夏 第二次攻撃 (2)ああ、なんてこった

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は大学一浪中の身。

 充実していた筈の彼女や親友達との関係も、留学や自身の受験失敗で、全てはご破算に。

 現在は同窓の浪人女子「ソウシ」に気も漫ろ。

 こんなことで捲土重来は達成できるのか?

 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


 僕は一瞬で、また頭が真っ白になった。

 まさか、ミニサラダを食べたくらいで、此様な目に遭うとは思いもしなかった。

 先刻までの話題でそういう約束があったことすら忘れて安心していたところに、いきなりまた真珠湾攻撃があったようなものだ。

 だが、


(これはまあ、今日の冗談だ。駅まで手をつないで、そして明日になったらまた普段通りで。そう、罰ゲームだよ、彼女が賭け事に負けた罰ゲームさ)


 などと考えながら、それならばコレ以上恥をかかせては不可ないと思い、


「では、遠慮なく、お手を。」


 と恭しくソウシの手を取り、歩き始めた。


「あ、俺、ここまで歩いてきて、暑くて堪らんから此処から乗っていくわ。」


 ウィニーが淡路町駅の入り口を指さした。


鳥渡ちょっと良い問題集の話を聞いたから三省堂まで戻るんだけど、行かない?」

 ソウシが尋ねたが、


「否、今日はグロッキーだ、明日聞かせて呉れ。」


 ウィニーは振り返らずに手を振りながら淡路町の駅へと下りていった。


「ギエンは、三省堂付き合って呉れる?」

「構わないよ。」


 一瞬で頭が真っ白になるくらい混乱したくせに、イザ手をとって了うと、それを意識せずに普通に答えている自分に、我ながら驚く。

 道中、道すがら、


「身体がぶつかってぎこちないね。」


 とか言いながらも、会話はごく自然に交わしながら歩いている。

 学参売場に着くと、自然と手は離れた。


(当たり前だよ。単なる罰ゲームだもの。此処で終わりサ。)


 残念なような、ホッとしたような気持ちで、暑さと冷や汗で少ししっとりとした掌を彼女に気づかれないように冷気で冷やしながら、問題集選びに付き合った。


「有り難う。ギエン、何処から帰る?」


 ソウシが、買った問題集と財布を鞄に仕舞いながら、訊ねてきた。


「ん? 神保町から。」

「一緒だね、はい。」


 彼女は鞄を肩に掛けると再び手を差し出した。


(駅までは続ける気なんだな、矢っ張り意地っぱりなところもあるし…。)


 先刻よりは自然に手をとった。

 真夏のように暑い日でも、彼女の手は少しヒンヤリとしていた。

 ほっそりと、すべすべとした指が、僕の四本の指を掴んでいる。


(罰ゲーム、罰ゲーム、…。)


 中学生の頃に訪れた寺で買って以来、毎日の習慣にしている般若心教を唱えるように、頭の中で『罰ゲーム』の単語を繰り返した。

 只々、手に記憶が残る前に駅に着いて欲しい、と願った。

 他愛ない話をしながら、普段のラドリオ、あめりかまる、ミロンガ、さぼうるの前を抜け、神保町駅に着いて、学参コーナーでの時と同じように自然と手が離れた。

 僕は内心(了った…、不可い…)、と痛感した。


「また明日ね。」


 ソウシから聞いた初めての言葉だった。

 それまでは、僕がいつも最初に離脱していたからか、「じゃ」の声しか聞いたことが無かった。


「また明日」、そう、明日も坂を下りて来いと言っているのだ。

 手を振って夫々それぞれの方面に分かれた。

 自分の手にソウシの手の感触が残って了ったことを心の底から後悔した。

 おケイさんの件では、一か月勉強が手につかなかった。今度はどれくらいの被害になるのだろう、と想像するのも怖かった。


 帰りの電車の中では(忘れろ、罰ゲームだ、忘れろ、罰ゲームだ…。)を念仏のように繰り返していた。

 その夜、堪えきれずに、イチに電話をした。


「バーッカ。罰ゲームに決まってんだろ。一高の女子なんだから、中途半端に誤魔化したりせずに、正々堂々と罰ゲームを履行しただけだ。でも『年末まで』なんて言われたからって、お前、明日、間違っても自分から手を《差し出したり》するなよ。恥の上塗りというか、傷が深くなるだけだぞ。大体お前、今迄、ベーデ、エリー、閑香シィちゃんと、さんざん教育されて来て居ながら、何だって今頃恋の初心者みたいなこと言ってんだ?」


 と、有り難いアドバイスが返ってきた。


(そうだ、罰ゲームだ。今日の履行で納得して、明日は求めない。うんうん、それが紳士的な対応っつうもんだ。それにしても確かに我ながら成長してないな…。)


 そう思って其の晩は何とか眠りについた。


 *     *     *


 翌日、どっと疲れがきた。其のまま誰にも合わないようにして帰って了おうかとさえ思った。

 一方で、きちんと『罰ゲーム』であることを確認して、一刻も早く此の不安から逃れ度い気もした。

 丁度、朝、ウィニーと合った。「今日も坂を下るか」とウィニーが言って呉れたことが何か助け船のような、引導を渡して呉れたような気もした。


 講義が終わって坂を下り、研数の前に着く。

 昨日とは変わって雨こそ降っていないが梅雨寒の日だった。湿っぽい研数の校舎の陰で待っていると、彼女が普段どおりに現れた。


「ヨッ!」

「じゃ、今日は神保町で良いかな。」


 訊ねる以前にソウシが場所を指定した。

 普段のように彼等が前に、僕が後ろに着こうとした其のとき、彼女の右手が僕の左手を掴んだ。


(ああ、なんてこった。意地でも約束を履行する気だ…。)


 僕は一高高校の女子達の気が強いことは充分知っていたが、此処まで意地になるのか、とは思ってもみなかった。


(年末まで、此の調子が続くのか?)


 ウィニーは敢えて、此のことに触れようとしなかった。

 神保町で食事をし、暫しの間、変わりなく談笑し、また駅まで手をつなぎ、前日と同じように手を振って別れ、また(罰ゲーム、罰ゲーム…。)と言い聞かせながら電車に揺られて帰る。

 帰り途、僕の手にはソウシのひんやりとした指先の感触がしっかりと残り、時折握り直す小さな所作が何度もフラッシュバックで頭の中を通り過ぎていた。

 一晩中考えた。

 考えたところで、何も分からなかった。

 かけていたビートルズのアルバム・カセットは、レット・イット・ビーになっていた。


 為すが儘に。


 そう、僕は、これまでのように、為すが儘に任せようと思った。

「罰ゲーム」と言い聞かせ続けることを止め、自然に任せようと決心した。

 元々ソウシの発言から始まり、彼女の意思で続いていることだ。

 しかし、狡く相手の所為にして逃げるというのではなく、僕は僕の意思で、彼女の行動に応えられる限り、自然に応えようと思った。それが一番自然で、心が落ち着くような気がした。

 彼女と、自分の、為すが儘に。

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