第7話 再会

 夏休みに入るとショッピングモールは連日忙しくなる。セールもあるし夏休みイベントなど律はアルバイトの碧に指示しながら現場の助っ人として売り場によく顔を出していた。

イベントの多い時期は乾もよく顔を出す。

「俺、この事業所居心地いいからここで仕事すると張り切ってしまうわぁ~」

と相変わらず調子がいい。

事務所内で乾が川島副主任と談笑していると、アルバイトの碧が休憩から戻ってきた。

「おぉ碧ちゃん今日もキュートやわぁ」と乾の声掛けに碧は微笑んだ。

「ちょっとセクハラしないでよ。相手が嫌だと思ったらもうアウトだからね、アウト!」

川島副主任が目を細めて乾を見る。

「あ、大丈夫ですよ。私」と碧はニッコリして自分のデスクに戻った。

「それはそうと、中田さんて教えるの上手ですよね。なんかオロオロってしてたらすぐ察してくれて、こうこうこうって指示してくれるし」と碧が律のことを褒める。

「そうそう!」

乾と川島副主任がついハモってしまった。

「あの子本当に人の様子とかよく見てるのよ。だからアルバイトの教育係やって貰ってるんだけど、繊細過ぎるところもあれど、優しくていい子なのよ」川島副主任が少し熱く語る。

「そやねん、繊細なのがたまに傷。昔のこととか結構引きずるタイプやしなぁ」


「ん?何の話?」

とそこへ律が入ってきた。三人がクスっと笑って顔を見合わせるので話のネタが自分だと気付き「おい、何?」と乾に迫る律。

「ほら始まるよ、二人のイチャイチャタイム」と川島副主任が茶化し、わちゃわちゃと事務所内が和んでいた。

「お~い休憩終わってるんだろ~仕事しろぉ」と楢崎主任が苦笑いしながら入ってきて、律に言った。

「中田君、今日半日だぞ。もう帰れ。繁忙期だからシフト上手く回していかないと、な」

律は今日は午前勤務のシフトだった。途中処理のものを片付け、律はその後「お先に失礼します」と事務所を後にする。

 スーツの上着は暑くて着ていられない八月。駐車場に停めていた車内は暑くてエアコンがなかなかきかない。自宅近くになって漸く汗が乾いた感じだった。あっそうだ、と自宅とは少し違う方向へ車を走らせた。空は夏らしく青い空に入道雲が見える。夕立でもするかなぁと思いながら車を停めたのは槙野駐車場の前。ハザードランプを点けたまま、車を降りた。日差しが眩しく暑い。以前、碧と一緒にホラー映画を見て帰った夜に教室を覗いて、店主に驚いた以来だ。昼間の様子があの日から気になって、時間が出来たので寄ってみることにした。

「今日はやってるのかな」と石畳の路地を歩いて陶芸教室の前まで来た。『井原芸教室』の看板は出しっぱなしだが、室内に人影はやはりなかった。

「なんや、ここ潰れてるのかな」と独り言を言って帰ろうと体の向きを変えたら、律の真後ろにあの男が立っていた。

「潰れてないぞ」

不愛想なその声は同じで、無精ひげにぼさっとした髪を後ろで雑に束ね、作務衣を着ている。いや、あの、とシドロモドロになる律に

「午前の教室は終わったとこだ。この真夏に日中はやらん」と答える。

「あ、そうなんですね」と苦笑いをしてサラっと帰ろうとした律に加えて男が言う。

「この前も覗いてたな。教室通う気になったのか?申し込み持ってきたか?」と手を出す。

申込用紙を出せということらしいが、律はそんなつもりで来たのではなかった。

「あ、いや、あの、申し込もうと思ったんですが用紙を・・・」と言いかけたところに女性がやって来た。

「井原先生、お客様ですか?」

そうその男に声をかけ律を見る。

「いや、申し込み希望らしいが、な」と律の顔を男は見て同意を求めるが、律は嘘はつけない性格なので「ただ教室の中が見たかっただけで」と正直に言う。

「じゃぁ、どうぞ。いいですよね、先生」

とその女性が微笑むので男も頷いて招き入れてくれた。とはいえ、ちょっと律は居心地が悪い。この人娘かな?井原という男は年は五十代くらい、女性が自分と同じくらいなので親子のようにも思うが、先生と呼ぶからそれは違うのかな、などと一瞬のうちに律は頭の中をフル回転して色々考えていた。

