冬 結果と出発 言葉に縛られるのは厭

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は大学一浪中の身。

 充実していた筈の学生生活も自身の受験失敗等諸々で全てはご破算に。

 同窓の浪人女子「ソウシ」と踏み出せない「想い」に翻弄される中、愈々、受験は本番に。

 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


 決戦の日は確実に近付き、そして台風のように過ぎ去っていった。

 結果はソウシが早く出た。早大は残念ながら、慶應には見事合格した。


 僕は、一足早く合格を手にしていたソウシに気を遣われながら、合格発表を待っていた。同窓会の委員会で、また二人でラジカセを聞きながら作業をしていても、もう誰も文句は言わなかった。豊科さんだけは忌々しそうにしていたが、ソウシが上目遣いに睨むと、こそこそと何処かに行って了った。

 合格発表の日も、僕は委員会の作業に出かけた。彼女と隣りあって封筒の宛名書きをする。二人が耳にしているラジカセからは、ピーター・ポール&マリーのベストが流れていた。曲はパフ・ザ・マジック・ドラゴンから始まった、彼女は、不要な紙の裏に鉛筆で走り書きをして僕に向けた。


(ギエンさぁ…、今日合格発表なんでしょ?)


 其の横に走り書きをして、彼女に向ける。


(そう。)


 …沈黙…。

 曲はザ・クルーエル・ウォーに移った。


(此様な処に来てないでさ、見に行けば良いのに。)

(だって怖いじゃんか。)

(意気地無し。合格してるんだから、それぐらい何よ。)

(良いんだよ、合格していれば、書類が速達で当日届くようになってるんだから。)


 筆談が続く…。

 …沈黙…。

 日も高くなって、発表の時間を過ぎても、家からは何の連絡もなかった。もう何回目かのファイブ・ハンドレッド・マイルズになった時、


(ギエンさぁ…。)

(ん?)

(答案用紙に、ちゃんと名前書いた?)

(書いたよぉ。)


 …沈黙…。

 曲がブローウィング・ザ・ウィンドに変わった。


(受験番号は?)

(書いたと思う。)

