冬 新年 止めてあげてもよくてよ
【ここまでの粗筋】
天然系な主人公「駿河轟」は大学一浪中の身。
充実していた筈の学生生活も自身の受験失敗等諸々で全てはご破算に。
同窓の浪人女子「ソウシ」と「互いをよく知ろう」という仲になるものの、最早、季節は受験の本番間近。
踏み出すことの出来ない「想い」に翻弄される日々。
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十二月三十一日。大学受験生の大晦日の夜。
昼間、等々力駅で分かれた僕らは、其の日だけは変則的な電話をすることにしていた。普段の午後九時からではなく、午後十一時四十五分から午前〇時十五分までの三十分間。
普段なら、大体試験の準備が終わりに近づいた頃の時間だから、眠って了う心配はない。電話はソウシから架けて貰うことになっていた。
定時に電話が架かってきて、僕らは普段どおりのお喋りを束の間楽しんだ。時計代わりに小さな音でつけていたテレビで時報が鳴った。
「あけましておめでとう。」
「今年もよろしく。」
「正面突破出来るように。」
「お互いに。」
形通りの会話が済んだ。一次試験という《形》が、カレンダーに見えるようになった。
「先にギエンからだね。」
「そうだな。」
「頑張るんだよ。」
「でも、其の次はソウシだ。」
「私は大丈夫、其のために一年間を使ってきたんだから。」
「ん。」
年明けは、二日から予備校が開くことになっていた。
「じゃあ、二日は神保町でお昼食べる?」
ソウシは、何も変わらないように訊ねてきた。
「良いよ、バスで帰るかい?」
「んーとね、其の日は、鳥渡銀座に付き合って貰っても良い?」
「良いけど?」
「十字屋で買い度いアルバムがあるんだ。」
「じゃあ、
「悪いね。」
電話を切っても、ソウシの手の温もりをしっかりと覚えていた。此の半年の間、そしてほんの数時間前まで握っていた、感じていた鼓動。
明日からはそれはない。其のことは半年前から決まっていたことなのだから。
久しぶりに『罰ゲーム』という言葉を思い出し、果たして罰ゲームを受けたのはどちらだったのだろう、と不思議に感じながら、深い眠りに落ちた。
* * *
一日置いた一月二日。研数の前で普段のように立っていた。ソウシも時間通りに現れた。
差し出す手はない。握る手もない。
どちらも、無言の儘、暫く春日通りを歩き、淡路町方面へと左折した。
「お正月、頑張っちゃったりした?」
ソウシは、手で筋肉を誇示するようなポーズを見せて聞いてきた。
「んー、普段通り。」
「なーんか面白い話は無いの?」
「触るの嫌い。」
「え?」
「其処に額縁屋さんがあるでしょう?」
「あぁ、あるある。」
「今日は閉まっているけどさ、普段は店先に台があってね、其の上に犬が寝てるんだ。」
「へぇ。」
「で、其の犬は目を閉じて気もち良さそうに寝ていて、あんまり気持ち良さそうなんで、思わず撫で度くなるんだけど、其の台に『さわるのきらい』って書いてあるんだよ。」
「噛むの?」
「激しくは噛まないらしいけど、寝ているのを邪魔されると、凄く怒るんだって。中学校の時、此の辺から通ってた奴の小学校の同級生が何人もそれで犬嫌いになったって。」
「ふーん。」
僕らは淡路町から丸の内線に乗って、銀座に着いた。銀座は初売りの人で賑わっていた。
「此処は受験なんて、関係ないね。」
「鳥渡くらい忘れ度い時もあって良いんじゃない?」
「こりゃ奇遇だね、お二人さん。」
豊科さんだった。
「受験直前に、銀座でデートとは随分な余裕だねぇ。」
(了った…、豊科さんの実家の傍だっていうことを忘れてた…。)
豊科さんにしてみれば、これが普段の話し方でも、時代劇のチンピラみたいな現れ方をする。相変わらず、頗る損な人だなと思った。早く其の場を離れ度いと思っても、此の人の場合、二言、三言、後輩に何かを言わないと気が済まないことになっている。ソウシも鳥渡不機嫌になりながら、それを覚悟している様子があった。彼女は不機嫌になると上目遣いで人を睨む癖があった。
(うぁ、新年早々、一戦交えなきゃ不可ないのかぁ?)