「こちら井原圭佑先生。以前大学で陶芸を教えられてて、そこそこ有名なんですよ」

「おい、そこそこって言い方」

と二人の微笑みながらの会話はとても和やかで、律の不愛想なおじさんの印象とは少し違っていて、やっぱり親子か親戚か?と考える。

「あ、私は井原先生に大学でお世話になって、わば師匠かな。一応私も陶芸家の端くれで、香川かがわほたるって言います」

とここまで聞いて律がはっとする。

「え?香川?香川蛍?」

律の反応に蛍はえ?という顔をして「そう言えばどこかで会ったような」と首を傾げる。

「あ!ショッピングモールで」という蛍に予想と違う反応に拍子抜けするも「え?ショッピングモール?」と顎に手を当てながら考え込む。

「やっぱりそう!この前、七夕の夜、妹がぶつかったの、中田君よね!」

「え?」

律は一気に情報が入ってきて瞬きが激しくなる。

「おぉ、お前ら知り合いか?」

と言いながら井原が、ほれ、やっぱり申し込みしろとでも言うように申込書を律に手渡す。

「ちょっと待って、僕のこと分かってたん?」

恐る恐る律が蛍に聞いた。

「確信したのは今だけどね。この前、ぶつかった去り際にりっちゃんて聞こえて、あれ?って思ってたの」

そういう蛍の言葉で、真司に呼ばれたのを思い出す。というか、りっちゃんと呼ぶのは真司か母親の薫くらいだから。

「でも背もこんな高くなってるし見た目は全然わからなかった」とアハハと笑う蛍は小学生の頃の大人しい印象とは違って、明るく堂々としているので、律は少し戸惑っていた。

「香川さんこそ何かイメージ変わったっていうか、そっちこそ背伸びたよな」

律はちょっ遠慮がちに話すと、少し離れた椅子に腰かけてお茶を飲んでいた井原が「美人になって驚いたか?」と茶々を入れる。

「もう先生!一人でお茶飲んでないで、お客さんにも下さいよ」と笑いながらお茶を入れに蛍が小さな台所のような奥へ行く。見ているととても気心の知れている二人のようで律の居場所が分からなくてドギマギしていたら薫の店でお客さんが作ったと言っていた青空のような湯呑みに麦茶を入れて、蛍が戻ってきた。

「あ、その湯呑み」律が思わず声にする。

「あ、これね。トルコ青釉薬ですよね、先生」と蛍が井原の方を見ると「あぁ」と面倒くさそうに返答した。お茶を律にどうぞとテーブルに置きながら「こういうの好き?」と律を見て微笑む。

「あ、あぁ、おか、あ、母親が持ってるのに似てたんで」

「先生ね、あんな感じだけど優しい色使いとか上手いの。それが好きで大学の井原先生のゼミで学んだの。あ、私、京都のみやび芸術大に行ってたの」

「その後イギリスに留学して恋人が向こうに居るんだと。僕残念やね~」と井原は嫌味な言い方をする。

「先生!」

律は麦茶をゴクリと飲んで苦笑いをした。

蛍が言うには、中学から私立に通い、そのまま大学まで進学したものの、芸大となると実技が重要なので結構必死で学んだそうだ。陶芸にのめり込んでイギリス留学まで漕ぎ着け現地の工房に出入り出来るようになったらしい。中学に上がった頃に生まれたのが、律とぶつかった妹で、夏休みにこっちに戻ってきているだけだという。

「中田君は今何してるの?」

「あのショッピングモールの事務所で働いてる。母体が不動産会社で、あ、りっちゃんて呼んでた真司と新卒同期で一緒で、あいつは本部の大阪勤務。たまにこっちにも顔出すけど、相変わらずお調子者。会社でも人気もんで・・・」と話の途中で蛍がふふっと吹いた。「え?何?」

「小学生の時もいつも一緒だったでしょ。今も一緒なんだと思って。それに中田君自分のことより乾君のことばっかり話すから、変わってないなって」笑いながらそう言われ

「昔からそうだっけ?」

うん、と蛍は頷いて「中田君は自分が自分がって言わない子だった」と優しく見つめて言った。その瞳に律はちょっと照れて、いや、あの、とまたドギマギしていると

「おい、申し込みの用紙早く書けよ。月、水、土日やってるから、来れる時自由参加。いつ来る?」

井原は半ば強引に律に申し込みをさせ、それを横目でニヤニヤしながら蛍が見ていた。

「ふ~ん、タナカリツって名か」と井原が言いながら申込用紙を手に取り奥へ歩いて行く。

「いや、中田です。ナカタリツです」

「先生、間違ってますよ~」と蛍が後を追いながら「タナカだろ、ほら」「いや、だからナカタ」と言い合っているのを、律は「あの、あの」とオロオロしながら、やっと室内を見回せた。棚に手動の轆轤ろくろが三段ずつくらい積まれ五列ほど並んでいた。その奥に電動轆轤らしきものが二台。またテーブルに製作途中のような作品がタオルをかけたまま置いてある。もう一つの棚に焼く前だと思われる器などがあり、薄いオレンジのような焼き色のものもあった。更に蓋のついた白乳色の大きなバケツがこれまた十ほどあり、薄っすら中の液体の色が黒や青、薄い赤など多彩に見えた。ぼんやり室内を見渡していると