「なにそれ、思うって…!」


 ソウシが思わず口を開いて、此方を見た。


「書いたよ…。」

 僕は、彼女の方を向かずに丁寧に答えた。僕より精神的に不安定になっているのが申し訳なかった。

 午後三時を回った頃、江別さんが部屋に入って来て、僕に囁いた。


「駿河、事務室にご自宅から電話。」


 極めて平静を装って席を立ち、事務室に行って電話をとった。合格の書類が届いたという内容だった。

 事務室に来ていた同窓会のお偉いさん方が、


「合格かい?」


 と訊ねてきた。


「はい。」

「此の時期なら旧帝だな、おめでとう。」

「有り難う御座居ます。」


 頭を下げて握手ももどかしく、作業をしている部屋に戻った。そして、此方をわざと見ないで作業をしているソウシの横に座り、再び静かに作業を始めた。


「いつまで待たせる気?」


 ソウシはボソッと言った。


「有り難う。受かったよ。」


 彼女は僕の顔を一瞬見た後、人目も憚らず抱き付いてきた。


「おめでとう、おめでとう、ずっと、ずっと心配していたんだから…。」

「有り難う、ソウシの御蔭だよ。」

「今のギエンの笑顔。受かったよ、と伝えて呉れたときの笑顔、私、一生忘れない…。」

「有り難う。ほら、もう泣かないの。」


 *     *     *


 それから暫くして、入学式も間近に迫ってきたある日、同窓会の作業の後、豊科さんに呼び止められた。


「駿河、今日は鳥渡ちょっと遅くなるから、家に連絡入れておいてな。帰りは誰かが送るから。」

「はい。」


 其様なに作業が溜まっていたかなぁ、と不思議に思っていると、夕方前、豊科さんがまたやって来た。


「駿河、鳥渡買い物付き合って呉れや。」


 車に乗ると、豊科さんは第三京浜へと車を走らせた。


「渋谷じゃないんですか?」

「ああ。」

「そうですか。」


 あまり話題のない二人の間で、気不可い沈黙の時間が流れた。


「アーッ、もうダメだ、黙ってらんない。」

「どうしたんですか?」

「どうしたんですか、だぁ? 何でお前なんだろうなぁ?」

「何がです?」

「ソウシの相手だよ。」

「え?」

「今日はな、ソウシも駿河も大学に進学するって言うんで、ソウシのご両親が気を利かせて、お店で壮行会開いてくださるんだよ!」

「え、、あら、そうなんですか?」

「もっと驚けよぉ! バラし甲斐のねぇ奴だな! ほんっとに、どうしてお前なんだろっ!」


 豊科さんはブツブツと怒りを爆発させながら、横須賀のソウシの実家まで送り届けて呉れた。此の日、僕は、初めてソウシのご両親に挨拶をした。


「普段箏詩がお世話になっております。駿河さんに色々相談したから合格出来たって、本人もね、常時言ってるんですよ。」

「いやいやいやいやいや、とんでもありません、滅相もなくて、、此方の方が本当にお世話になって許りで。」


 緊張して、わけのわからない挨拶をしている間にソウシが顔を赤らめて出てきた。


「もう、恥ずかしいから、其様な挨拶やめて! ギエン、お部屋此方だから早く来て!」


 ご両親への挨拶をした儘の体勢で腕を捕まれると、二階へと連れて行かれ、部屋の一つに放り込まれた。

 其処には、委員の大方が集まっていて、既に宴会の用意が出来ていた。宴席が始まると、僕は男性陣からも、女性陣からも、標的となった。


「まぁ、今日は覚悟は出来てるよなぁ。」


 江別さんの言葉通り、僕は始まって小一時間も経たないうちに、次の間でひっくり返っている状態になった。


「ホラ、あんたの何かがひっくり返ってるわよ、ちゃんと面倒みて来なさいよ!」


 ドスの利いた杉野さんの声で一喝され、ソウシが座布団を持ってきて、ボーッとしている僕の頭の下に置き、枕にして呉れた。

 江別さんが、仕切の障子をそっと締めると、宴会の音から隔絶された次の間に静寂が訪れた。

 と思った瞬間、障子がサッと開けられ、完全に目の据わった杉野さんが顔を出した。


「アーッ、矢っ張り其様なことして!」


 てっきり仕切られて日和っているのを怒られるかと思っていたら、杉野さんは僕が頭の下に敷いていた座布団を乱暴に抜き去った。


箏詩ソウシッ、こら、ソーシッ! あんた鳥渡此方に来らさい! そんなジジィ達のことなんて構ってないでいいから。いいから此方!」

「こ、此処ですか?」


 ソウシが珍しくあたふたしていると、


「ラーニ、してんろ、早く正座しらさいっ!」


 折角の美形が台無しの杉野さんの呂律の廻らない指示に、ソウシは言われた通り正座した。杉野さんは据わった目で辺りを見回し、新しい白いナプキンを掴むと、ソウシの膝に置いた。


