第21話 揺らぐ心
「涼音ちゃん戻るの遅くなってるよ!」
陽菜の声がどっか遠くからに聞こえる。
戻らなきゃ、今度は相手のオフェンスが始まる。
防がなきゃ、辻裏にまた決められてしまう。
頑張らなきゃ、これ以上チームに迷惑をかけえられない。
そんなことは分かってるよ。
でも、心のすみっこでもう無駄だと、やっぱり私はバスケットボールができないんだって思ってしまっている自分がいる。
その疑念は私の体に絡み付くようにつきまとっていて、足が動かないんだ。
動きの悪い体を動かしながらディフェンスの位置へ戻る。
「こいつのディフェンス穴だよ!パスよこして!」
辻裏がまたボールを要求する。
どうやらコイツは私を徹底的に負かしたいみたいだ。
ボールを受け取った辻裏の顔は草食動物を前にした猛禽類のような顔で私を見ている。
ああ、昔と同じだ。私はなにをやっても、どうあがいてもコイツらに虐げられるんだ。
草食動物が猛禽類を殺すことはできないように、私も生まれたころからそういう運命なのかもしれない。
辻裏が前に突っ込んでくるそぶりをみせた。
機能を停止している頭と反対に体は勝手に辻裏のドリブルを止めようと動き出す。
ドリブルに対処できるように辻裏の体から距離をとったその瞬間、ヤツの手が上にあがってまるでシュートを打つように動き出した。
ありえない――辻裏はこの距離からシュートを打てないはず。
辻裏の予想外の動きに眠っていた頭が一気にフル回転しはじめる。
もしかしてフェイント?
けど、辻裏の雰囲気からは一切そんな様子はない。
その目は自信に満ちあふれた目。
外すなんて微塵も思っていない、この一撃で勝負に勝つという意思を宿した目をしている。
まずい!ドリブルしか警戒していなかったのが仇となった。
この距離だと手を伸ばしても辻裏にプレッシャーをかけられない。
必死に伸ばした手をあざ笑うが如く辻裏は遮るものが何も無いリングめがけてシュートを放った。
辻裏のシュートは綺麗な弧を描きリングに吸い込まれていった。
「ハハっ、いつまでも昔のままだと思ってるんじゃねーよ。変わってないのはお前だけ。相変わらずチームになんの役にも立てない自己中はバスケ辞めた方がいいぜ」
そう吐き捨てた辻裏の目は私に対する侮蔑が含まれていた。
言い返したい、私は自己中なんかじゃないって、私は昔とは違うんだって。
でも……本当はそうなのかもしれない。
辻裏の言っていることが正しいのかもしれない――。
そう自分でも思えてしまうから反論の言葉は喉の奥に挟まって口に出せなかった。
さっき辻裏にドリブルで抜かれた時、追いかけるのを諦めたのは誰だ?
自分のことで頭が一杯になってリリーのプレーを邪魔したのは誰だ?
――私じゃないか。
全部、全部私のせいだ。
自分のことばっかりでチームに迷惑をかけて、昔から変わらずこいつらに言いように馬鹿にされて。
陽菜を馬鹿にされて絶対許さないって思ったのに、悔しいのに、何もできない。
一体なんで私はここに立っているんだろう。
何もできない私にみんなと一緒にコートに立つ資格なんてない……ずっと感じていた疑念が確信に変わった。
辻裏がシュートを決めて残り十秒。
みんなは一点でも差を縮めようとプレーしているのに私はスリーポイントラインで立ち尽くしたままだった。
ゴールが真っ正面に見える位置でただみんなが必死にプレーしているのがぼんやりと見える。
陽菜がドリブルでゴールに向かっているが、ディフェンスを振り切れていない。
あのまま打っても相手の手にブロックされてしまうだろう。
思考が止まった脳でなんとなくそう思った。
陽菜も同じように思ったのだろう。
自分で打つのではなくパスをする選択をしたが、もう時間がない。
陽菜がパスを出せる味方を探す。
しかし、一番頼れるリリーは徹底的にマークされていてパスを出せそうにない。
他の味方も敵のマークが厳しく陽菜はパスを出せそうにない――たった一人を除いて。
その選手は試合開始からシュートを一本も打っておらず、相手チームから完全に無警戒になっていた。
陽菜がパスを出した、フリーになっている私に向かって。
そのパスは妨げられることなく、ボールは私の手に収まった。
残り二秒。今からパスを出すことは出来ない。
けど、私がシュートを打つなんて無理だ!
ましてや、スリーポイントシュートなんて……。
誰か、誰かいないの……?
「涼音ちゃん、頼んだ!」
周囲の味方を探そうと首を回していると陽菜の叫びが聞こえた。
私の目の前には十分なスペースがある。
今から辻裏が手を伸ばしても私のシュートは防げないだろう。
打つしか無い――!
陽菜の声が私の背中を後押しした。
なぜだろう、陽菜の声を聞くだけで心を覆っていた闇が晴れるようなそんな感覚だった。
陽菜に任された……だったら私は全力を尽くす!
地面を蹴る。私の目線は六・七五メートル先のゴールに固定された。
もうリングの他には何も見えない。
陽菜も静香も辻裏でさえも私の視界から消えた。周囲の音すらも聞こえなくなった。
まるで世界に私一人しかいなくなったようだ。
手の中のボールの感触、そして全ての神経が研ぎ澄まされるようなこの感覚。
このシュート決められる――!
私は空中でそう確信した。
しかし、「また自己中プレーかよ。あの時と一緒だな」と、そんな声が私しかいないはずの世界で聞こえた。
視界の端で声の主、辻裏が棒立ちになってこちらを見ていた。
辻裏は私に向かって手を伸ばしてもいない。
辻裏は私のシュートをブロックしようという気はないようだ。
ただ、それはブロックできないと諦めた行動ではないのは辻裏の顔が物語っていた。
その目は確信していた、雨宮涼音なんかがシュートを決められるはずがないと。
だから、ブロックしようとするそぶりすら見せないのだと。
コイツにはフリーで打たせても別にいい、そんな態度だった。
その目を見た瞬間体がこわばったのを感じた。
なぜだかは分からない。
昔いじめられたときの恐怖を思い出したのか、被食者としての本能なのか、逆に決めてやろうと意気込みすぎたのかもしれない。
ただ純然なる事実として、私の手から放たれたボールには余計な力みが加わった。
しまった……!
そう後悔したのと同時に私のシュートがリングに掠ることもなく落下した。
ボールが地面に落ちたとき自分の中で何かがポキンと折れた気がした。
ブー、と試合終了を告げるブザーの音が体育館に響いた。
結果は五十四対七十五、圧倒的敗北……。
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