第26話 お見舞い

「涼音ちゃん、お見舞いに来たよー」


 てっきり、お母さんだが立っていると思っていたのだけど――この声陽菜だ。

 陽菜は私の返事を待つこと無く部屋に入ってきた。

 それだとノックの意味がないじゃないか。

 急いでベットから顔を出すとズカズカとこちらへ歩いてくる陽菜と目が合った。


 「涼音ちゃん、休んでいる時のプリント持ってきたよ」


 バックからごそごそと紙を取り出して陽菜が言った。

 たった二日だけなのにかなりの量だ。紙束になっている。

 そっか、宿題とかもあるだろうし見舞いと言いながらもわざわざ持ってきてくれたんだ。


 「ありがと」


 「風邪ひいちゃったんだってね。静香ちゃんが教えてくれたんだ。はい、これお見舞い」


 リンゴを差し出してにっこり笑った陽菜は一昨日の出来事なんて微塵も気にしていない様子だ。

 気まずさで陽菜の肩のあたりに視線をさまよわす私とは正反対。

 陽菜は私の風邪がたいしたことないと分かって安心したのか、ベットに腰掛けると饒舌に話し始めた。

 陽菜の家の犬も風邪をひいたことや好きな漫画の新刊が出ること。

 陽菜はせき止められていたダムの水があふれ出すかのように喋った。

 陽菜が喋って、私が相づちを打つ。

 会話は言葉のキャッチボールとよく言われるが、私と陽菜の会話は陽菜が一方的に話題というボールを投げるだけで、まるで壁当てのようだった。

 一体何分、いや何時間話していたのだろうか。

 いつの間にか窓の外から夕暮れ特有のオレンジ色の光が差し込み、私達の陰を作りだしていた。


 「もうそろそろ、おいとましようかな」と陽菜が立ち上がると、キシッ、と年季のはいったベットが鳴った。


 「どうしたのそんな顔して?」


 「いや、陽菜がそんな言葉遣いできるなんて思わなかったから……」


 おいとま、なんて言葉が陽菜の口から出る日が来るなんて。


 「えー、ひどいなあ。私だって成長しているんだからね!」


 頬を膨らませて陽菜は抗議するが、昔のイメージが未だに強い私にとっては意外に思った。

 そして、陽菜も変わっているんだと気づかされる。

 私はずっと変われていないのに……。


 「正直、こんなこと言うの良くないかもしれないんだけど……風邪ひいてたんだって分かって嬉しかった。練習試合のこと気にしちゃってるのかなってちょっと思ってたから」


 陽菜が部屋の扉の前で振り返って言った。

 私が練習試合のことを気にしてズル休みしているんじゃないかと疑っていたようだ――図星。


 「もう一度言うけど、涼音ちゃんのせいじゃないからね。試合に負けたのも、辻裏のことも……」


 陽菜は私に言い聞かせるように話す。


 「だから、学校には来てね。小学校の時みたいに突然いなくなっちゃダメだからね……」


 陽菜の声は暗くて、悲しげな様子だった。

 顔は太陽の光ではっきりとは見えなかったが、涙が見えた気がした。

 言い残したことはもう無いと言うばかりに陽菜は部屋を出て行った。

 今日はそれを言うために来たんだと、なんとなく分かった。

 

 がらがらー、と教室の入り口の引き戸が音を立てる。

 白雪高校は全国に名を馳せるお嬢様学校ということもあり、どこも綺麗な設備なのだが、ところどころに歴史を感じさせる箇所がある。

 例えば少したてつけの悪くなっているこの扉とか。

 いつもは気にならない音が今日は憎らしい。

 なるべく静香に気づかれないようにこっそりと入ろうと思ってたのに……。

 急いで扉から離れて、背中を丸めながら席に向かう。

 席に着き、横目で辺りの様子を見渡す。

 すると、静香が席を立ったのが見えた。

 やっぱり会話は避けられないか……。


 「ちょっと、涼音、風邪もう治ったの?来て大丈夫?無理してない?」


 静香が来るのを身構えて、体がこわばったのと同時に誰かに後ろから抱きつかれた。

 この声はゆきだ!

 静香がこちらへ来る歩みを止めたのを目の端で捉えた。


 「大丈夫、大丈夫。二日休んだから充分良くなったよ」


 充分すぎる休息だった。

 だって昨日の時点で治ってたし。


 「よかった~。涼音が休むなんて滅多にないから、心配だったんだ」


 ゆきは安心したかのように、はあ一、と一息吐いた。

 それから朝のホームルームが始まるまで、ゆきは私の席にいた。

 久々、とは言っても土日を挟んで四日ぶりぐらいだったが、随分久しぶりに会ったような感覚だった。

 正直、ゆきがずっと私の席にいてくれたことは好都合だった。

 ゆきがいたおかげで静香は私の席までやって来ることはなかったから。

 それから私は静香と距離をとることに必死になった。

 朝はなるべくベルが鳴るギリギリに来て、帰りのホームルームが終わった瞬間に教室を飛び出す。

 お昼ご飯は校庭や、空き教室に忍び込んで食べ、静香が話しかけに来たら用事があるからと行ってその場から立ち去る。

 そうして静香と喋ることを避け続ける日々が一週間ほど続いた。


 「起立、礼。さようならー」


 真面目そうな委員長の号令で帰りのホームルームが終わった。

 急いで荷物を鞄に詰め込み教室を出る。

 階段を降りようとしたとき、「雨宮、ちょっといいか?」そう背後から私を呼ぶ声がした。

 その声は静香ではない。

 だが、もう一人の顔を合わせたくない人の声だった。

 振り向くと、つい先ほどまで教壇に立っていた赤城先生がいた。

 体が自然とこわばる。周囲にはまだ誰も居ない。

 少しの間廊下に静寂が漂う。


 「あ~、そう身構えるな。別に怒ろうとか、無理に引き戻そうとか思っちゃいないさ。ただ一つ言いたいことがあって来た」


 引き戻す気はない?

 それじゃあ、一体なにを話に来たのだろうか?

 頭の中がハテナマークでいっぱいになる。


 「この前の練習試合、雨宮のプレー良かったぞ」


 まっすぐ私を見て赤城先生は言った。

 良かった、私のプレーが?

 辰巳さんにも辻裏にも打ちのめされた私が?

 お世辞で言っているのだろうか。

 そう感じるぐらい予想外の言葉に脳が働くことを止めた。


 「その顔だと理解できていないようだが……お前はもうちょっと自分を信じてやりな。私はバスケットに関しては素人だが、素人目でも分かるくらい雨宮があのコートに立っていた奴の中で一番存在感があった」


 それだけ言うと用は済んだとばかりに、じゃあな。と言って赤城先生は去っていってしまった。

 自分を信じる……存在感があった?

 悪目立ちしていたということだろうか?

 でも私を褒めているようだったし……。

 先生の言葉が理解出来ずに立ち尽くしていると、がらがら~、と教室の入り口から音がした。

 やばい、みんなが出てくる――。

 あと少ししたら、帰りの支度を終えた生徒で廊下は溢れかえるだろう。

 その中には宮子さんや陽菜もいるかもしれない。

 私は赤城先生の言葉の意味を考えることをやめて、一目散に階段を下って校門へ向かって走った。

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