇ。はっ!もしや意表をついて性転換とか」
「いや、いまのところ叩いてもたいして埃は出てこないだろう。というよりこの国はどうにもきな臭い。まあ、そんなことを言えば国なりたちからして臭うのだけど、それよりも今はもっとヤバい。そしておそらく今後キャスティングボートを握るのが征夷の勇者だと私の勘が言っている」
「お得意の勘ですか。きっとなにか情報を握っているんでしょうね。でも張り付いて結局ボウズでしたは勘弁ですよ」
「私がネタで外したことがあるかな?」
「……まあいいわ。エラちゃんにお任せください。完全無菌室からでも埃をたたせてみせるわ」
「ふふ、そんな余裕があるといいけどな」
さて、どんなものが出てくるかも分からない以上、小細工しても仕方ない。正面切ってアプローチしていくのが常道だろう。
宮廷内にいるパイプからリークしてもらったところによると、勇者栄冠の儀も早々に、征夷の勇者が緊張著しい隣国モルトンへの派遣が決まったとの報告を受けた。
なるほど、アンソニーが掴んでいたのはこれか。
確かに怪しいな。無論、他国にも響く名高い武人ではあるが、大使として派遣するには政治の経験が乏しすぎる。というよりモルトン側を無闇に刺激させるだけじゃないかな。
ティト公爵邸に向かう征夷の勇者を見かけ、声をかけたが足早に去ってしまった。
公爵邸を張っていると、夜更けに裸で森を走り抜けた勇者らしき姿を見た気がするが、流石に見間違いだろう。
次の機会を探っていると、ティト公爵が歌劇場で首を飛ばされ暗殺されたという。
なんてこった、取材対象者も居合わせたスクープをみすみす逃すとは。
しかも帝都を今もっとも震え上がらせている、リッパーの仕業だと持ちきりだ。
まあ、鼠一匹侵入を許さぬ王立歌劇場にはどう転んでも入ることすら出来ないのだから仕方がない。はぁ、でもくやじい。
だけどこれで彼についていけば、大きなネタに行き着くだろうと確信めいた期待が生まれた。
一介のタブロイド紙記者が馳せる夢としてはロマンがある。
うん。これは是が非でもモルトンへ付いていかなければならないぞ。
駅へと向かう彼を遠巻きに、後ろから声をかけるタイミング伺う。
途中で路地に入ったので、見失うまいと足早に追いかけた。
えっなに?大斧を持った人が横たわっている。
征夷の勇者と可愛い獣人の子が、見下ろす形で男に話しかけていた。
思わず声を上げていた。
「えっ!なに?」
「おっと、ごきげんよう、お嬢さん。これはなんというか違うんだ。かくかくしかじかと説明をしたいと思うんだけど、あいにく汽車の時間が迫っている。ここで見たことは内緒にしてもらえないかな?」
「……なるほど。そうですね。それでは折角ご提案頂けたので、是非そのご説明というのをお伺いしたいと思います。あっ、申し遅れましたが私はモーニング・ラルキアのエラ・ステラといいます。このまま申し開きをされず、ご同行もお断りになると、明日の見出しに【征夷の勇者、路地裏での凶行】という大して部数も稼げなそうな三面記事が想像で書かれてしまうかもしれません」
「誰が気にする?そんな記事」
「ええ、誰も気にしませんよ、記事にされる本人以外は」
そういってシャッターを切ると、靴底に付いた糞を見るような目で私を見た。
まったくもう、ぞくぞくしちゃうじゃないか。
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ヴィンガード駅は背の高いアーチ状の鉄骨に、ガラスの屋根で覆わられている。
蒸気機関の吐く煙と金属の軋む音、駅を行き交う雑踏の音が響くなか、紳士は金の鎖が揺れる懐中時計を懐から取り出し、一瞥したあと葉巻に火を点ける。淑女は裾を引きずる長いスカートを器用に掴んでホームを走っている。ポーターはトランクを肩に担ぎ、紅茶売りが人々の合間を縫って声を張り上げる。