「ほら、駿河ぁ、此処! 此方来い、此処!」


 杉野さんはソウシの膝を指さし、流石看護婦ってのは怒ると怖いんだな、と実感するような声で怒鳴っている。

 僕はフラフラする頭で、身体を動かし、杉野さんに言われる儘、ソウシの膝の上に、頭を乗せた。


「えーっと…。」


 杉野さんはまだ周りを見回すと、傍にいた江別さんから扇子をもぎ取り、ソウシに押しつけた。


「んっ…これで、よし、と。じゃっ!」


 何やら一人で納得したらしく、杉野さんは障子をぴしゃりと閉めた。

 ソウシが僕の顔を扇子でゆっくりと扇いで呉れた。


「大丈夫かい? 大分標的になってたもんねぇ。」

「いやぁ、今日はキツいわ、正直…。」


 逆上せてガンガンする意識の中で答えた。

 ソウシは強烈に酒に強いのか、ビクともせずに、微笑んでいる。


「有り難う。お父さんお母さんにも、ちゃんとお礼を言わなきゃ。」

「大丈夫。そういう心配はまた後で。」


 障子の向こうでは、豊科さんと杉野さんが論戦しているのが聞こえた。絶対信じない、認めないという豊科さんと、此の後に及んで見苦しい、往生際が悪過ぎるやつは成仏できないぞという杉野さんが、共に呂律の廻らない声でまくしたてていた。


「介抱して貰うのは二回目だね。」

「膝枕は、お互い一回ずつ。」

「なんだか一年て短いんだか、長いんだか、矢っ張り分からないや。」

「分からないことをお勉強しに大学に行くんでしょ?」

「そうだったね。」


 障子の向こう側の喧噪と反対に、時間がゆっくりと流れていた。いつの間にか、彼女の膝枕でうたた寝をして了ったが、夜も更け、お披露喜となった。僕は、真っ赤な顔での非礼を詫びがてら、ソウシのご両親に改めてお礼を述べて店を出た。


 帰りは飲んでいない江別さんが運転し、僕と豊科さんを乗せて送ることになった。ソウシとご両親が手を振って見送って呉れた後、車は先ず僕の家へと向かった。杉野さんとの論戦ですっかり廻って了った豊科さんは、ぐてんぐてんになりながら、「俺は認めないぞー」を繰り返していた。江別さんは、豊科さんに、ハイハイと返事をしながら、静かに運転を続けた。


「しかしなぁ、お前と御気田がなぁ、本当にそうだったとは。」

「そうだった、て何ですか?」

「付き合ってたんだろ?」

「え? 付き合ってませんよ。」


 僕は、また、其の時点での正解でも不正解でもない単なる事実を述べた。


「はぁ? じゃあ、今日のは何だよ?」

「壮行会でしょ。」

「お前らは、本当に分からねぇな…。」


 江別さんはそれ以上詮索せず、僕を降ろすと、まだ「認めんぞぉ」と叫んでいる豊科さんを見て、苦笑いしながら、都心方向へと帰って行った。


 *     *     *


 入学式の前々日。

 入学準備で何かと忙しくて擦れ違っていたソウシと久しぶりに二人きりで会った。


「元気でやるんだぞぉ。って言っても、永の別れでもないか。」


 帰り際、ニコニコしながら見ているソウシを僕は、柱の影に連れて行った。喧噪から離れて、落ち着いた声で話が出来る場所だった。


「今日はわざわざ有り難う。」

「どう致しまして。お安いご用だよ。」


 あのライトピンクに青いストライプのボタンダウンシャツにベスト、紺のスカート。そして彼女は、普段の黄色みを帯びたレンズの眼鏡をかけて来ていた。

 僕は大学に入学する前に、きちんと言うべきことは言っておこうと考えていた。ソウシの目をじっと見つめて、それからしっかりと抱き締めた。

 ソウシの手が、そっと僕の背中に回った。


「僕等は付き合っている、って言って良いのかな。」

「其様な言葉に縛られるのは厭。私は、好きな人は好き。其の気持ちだけで良い。定義付けの言葉なんて要らない。」

「いつまでも理屈屋なんだな。」

「此の気持ちが続くか否かはギエン次第だよ。」

「分かった。」


 自分の頬に彼女の頬を寄せて、髪を撫でて言った。


「大好きだよ。君あっての僕だ…。...Sie sind feur mich ein wertvoller Mensch...」

「Merci beaucoup, moi aussi.…有り難う、矢渡やっと言って呉れたね…。」

 彼女が僕を抱き締める手に力を入れて囁いた。

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つい先週のこと 第三巻 浪人編「東98系統」 雪森十三夜 @yukimoritoumiya

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