16:アオイちゃんは新婚旅行でちょっとだけ戦う
タチマ王国の港を出た交易船。
意外にもそれは蒸気船だ。五百年前はそんな技術はなかったはずだが、不在にしていた五百年はやはり長い時間だったらしい。
「蒸気になって船旅はずいぶん楽になったものさ。君たちは初めてなのか。それは運のいいことだ」
「帆船も多いんですか?」
「おう。風がない時は漕がされるぞ」
「それは困るなぁ。ボクは非力だし」
隣の商人とちょっとだけ仲良くなった。
あまりいろいろしゃべるとボロが出る…と思ったが、樹里はそつなく話している。考えてみれば、こいつは智慧を司る…とか言われてたっけ。
まぁ、さすがに非力ってとこでは笑いをこらえられなかった。あの「女神」の力をそのまま引き継いだなら、人類が敵対できる存在ではないのだから。
船旅は、最初だけ楽しかった。
「ずっと同じ景色しか見えないよ。アオイがどうにかしてよ」
「何しろって言うんだ。あと二日だし我慢してくれ」
「ぶー」
やることもないので、甲板に立つ二人。
今は向こうの世界でキモノと呼ばれていた服装で揃えた。レンたちのようなスーツ姿は王侯貴族か大金持ちにしかできないようなので、仕方ない。
紺色の地味な布地は、煙で燻されて臭いが染みついている。
ついでに髪の毛はゴワゴワだし、肌はべと付く上に煤で黒ずんだ。
汚れは魔法で落とせるし、結界を張れば汚さずに済むが、他の客に見られている中で自分たちだけきれいというわけにはいかない。
あ、背中が煤けていても樹里は美人だぜ。
探知魔法を使って確認した脳内地図によれば、一応この海は二つの大陸を隔てるもので、その幅は狭い。
ただし、狭いとは言っても港から対岸が見えるほど近くもないので、途中では海面と空しか見えなくなる。
快晴の青と青の景色は、きれいなんだけどな。
「ずっと音がするわけじゃないんだね」
「風がある時はそっちに任せてるらしいな。乗ったことなかったのか?」
「アオイは?」
「たぶん…ない」
港を出て数時間後に、小型の蒸気機関は止められた。動かし続けると金がかかるので、途中で帆船に早変わりだという。
臭いしうるさいから、今は静かでいいけど、遅い。蒸気船は重いからなぁ。
「アオイが動かせばすぐに着くのになー。ボクは五百年待ったのに、まだ待たされてるんだよ」
「待たせたのは悪いと思ってるが、船を動かすのはなしだ」
「ボクが動かそうか?」
「ダメだっての」
船ごと港まで転移させれば一瞬だし、そうでなくとも能力で船を押せばあっという間に着くだろう。
ただ、そんなことをするなら船に乗る必要はなかった。
二人は普通の人間に混じってみたかった。普通の人間は退屈でも我慢するのだ。
向こうの世界で、蒸気船がどんな形で運航されていたかなんて、俺は知らない。
小型の蒸気機関を積んだ船は、この世界では最新鋭の技術といえる。しかし、コンビニでバイトしていた貧乏大学生にとって、これは二百年遅れたレトロな技術でしかない。
じゃあ、二百年前の記憶はないのかって?
俺と樹里は向こうの世界の「異世界」みたいなところにいたのだ。
俺は五百年の間輪廻を繰り返してきた。
樹里はいつから生きてるのか分からないし、何なら生物なのかすら怪しい存在だった。
だから蒸気機関が発明される前も、同じような船が動き出した頃も、二人は生きていた。
だけど、最後に鈴木葵として生きた二十年間以外は、何度生まれても霊山に籠って修行していた。
樹里も一緒にいた…というか、樹里は元から霊山の主みたいな奴だ。なので、二人とも蒸気機関の時代を経験すらしていない。
今にして思えば、無茶苦茶な五百年間だった。
そう言えば、最後は人の社会で生きようと提案したのも樹里だった気がする―――――。
そうして何事もなく船旅は続くはずだった。
「前方に何かいる! 向きを変えるぞ!」
「なんだ!? 速い、間に合わないぞ!」
まさかの障害発生だ。
海賊かと思ったが、探知に引っかかったのはまさかの魔物だった。
「こんな海のただ中で魔物?」
「あれはマズい。ワシらもここで終わりか…」
どうやら近寄って来るのは、向こうの世界的にいえば大ダコの姿らしい。
仕方ないのでスダールと呼ぶことにした。
「みんなで拝んだら帰ってくれる?」
「無理だな」
なお、船員の話によればテルボーというらしい。それはそれで、何か別のものを連想してしまうが、やがて姿を現わした魔物の前ではどうでも良くなった。
黒光りする巨大な頭は、ところどころ皮膚が剥がれたまだら模様。そして、吸盤のついた長い脚がこちらに伸びてくる。
なぜいきなり当たりを引くんだ? 既に船員はあきらめ顔、ここから脱出可能な方法は、残念ながら俺たち次第のようだ。
「アオイ、ボクがいい方法を教えてあげるよ」
「俺にできることならお前だってできるだろう?」
「ボクは非力なんだよ?」
「今さらそんな設定は無効だ」
軽口を叩いても事態は好転しない。
そして普通に俺が戦ったら、それは隠せない。不本意だが樹里のアイディアに乗ることにした。
「やや? テルボーが沈んで行くぞ?」
「何があったんだ?」
「た、助かった! 助かったぞ!」
そうして船は助かった。
襲いかかる寸前だった魔物は、どういうわけか何もせずに海に還って行ったのだ。
「あんな程度でいいのか?」
「当たり前だと思うけど?」
俺はただ、魔王の気に指向性を持たせて大ダコに向けただけ。
他の人間には分からなかったと思うが、大ダコは即死、死体が海に沈んだ。
今さらだけど、俺たちはこの世界の怪物。魔物なんて可愛いものだった。
「格好いい魔王様の大活躍だね」
「何もしてないだろ。というか、海の中にもダンジョンがあったりするんだろうか」
「あるよ。アオイのライバルの記憶に残ってる」
「ライバルじゃなく敵だ」
「互いを高め合ったんじゃないの? 嫉妬しちゃうなー」
樹里の戯れ言はさておき、海中ダンジョンは存在する模様。誰も攻略できない場所に造ってどうする気だったのか。「女神」はバカだと今さら再確認した。
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