第21話 卑怯者の勲章
うんざりしていた。
読み終えた手紙を封筒に戻し、また煙草に火をつけ、デスクの上に足を乗せた。
魔王国との国境となる場所はプピエヌス線と呼ばれている防衛用の要塞線が築かれている。
南北600kmに及び、等間隔で築かれた防衛砦は、地下で繋がり武器弾薬、糧食などは地下壕で管理され、司令部は防衛砦から遥か後方に地下壕を作り、伝令に地下通路を走らせている。
要塞線の前方には鉄条網と塹壕があり、大昔に破壊された城壁跡も残っているので隘路としても、なかなかである。
私のする事といえば、遠くから砲弾の音だけ聞こえる戦場で、書類に目を通し、サインをして判子を押す、そして次の書類に目を通しサインして判子を押したり、やがて目を通さずサインをして判子を押したりもする。たまに兵士の慰撫と称して各防衛砦に足を運び、班長の説明にうなずいたり、皇族のいる部隊に赴き雑談をしたりと、まあ色々ある。
指揮も取れない完全なるお荷物に加えて、現場に顔を出す役員など仕事の邪魔でしかないだから、立場が皇帝だろうと煙たがられているのに変わりない。
加えて、軍全体の士気の低さが目についた。長く逗留された戦場で膿んでいるのかと思ったが、部隊内における種族間の軋轢を実際目の当たりにすると、どうやらそれだけが原因では無さそうだ。
こんな状態でよく防衛ラインを守れるものだと逆に感動すら覚えるのだが、魔王国側からの攻勢も非常に雑で、なんとしても落としてやろうという気概は感じられない。触れたいけど気取られたくはない。距離を詰めたいけど、気持ちをうまく伝えられない。中学生日記のような戦況に、そわつくもどかしさを感じてる。
コンプライアンスもグランドデザインも持たない弛緩した職場で不満分子を抱え、ベネフィットにコミットしろと、そりゃ無能な上司に言われたくないよな。気持ちがわかりすぎるだけに、私は口をつぐむ以外の選択は無かった。
加えてセシルからは、何度も矢のように手紙が届いた。
アニタの追放を撤回させるように、アニタの追放を決めた宰相(セシルの母だ)を罷免するように、テディの体調が心配だ、そして最後にとってつけたように、あなたのことを心配している。早く無事に帰ってきてほしいと結ぶ。
どうやら帝都の状況は、こちらが思っているよりだいぶ悪化しているようだった。
現在進行形で拡散され、炎上している醜聞については、部隊にいた例の皇族(名前は忘れた)が教えてくれた。まあ、それについては特に言うまい。アニタについて後ろめたいのは私もだったし、節操ないとさすがに呆れたが、己を批判する第三者目線からすれば「おまいう」でしかない。
夫婦ともどもNTRされるのも人類が蛇にかどわかされてから、現在にいたるまで様々なジャンルが確立されてきたのだ。進化への追求が人が生み出す叡智の結晶であるのなら、海を漂うワカメに欲情する世界もそのうちやって来るのだろう。
だいたい若い頃なら傷ついたかもしれないがと、どこか冷めた気持ちでそれを見ている自分がいる。そんなことより、我々の夫婦間はなぜこんな袋小路に追い込まれてしまったのか、それだけが胸に去来してはザワつく。
いったいどうしてこうなってしまったのだろう。
かさぶたを引っ掻いて、血が滲む脛をみながら思った。
「陛下、ごきげんよう。わたし今度嫁入りにくることになったみたい、だからそのときにまたお話ししましょうね」
「陛下、聖獣のプレゼントをありがとう。あのねガルムって名前にしたの。なんか強そうでしょ。でもあの子、今日もおしっこに失敗して悲しそうな顔してたわ」
「バート、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさ……だめ私もう無理かも」
「あなた、テディがいなくなったら、もうきっと耐えられないわ。あなたが公務にかまけてあの子になにかあったら、私一生許さないと思う」
部屋にドアのノックが響いて、我に返った。
ノック音を聞き続ける立場になって、様々な表情があるということを知った。
音から発せられる情報から、ドアの前に立つ人物の性格や立場、なにを求めてくるかを想像するようになった。
想像した先の結果は別にどちらでも良かった。だいたいは私に事後報告の追認を求めて来るのが大半だったからだ。