「今度来る時月謝持って来いよ」

「ほらその言い方!」と蛍が娘のように言い

「じゃまたね、タナカ君、ふふふ」とふざけながら手を振った。

そうしてその場からやっと解放され、ほっとしながら停めていた車に戻り、家へ向かった。

車の中で律はまた色々と考えていた。

蛍に会って懐かしさも沸いた、でも小学生の頃より明るく快活な印象が意外でまた新鮮で、何となく惹かれた。でもイギリスに恋人がいるのか、と何故か残念な想いも浮かんで頭の中が混乱していた。何故そんな気持ちになるんだろうか。それとあの不愛想な井原という男と楽し気に話せる蛍が大人に思えて、自分が臆病な感じもして気持ちが落ち込んでもいた。小学生から僕は変わっていないのか。頭の中で色んなどうでもいい事がぐるぐる回って、妙にすっきりしない。わぁ~懐かしいどうしてた!ていう感じではない自分が小さな人間に思えて、ふとため息が出てしまった。

「あ、結局教室に通わなあかんやん」

自宅に着いて車から降りる時、鞄の外ポケットに申込控えの用紙を突っ込んだのが見えて呟いた。家に入る前に用紙を見直す。持参するものにエプロン、服装の注意書き、初回に月四回の受講料六千円納付、材料費別と書かれている。

「マジか・・・」とまた溜息ためいきをつきながらふと気づく。岳が物凄く吠えていた。

慌てて律は玄関に向かい鍵を開けると、岳が急いでリビングから駆けて来た。凄く慌てている様子で、律の顔を見るなりリビングへ戻って行き、また急いで律の元にやってくる。玄関で靴を脱ぎ荷物をそのまま置いて「岳どうした?」と一緒にリビングに入ると、それといって変わりはない。

「どうした、岳?」

岳を落ち着かせて問おうとするが、岳はリビングの縁側のある方を見て吠え落ち着かない。

「岳?」

律は急いで縁側を見て、岳の顔を見て、岳は律の顔を見て、縁側を見て、と繰り返していると、縁側の外の植木などがある傍に薫が横たわっていた。

「おか~ん!」

律は急いで縁側に靴も履かないまま飛び出し、薫に駆け寄る。

「おか~ん!おか~ん!」

汗を額に滲ませ赤い顔をしている薫が瞼を少し動かした。どうやら熱中症のようだ。律はそのまま薫を抱えてリビングに運び、冷凍室から氷枕を出し首の後ろに当てて寝かせ、脇に保冷剤を挟み、声をかける。

「おか~ん、分かる?救急車、今呼ぶから・・・」

「り、つ、だ、だい、じょう、ぶ」

幸い意識はあるようで、か細い声で薫は声を絞り出した。

「おか~ん、救急車呼ぶから!待って!おか~んまで居なくなったら、僕、僕・・・」

目に涙をいっぱい溜めて、眉毛に力を込めて泣き叫びそうなのをグッと我慢し、スマホのボタンをタッチしていた。

暫くして救急車が自宅前に着き、隊員の見立てでは熱中症だけど重度ではなさそうなので一応搬送するが大丈夫だろうとのことだった。岳を家に置いて、玄関を閉め一緒に律は救急車に乗り込み病院へ向かった。

救急車は案外よく揺れる。乗っている律が車酔いしそうなくらい、左右に揺れた。スピードも出ているのでそうなのかもしれないが、律は座っているのに精いっぱいだった。


午後に運ばれたので点滴が終われば帰れる軽症で済み、薫ももう意識はしっかりしていた。時計は午後六時を回っていた。

「ごめんね、りっちゃん」

「いや、軽症で済んでよかった」

薫は今日は休みで庭の手入れをしていたらしい。岳は暑いからリビングのエアコンの効いた部屋に置いて一人鼻歌を歌いながら草むしりなどをしていた。そのうち熱中していたら暑さを忘れてしまっていた。喉を潤そうとしたら時すでに遅し。ふらっとしてそのまま意識が遠のいていったのだと。倒れたのを岳が察したけど、誰も居なくてオロオロ吠えて誰か助けを呼んでいたところに、律が帰ってきたそうだ。

「ほんま、気を付けて」

律が心配そうに言う。

「熱中したら忘れちゃうのは私の遺伝だったわね、律」とふふふと笑った薫を見て「もう!」と律は眉間にしわを寄せた。



「蛍、お前タナカとは友達やったのか?」

井原が問う。夏の夕方六時はまだ明るかった。

「それほど。一方的に私はよく覚えてたから」と微笑んで蛍は申込用紙の律が書いた文字を眺めていた。

「まぁここは爺さんか婆さんしか習いに来てないから、同世代のタナカがいるのもええことや」

そう言って井原は粘土が仕舞ってある倉庫へ歩いて行った。そして倉庫からやや大きめの声で「蛍、俺ちょっと練ってから戸締りするからもういいぞ」と声をかけると「は~い」と蛍は答えて帰る準備をして出て行った。

井原は土をテーブルに出して、力を込めて練っていると外は少しずつ日が落ちて行った。

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