蒸気の音と煤煙を出して、てらてらと黒光りした蒸気機関車がホームに飛び込んでくると、耳を塞ぎたくなる金属の擦れる音に空気が震えた。
乗車を待ち浴びた乗客たちが一斉に動き出し、窓から顔を覗かせる鉄道員の指示にしたがって車両に駆け込む。
指定の時間にしか出発しないのだから、我先へと乗り込むことにどんな意味があるというのかしら。指定席の無い3等車両以下なら分からないでもないけど……ちょっと滑稽としか思えないが、今は勇者に集中だ。
勇者は乗務員と談笑しながら手を広げたり、首を傾げたり、相手の背中をばんばん叩いたりしている。
「いやあ、実際のところまったく参ったよ。急遽ハレムまでの護送をしてくれってね。上の連中はいつだって自分以外の人間の忙しさなんて理解していないのさ。いや、迷惑は掛けないよ。一応これでもこういう身分なんだ、これで分かるかな?そう、ありがとう。じゃあ旅の間よろしく頼むよ……ってところかしら?」
「ぼくに話かけてます?」
「あなた以外に誰がいるの?そこでずっと沈黙を貫いているダークエルフさんは話相手には退屈しなさそうだけど、あまりに私のターンが多いと真理の扉を開いて、人生のゴールに近づいてしまうわ」
「ちょっと少佐が戻るまでおとなしくしていてください」
「いいわ。あなたも愉快な人だと知れて良かった。とても仲良くなれそう。きっといい旅になりそうな予感がする」
1等車のコンパートメントはマホガニーのパネルで覆われ、座席にはベルベットのクッション、有機物の曲線を形取った装飾、窓際には金の縁取りがされたカーテンが揺れている。
食堂車は新しいリネンのクロスの香りと、焼きたてのパンの匂いが広がり、ウェイターが並べる銀食器とクリスタルグラスが出す音の調べが心地よい。
車窓を走る田園風景と風車が遠くまで来たことを教えてくれる。
このまま自分のことを誰も知らない土地まで行き、海辺に近い家を借りて白い砂浜を大きな犬と一緒に駆ける。履いていたサンダルの紐がほどけて転げる私は犬と一緒に笑い合っている。
そんな人生も選べるのだと旅は思わせてくれる。
長い間そんな感傷に浸っていたので、少し窓を開けて空気を入れ替えた。前髪を揺らす風はどこまでも自由……寒っっさぶっいい!
「ふざけんな!」
「だって仕方がないじゃないですか、こんな狭くてむさくるしい男だけの部屋に、乙女ひとりなんて」
「呼んでないんですけどね」
「いいえ、そこの無抵抗で善良で無口なダークエルフを暴力を振るい、ふん縛って連れてきた言い訳を聞くまで動きません!あっ?あなた名前は?」
「……」
「雄弁は銀、沈黙は金ってね。でも寡黙な男を演じるのはもう流行らないわ。今の時代、男でも自分の言葉で語らなきゃ。アウトロー気取りで少し優しさを見せれば、女なんてイチコロだぜなんて思っちゃダメ。朝から晩まで工場で汗水を流し、酒場にも寄り付かずに家路につき、奥さんと子供のために死ぬまで働き続けるの」
「もう奴隷じゃないか」
「有史黎明から奴隷制度は脈々と続いているわ。正しい、正しく無いに関わらずね。社会秩序として姿形を変えて必ず犠牲を求めるものよ。あとは搾取されることに気づいているか、いないかの違いね。あれ?なんの話だっけ」
「こいつリッパーなんだけど」
「ん?」
「リッパー」
「……ひぇえええぇぇ」
こうして私は彼らと出会った。
あれからどれだけ月日が流れても、決して色褪せない私たちが一番輝いた季節。
ああ、愛しき私のヴァレンタイン。
この15年後に私は彼を殺すのだ。
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