ただ今回のノックにはまるで表情が見えなかった。どんな色も、なにがしかのヒントも含まれておらず、だからかとても不吉な音に聞こえて、指の先から体が痺れるように緊張していくのがわかった。
「陛下、急な訪問をお許しください。火急の件でお伺いしました。どうか、どうか落ち着いて聞いてください。別荘に移られていたご家族が襲撃され、拘束されました」
なんだ?気圧が上がったのだろうか、耳鳴りが目の前の男の声を邪魔する。
「彼らからの要求は、専制君主政治の廃止、人民への参政権、政治犯への大赦、言論・出版・集会・結社の自由、そして陛下の退位です」
「ふざけるな!そんな要求がまかり通ると思っているのか!」
「しかしながら守備隊も全滅している状況で、皇后様、皇太子殿下をはじめとして救出すべき手立てが皆無なのも確かです。近くにあてになりそうな戦力もないため、いつまで無事でいられるかもわかりません」
おかしい。やっぱりまわりの声がこもって聞こえる。
勝手にやってきて、勝手に議論をはじめたやつらが、棒人形の劇のように見えた。
砂漠で1日中口を開けていたかのように喉が張り付いている。
急に時間が気になって時計に目を向ける。秒針がやけに遅く感じられた。
腐敗した油が焼けたような異臭を感じ顔をしかめたが、それが自分から発せられたものだとわかると、まるで最初はツンだった魔法少女がヒロインを守るために何度もタイムリープしていると知った時のように動揺した。
「陛下に今戦場を離脱されたら、兵に動揺が広がります。中央から交渉役と並行して奪還部隊を編成中です。まもなく……」
気がつけば手元にあったガラス製の灰皿を投げつけていた。
灰皿は円盤のように滑空し、近くの鏡を派手な音を立てて割った。
皆が惚けた顔してこちらを見ていた。
「……帰る」
「え」
「……帰る!」
いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ
いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ
もういやだ
「帰れるわけないでしょう?話聞いてました?」
「ネロ君。陛下にそんな口の聞き方はやめたまえ」
「いいえ、やめません。この方はなにもわかってない。戦況も知ろうとしていない。なぜここがこんなに静かなのか考えたことがありますか?ここに攻撃が及ばないように無理をしている戦場があることを想像できてますか?そもそもなんのために玉たるあなたが戦場に出ないとならないのか、中将から説明があったでしょう。不退転の決意を兵たちに軍として表さないとならないからです。それぐらい事態は切迫している。それなのにもかかわらず、あなたは部屋にこもって書類仕事ばかりしてる。消耗している兵たちの慰撫に回ればいいものを、足を運んだのは到着してから数回だけだ。それで充分だと思っている。戴冠してからトラクス前宰相に守られてきたにもかかわらず、ずっと自分は被害者だというような面をして、いじけている。もう一度問います。あなたは何をしにここに来たのですか?」
近衛師団長の言葉に反射的に胸ぐらを掴んだ。
表情を消した彼の顔を殴ってやりたかったが、それをしたところで残るのは正論の暴力に屈した惨めさだけなのはわかっている。
「家族が危険なんだぞ」
「それについては同情します。皇宮から出なければ、うちの兵が守ったことでしょう。しかし離れなければならない状況をつくったのは皇后です」
「……戻れる条件は」
「……ふう。そうですね。ここから南西に10キロ離れたところに高地があります。そこを奪取すれば、戦況を有利に進めることができるでしょう。そして、その高地をとるには今以上に多くの兵を死なせることになります」
あれだけ暴走していた感情は、朝を迎えた湖畔のように凪いでいた。
代わりにやってきたのは心底冷え切った夜のような憎しみだ。
それがなにに対してなのか自分ではわからなかった。
奥歯を強く噛みすぎて、身体が硬直している。
それからしばらくしてなにも言わずに部屋をでた。
よろよろと通路を歩きながら、どもることが無かった自分にいまさらながら気づいていた。
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