第12話 夜のストレンジャー −1968年パリ−

「時代は変わっていく、アンドレア。でも、人々の夢だけは変わらない。何を求める?」

「自由よジャン。でも、それはただの自由じゃない。私たちが本当に求めているのは、創造の自由よ」

「創造の自由ね。でも、このようなリアルで、何を創り出せる?」

「考え方を変えることよ。世界の視点を変えること。それが私たちの革命。私たちのキネマ」

「キネマか。でも現実はエディットできやしないし、キネマは現実の延長ではないよ」

「だからこそ、私たちは新しいシナリオを書くの。過去を改編することはできないけど、未来の物語は私たちの手で、わかるでしょ?」

「そして、それはどんな結末を迎えるの?幸せな?それとも」

「結末はまだ書かれていない。けど、ここにいるすべての人々と一緒に、紡ぐことはできる」

「それが君の信じる革命か。私はその物語の一部になれるかな?」

「もちろんよ。私たちは皆、この時代の登場人物。行動の一つ一つが、世界を変えるの」


二人は互いに裸になって結合している。

アパートメントの窓からアンリ・ラングロワの復権を叫ぶ人々の声が聞こえた。

アンドレアとジャンは、ソルボンヌ大学に通う学生だ。級友達は5月の風に乗って、自由と平等のための戦いに身を投じていた。アンドレアは美術史を学び、ジャンは社会学を専攻していた。彼らもまた議論を交わし、理想を追い求める青年たちの一部だった。


「ゴダールは、キネマは現実の改訂版と言っていたね」

「あなたはいつもゴダールね」

「サルトルは、自由とは、何が正しいのかわからないのに、好きにしてみろと放り出されてしまった、不安定な状態だって言っているぜ」

「あなたはいつもゴダールの後にサルトルを繋げるわ。壊れたレコードみたいに。このセックスも一緒。もっと創造性を働かせるべきだわ」

「ボーヴォワールとフェリーニ」

「違うわ。あなたの言葉で語るべきなのよ。毛主席とゲバラをポップアイコンにして革命や創造性を語るように、あなたにはなってほしくないの。あなたの考える特別で私をいかせてほしいの」


ジャンは途方に暮れた。

アンドレアが初めての女性だった。

出会いは大学内のカフェだ。

彼女の髪はジーン・セバーグのように短く整えられ、頭にはペイズリー柄のバンダナが巻かれていた。ジーンズとロングブーツを履き、カルチェラタンに新しくブティックを開いたイブサンローランのサファリジャケットを羽織っていた。

カフェ内では様々な議論が飛び交っていたが、彼女のいたテーブルでもそれは同じだった。

どこにも行きつかない議論を飽きもせずに、ド・ゴールからマルロー、大学当局まで、権威主義に怒りを発露させることがファッションと感じているようなやつらだった。

怒れる自分に陶酔し、議論していない時間帯はコーヒーと煙草を消費していたから皆口が臭かった。

彼女はとても退屈そうにあくびをころし、やがて彼女に見惚れていた私に気づいた。

手招きして僕をそばに来させると耳元でささやいた。


「あなたは私のボーイフレンドということにしてここから連れ出してくれない?」


舞い上がって気をよくした私は、テーブルにいた茄子みたいにひん曲がった顔長のトロツキストに


「失敬諸君、妹と一緒に今日はニコラス・レイの特集映画を見に行くんだ。夜の人々とか、理由なき反抗とかさ、知っているだろう?ヌーヴェルヴァーグの作家たちがこぞってリスペクトしている。ゴダールだってそうさ。議論が盛り上がっているところ悪いとはおもうけど、文化的革命の中から生まれる歴史に参加することも、ラングロアが提唱するシネマテークにも、それはサルトルがいう真理に向かって進歩させる歴史という装置だと僕は思うんだ」


茄子顔は議論を遮ったことに肩をいからせていたが、彼の得意とする議論の範囲外だったのか手を振って僕らを行かせてくれた。


「ではお兄ちゃんさん。なんとかレイさんの映画とやらを今日は見せてくれるのね」

「どうだろう。カルチェラタンの映画館は今はすべて閉鎖中だっていうぜ」

「あら?そしたらあなたがボウイで私がキーチをすればいいじゃない」

「なんだい?知ってたのかい?」

「キスも知らないの教えて?」

「僕もそんなには」

「では勉強しましょう」


二人でキャシー・オドネルとファーリー・グレジャーの真似を自転車の上で披露し、笑った。

単純なものでいともたやすく私は恋に落ちた。


やがてナンテール校が閉鎖されて、締め出された新左翼はソルボンヌを占拠した。

機動隊がやってきて衝突が起き、多くのの逮捕者をだした。

大学は閉鎖され、私たちはアパートメントに籠った。


あなたの考える特別でわたしをいかせてほしいと彼女は言った。

そこで自分の欲求とはなにかと考えた。

自分の声を聞くという作業は決して簡単ではない。人は無意識化で繕ってしまうからだ。

エマニュエル・レヴィナスは自分が満足して終わるもの欲求、決して満足しないものを欲望と定義した。

渇望する欲求を解放するために、自分の股間に集中した。


5月の空は突き抜けるように晴れていた。

ラジオからジャニス・ジョップリンのメルセデスベンツが流れていた。

隣の家の猫があくびをしている姿が視界を捉えた。


「首を絞めてもかまわないかな?」


我々はこうしてソシオパスに溺れた。

全学連が呼びかけ4万人を越すデモが行われ、カルチェラタンは解放区となり、バリケードを築き、車を炎上させている間に何度も身体を重ね、そして首を絞めた。


自身の征服欲や加虐性がこれほど強いとは知らなかった。

彼女の首を絞めている間、私の股間はかつてないほどの膨張と強度を誇った。

それはゴルゴダの丘でイエスを突き刺したロンギヌスの槍であり、彼女の中に放ったあとは、ゲリラ戦でアメリカ兵を殺し、死体からラッキーストライクを取り出して煙をふかすベトコンのような気分になれた。


しかし閾値で快感を求める我々に創造の自由が訪れることはなかった。

ベットで横たわる彼女に取り乱す男は出来の悪いコメディーでしかなかった。

学生運動に端を発した運動はフランス全土に広がり、800万人以上のストライキになった。

その中でひっそりと死んだ彼女のことなど誰も話題にしなかった。

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