概要
魏王の男は雨音に愛を聴く
中国は後漢末、建安二十四年(219)の物語である。
( )内はあざな、つまり成人してからの呼び名である。名を呼んでよいのは本人の親と主君だけで、身内や同僚、友人間ではあざなで呼び合うのが一般的であった。
両親を相次いで亡くした曹洪(子廉)は、幼い時に実の兄曹仁(子孝)と共に従兄曹操(孟徳)の家に引き取られた。五歳の曹洪は十五歳上の曹操を慕い、曹操の膝で眠ることが大好きだった。
しかし曹操は後漢末の官吏登用制度である「孝廉」により洛陽で武官を勤めることになり、何も言わずに曹洪の前から姿を消した。
後漢最後の皇帝・献帝を擁した曹操はついに魏王の地位にまでのぼりつめる。曹洪は献身的に曹操に仕え、二人がねんごろであるという噂まで、敵対勢力である伏皇后によって流されてしまう。
ところが、その噂
( )内はあざな、つまり成人してからの呼び名である。名を呼んでよいのは本人の親と主君だけで、身内や同僚、友人間ではあざなで呼び合うのが一般的であった。
両親を相次いで亡くした曹洪(子廉)は、幼い時に実の兄曹仁(子孝)と共に従兄曹操(孟徳)の家に引き取られた。五歳の曹洪は十五歳上の曹操を慕い、曹操の膝で眠ることが大好きだった。
しかし曹操は後漢末の官吏登用制度である「孝廉」により洛陽で武官を勤めることになり、何も言わずに曹洪の前から姿を消した。
後漢最後の皇帝・献帝を擁した曹操はついに魏王の地位にまでのぼりつめる。曹洪は献身的に曹操に仕え、二人がねんごろであるという噂まで、敵対勢力である伏皇后によって流されてしまう。
ところが、その噂