第8話 家での一幕

 ――ボンっ! ガラガラ……ッ!

 なにかが爆発する音と共に、瓦礫が崩れ落ちる音が響き渡った。


「な、なにが!?」


 フェラムは台所で響き渡るはずのない音に冷や汗をかきながら、そちらの方を見ている。

 現在地はフェラムの家。カテナは家に着くなり、保存の魔法を掛けていた『ウルグィス』の肉を食糧保存室から取り出して料理を始めた。

 フェラムの家は小さい。おまけに手直しの際に、他の村人に手伝ってもらったとはいえボロい。


「あ、あの、大丈夫ですか!?」


 フェラムは台所の扉から漏れ出る黒煙を見ながら、カテナに対して声をかける。


「ん? 大丈夫大丈夫! ボクに任せといてくれよ!」


 フェラムの心配を他所に、カテナは能天気な声でそう返した。

 ――バアァン!

 その瞬間、なにかが弾け飛ぶ音が部屋中に響き渡る。


「――うっ!?」


 それに加えて、なにかを腐らせたのかと思われるほどの異臭が部屋中に漂い始めている。


(一体…………台所あっちでなにが起こっているんだ!?)


 フェラムは本来なら聞こえるはずのない異音、漂ってくるはずのない異臭に一抹の不安が過ぎる。

 カテナは今まで旅をしてきたと言っていた。その中で自分で調理をすることもあっただろう。だからこそ、心配はいらないと判断していた。

 していたのだが……。


(これ、本当に大丈夫なやつかな……っ!? 僕、師匠の料理食べて死なないよね!?)


 フェラムの中に湧き出るカテナの料理への恐怖。

 未だ実物を見ずとも、なぜか感じ取れる負のオーラ。

 確実に、着実に、自身へと近づいてくる死期を悟り――フェラムは何かを諦めたように、小さく微笑みを浮かべる。


(父さん、母さん。僕……もう少しでそちらに行くかもしれません……。親不孝な僕を……許してください……)


 ――ぎぃぃぃぃ……。

 フェラムは空へと旅立った父と母に心の中で謝罪をしていると、ついに、その閉ざされた禁断の扉が開き始めた。

 そこの隙間からドヤ顔を覗かせているカテナの顔には、なぜか毒々しい液体が付着している。


「……さぁ。できたよ。お食べ……?」


 そして、カテナはその手に持った皿をフェラムの前に差し出した。


「――はぇ?」


 その料理を見て、フェラムは頓珍漢な声を漏らしてしまった。

 なんてことはない。『ウルグィス』の肉のソテー。上に振り掛けられた潤沢なソースは黄金色の光沢を惜しげもなく放ち、立ち上る湯気はその上質な香りを漂わせている。


(あれ? 普通に……美味しそう?)


 先程の異様な雰囲気から一変。差し出されたソテーはその味の良さを遺憾なく見せつけている。

 フェラムは生唾を飲み込み、手元に一緒に置かれたナイフとフォークを手に取った。


「い、いただきます……」

「うん! どうぞ、召し上がれ!」


 ソテーにナイフを入れた時、フェラムは驚いた。

 『ウルグィス』の肉は旨味は強いが、筋が多い。そのため、ソテーなどの焼く料理には向いておらず、煮込み料理として使われることがほとんどだ。

 しかし、これはどうだろう。ナイフがすんなりと沈み込み、中から閉じ込められた肉汁が溢れ出してくる。


「ささ! 早く食べてみておくれよ!」


 フェラムはカテナに勧められて、ナイフで切り分けたソテーをフォークに突き刺し、自身の口へと運んだ。

 口に含んだ瞬間に広がる肉の旨味や脂の甘み。ソースに含まれた柑橘類の爽やかな香り。絶妙に『ウルグィス』の肉とマッチし、引き立てるソースの芳醇な味――


「上手いだろ!? そのソースにはね、この村で取れるオレンジを使ってみたんだ! あと、隠し味として――」


 …………それらを全て帳消しにする苦味と酸味、辛味が一度に押し寄せてきた。


「――疲労をとる薬草と魔力の流れをよくする薬草。さらには私が大好きな『カプシカム』を粉末にして、そこにさらに辛味を足した調味料――『アークレ』を一瓶まるまるぶち込んだ自信作さ!」


 フェラムは無限に広がり続ける不味さの輪に、脳の処理が追いつかなくなっていく。

 辛味で紅潮した顔は、次第にあまりの不味さに青紫色に変色し始める。


「――ぶくぶくぶく」

「フェラムくん!?」


 そうして、フェラムは泡を吹いてその場に倒れた。


(ごめん……父さん、母さん……。やっぱり……ダメみたいだ……。…………?)