近くのブティックから、BGMのオー・シャンゼリゼが聞こえて来て、耳から離れなくなった。
「あれぇ? もうお手々はつないでないのかい?」
「えぇ、残念ながら…。でも、私たちが手をつないでないと、豊科さんにとって何かご都合悪いですか?」
ソウシが挑戦的な笑みを浮かべながら斬り返した。
(あぁ、火に油を注いじゃったよ、此の人は…。)
「いやぁ、京大A判定と、早大A判定のカップルが、毎日、余裕で手をつないで歩いてるって聞いたからサ。俺も幸せにあやかり度いな、と思ってたんだけど、そりゃ残念だな。。」–
「えぇ、でも、御陰様で準備は順調に進んでますわ。ほら、ギエン、威張ってみなさいよ。」
「え?」
「威張るの! 両手を腰に当ててエヘンって。威張るポーズもわからないの?」
「あ、あぁ。」
僕は両手を腰に当てて、威張るポーズをして見せた。其のときだ。僕の左腕にソウシが腕を絡ませてきた。
(エ? エ? どうした?)
「それじゃ、私ども、A判定を維持するために帰りますので、これで失礼致します。ごめん遊ばせ。」
ソウシは、呆気にとられている豊科さんに、小学生のように『イー』をしてから、僕を数寄屋橋の方に誘った。そしてバスの中でもないのに、歩きながら僕の肩に頭を凭れさせて囁いた。
「良い? 見られている間は、絶対に離れちゃダメよ。これくらいしないと分からないんだから、ああいう人は。」
そして、上機嫌で、オー・シャンゼリゼを綺麗なフランス語で上手に歌っている。
銀座交差点から見えなくなる数寄屋橋交差点。彼女は、わざとらしく寄り添っていた体勢から、少し自然な歩き方になった。でも彼女の手は僕の左腕を掴むというか、絡むというか、まあ、軽く腕を組んでいた。彼女は、全くそれを解く気もないかのように、自然に歩いていた。
(何も言わないで、自然に任せて。)
真っ直ぐ前を見て、平静を装っている彼女の顔が、そう言っているように思えた。
日比谷公園をショートカットして、内幸町から東98系統のバスに乗る。ソウシは無言の儘僕の腕に両手を添えて、平時のように肩に頭を凭れかけて眠って了った。
「等々力だよ。」
終点で起こすと、彼女は寝ぼけたように片手で僕の腕に捕まり、追いかけるようにバスを降りた。
切符を買い、改札を通り、電車が来るのを待つ。
踏切の鐘が鳴り、大井町方面の電車が近付いて来た。ソウシは最後に僕の左腕に彼女の身体をギュッと寄せると、少しだけ背伸びをして耳元で、
「有り難う…。」
と言って、電車に乗り、普段の笑顔で手を振り、行って了った。
* * *
第四次の真珠湾攻撃を受けた僕のダメージは予想以上に大きかった。先ず帰りの電車で一駅乗り過ごした。バスも危うく乗り過ごしそうになった。
夜九時の定期便はソウシから架かってきた。
「やぁ!」
「あのね、豊科さんにショック与えて怒らせてどうすんのよ。」
「良いんだよ、あの人、他人の事にいろいろ口つっこんで煩いってぇの!」
「それにしちゃ、度が過ぎたというか、長かったというか。」
「あら、お気に召さなかった? じゃあ、止めてあげてもよくてよ。」
「…。」(止めてあげてもよくてよ? …続ける気かぁ?)
「ほら、ごらんなさい。何も言えないでしょう?」
「んなことないぞ。」
「じゃあ、何か言ってご覧なさいよ。」
「…分かったよ。ありがとぅ…。」
「なぁに? 聞こえないわよ。」
「有り難う、って言ったんだよ」
「あら、それだけ?」
「んー…。」
「ん?」
「…これからもよろしくお願いします。」
「はい、素直でよろしい。」
* * *
僕はまるでお釈迦様の掌の上で思い切り飛び回っている孫悟空のような状態になって了った。
前回はソウシが自ら科した契約だったのだけれど、今回は、結果的に僕が最後の決定権を握らされて了った。早く主導権を押し戻さないと大変なことになる、と思ったが、其の晩は具体的な反撃策も思い浮かばず、寝入って了った。まったく、女というものは生まれながらの策士というか、つくづく怖いものだと再三再四痛感させられた。
『失った幸せを、もう一度掴んで、二度と放さないために。』と言っていた彼女の言葉が、何度も脳裏を前後左右に横切っていた。
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