 フェラムは意識を失う直前。なにかが体を駆け巡っていくような感覚に襲われた。

 しかし、それがなにかを認識する間もなく。意識は深い深い闇の底へと堕ちた。


「美味すぎるからって……死ぬな、フェラムくーんっ!!!」


☆☆☆☆


「……うぷっ」

「大丈夫かい? フェラムくん?」

「は、はい……なんとか……」


 フェラムは胃の中に落とし込まれたソテーを吐き出さないように口元を押さえている。

 ちなみに、そのソテーはカテナが「美味しすぎるのも罪なのかぁ……」と呟きながら、その殺人的料理を平然と、なんなら笑顔で食べ尽くした。


「そういえば、今日も泊めてもらって良かったのかい?」

「あ、はい。大丈夫ですよ……。部屋は余ってるので……」


 カテナは昨晩もフェラムの家で寝泊まりをしていた。

 シルワ村には村の外から来た人間を泊めるための宿がないのだ。理由として、この辺境の地までやってくる旅人が少ないことが挙げられる。

 外からの訪問者が稀に来たとしても、その人はこの村の出身であることが殆どなため、宿を利用することなどないのだ。その為、ここには宿屋が存在しない。


「……そういえば。旅……してるんですよね……?」

「ん? そうだよ」

「なにが目的で旅をしてるんですか?」


 フェラムはカテナが旅をしている目的が気になっていた。それを聞くのはどことなく踏み込んではいけないところな気がして昨日は聞けなかったが、やはり気になってしまう。


「ボクの旅の目的か…………。……そうだねぇ、いつか死ぬ為……かなぁ……」

「死ぬ……ため……」

「そう。死ぬため。とは言っても、千年あまり旅を続けてきて死ぬ方法なんてなにも見つからなかった」


 カテナは過去の旅路を思い出しているのか、どこか諦めの色をその瞳に覗かせながら、淡々と語り始める。


「ボクは不死身になってからこの呪いを解く方法を模索した。百年ほど問題を解決したりして金銭を稼ぎながら旅をしていたが…………どこにも、呪いを解く方法なんてなかった」


 その時のカテナはどれほど落胆しただろう。

 どこかにあると信じていた解呪の方法。それが無いと知った時、どれほど絶望しただろう。


「その時のボクは生きる意味すら見失っていてね。十年ほど、なにも考えずにボーっとしていた。でも、そこでボクは気付いたんだ」

「…………なにに?」

「それはね……時代を跨ぐごとに、国はいくつも滅んでは造られ、それでいてなにも変わらないところもあり。そんな映り変わりの激しい時の中で、旅を続けていればいつかはボクの死ぬ方法が生まれるかもしれないってね」


 カテナはその目で多くの国の存亡を見てきた。

 多くの人々と出会い、別れを繰り返して、いつか死ぬことを夢見ている。


「だからね? この旅はいつか無駄じゃないって思える日が来ると思ってる」


 カテナが紡いできた壮大な旅は、誰もが知るところではない。

 『不死の魔女』という名前だけが先行して、どこでどのような偉業を成したかすらも残されていない。


「……師匠は。このドラゴンの件が片付いたら、また旅をするんですよね?」

「その予定だね。それに、あのドラゴンを放った調教師テイマーを追わないとだしね」


 フェラムの中にまた焦燥が生まれる。

 フェラム自身、この焦燥がなんなのかわかっていない。このままでは、その答えがなんなのかすらわかる前に別れる可能性の方が高いだろう。


(僕は……どうしたいんだろう……)


 フェラムは悩んでいる。

 フェラムの中に残るそのシコリの正体。

 それに早く答えを出さなければならない。


「……僕、強くなります」


 だから、今は――。


「僕を信じてくれている師匠を――信じてみます」


 フェラムの中で迷いが一つ消えた。

 自分に自信が持てないなんてただの些事だ。

 フェラムは集会所でカテナたち三人に啖呵を切ってみせた。なら、今はただ強くなるために。


「――期待してるぜ」


 カテナは顔つきの変わったフェラムを見て、微笑みを称えながらその言葉をこぼした。

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