第6話 僕を知る人たち
今週末の七夕イベントに向け、新人アルバイトの
トントン、ノックをして川島副主任が「お疲れ様」と入ってきた。
「中田君お昼行ったから、一人かなと思って。どう?順調?何か手伝おうか?」
川島はきりっとした女性ではあるが、小学生の息子がいる良き母だった。この部署は本部とは違い少人数で助け合いながら運営している。楢崎主任は川島より一回りほど上だけど、本部からの無茶な指示などには二人で一緒になって意見もするし、主任、副主任のタッグの絆は強い。楢崎は割とのんびりした性格で専門店の年配の店主達には可愛がられている。他に律以外に男性社員が二人、女性アルバイトが二人、今は期間アルバイトにもう一人稲本碧がいた。
「夏休み期間は売り出しもあるしイベントも忙しいから碧ちゃんに来てもらって助かるわ」
「いえ、まだ慣れてなくて。データ入力とかは時間かかって、すみません」
碧は少し控えめな学生だった。幼稚園の先生を目指しているらしく、色紙で作る手先は器用でパソコンを前にするよりも楽しそうな表情をしていた。
「手先器用ね。中田君もそれ分かって碧ちゃんに任せたんじゃない?」
「え?」
「あの子人をちゃんと見てるのよ、いつも。繊細だし、気を遣うし、優しいし」
川島は律の繊細なところを理解していた。誰かがイライラしていると、そっとチョコレートを持ってきて「どうぞ」と言う。人が叱られていると自分も同じようにその言葉を受け取り、自分もミスがないようノートにいつもメモをしていた。急な雨に戸惑っている傘を忘れた同僚には少し遠回りになっても車で送ってやることもあった。
「口数少ないけど、人の気持ちに寄り添って自分のことは後回し。あ、あの煩い乾君は口数は多くて人の心を救うタイプね」と笑って、色紙を碧の真似をして切ってみたが斜めに歪んで不細工なリングが出来上がり、二人で顔を見合わせ大笑いした。
暫くして律が会議室Bに戻ってきた。
「お疲れ様です。川島さん手伝ってくれたんですか?」と言いながら律が目にしたのは何とも不細工な色紙のリングだった。
ぷぷっ、笑いを堪えきれず
「川島さんの作品?めっちゃ芸術的ですね、クククッ」
「コラ、笑いながらじゃ褒めてないのバレバレ。でもま、下手くそって言わないのが中田君のいいとこだけど」と言いながら律が手にしている紙切れに目をやる。
「それ何?」
「あぁ休憩室で貰ったんですよ。日にち間違えて発券した映画のチケット。今日行けないのに今日の日付で出しちゃったらしくて、代わりに行ってこいって、古着屋のおっちゃん」
手に持っているチケットを川島に差し出して見せると、そこに書かれている今日の日付と映画のタイトルを川島が声に出して読むと「ウワッこれ今人気のホラー映画!」と碧が目を輝かせた。
川島と律は、えっと碧の顔を見て「ホラー好きなの?」と少し意外で声を合わせて驚いた。
「はい、絶対あり得ないと思ってるんで全然怖くないんです」
「おぉ」律は低い声で関心した。
「じゃ、二人で仕事後行ってきなさいよ。今日中田君早番だし、行けるよ。ほらほら、私もこのリング作り手伝って
と二人の肩を川島は抱えて組むようにして、オッケーとニコニコしながら退室して行った。
少し沈黙の後、「じゃぁ行ってみようか」と律は碧を誘って行くことになった。
◇
映画はホラーというだけあって、律は何度かウワッという声を上げたけど、碧は言っていた通りキャーという声は一度も上げず、平然と映画を見入っていた。律の方が心臓が止まりそうなシーンが何度もあって見終わったときには疲れ切っていた。帰りに食事でも誘うのが紳士的かと思っていたのに、結構残酷なシーンもあったので食欲もなく、そのまま帰宅することにした。碧は「大丈夫ですか?ゆっくり休んで下さいね」とニッコリ駅で手を振って帰って行った。
「何か気持ちわるぅ」そう思いながら車を運転して、映画館からいつもと違う帰り道を走っていた。時々思い出す映画のシーンが頭をよぎり、いやいやと頭を振る。ヤバいヤバい、あぁヤバい映画だったわ、などとぶつくさ独り言を言いながらめったに通らない槙野さんの駐車場近くに来てふと思い出した。あ、この前の器、この辺の陶芸教室って言ってたな、と車のスピードを落としてみる。
薄暗い生活道路。少し広いスペースを『槙野駐車場』という看板の街灯で照らされていて、他は家の玄関灯がついているのが分かる程度。行きかう車がないので目を凝らしながらゆっくり通過すると、歩行者しか通れない細い道の奥にうっすら陶芸教室らしき文字が見えた。律はハザードランプを点けて、車を降りてみた。そしてその細い道を少し入って行く。『井原陶芸教室』という立て看板が建物入り口近くに小さなライトで照らされて置いてあった。ただこの時間に教室をしている気配はなく、この看板は出しっぱないなのだろう。道沿いの窓から覗くが室内は電気は点いていないし人影もない。平屋の小さな建物なので住人はいない、昼間だけ教室をしている感じなのだろうか。と思いながら引き返そうとしたら、ポンポンと肩を叩かれ声をかけられた。
「何か御用ですか?」
低く不愛想な声。辺りは暗いしさっき見たのはホラー映画。律はヒャッと息を呑んで肩をすくめ固まった。そうっと振り返るとぼさぼさの髪に髭面の背の高い男が律の顔を覗き込み叩いた肩をそのまま掴んで「お前泥棒か?」と低い声に強みが増されていた。
「うぁ!すみません」
思わず律はそのまま腰を抜かしたようにしりもちをついた。さっきの映画みたいに殺される…そう思って律は頭を両手で覆って「すみません、教室ってどんな、かと、お、思って」としどろもどろに必死に答えた。
「教室に通いたいのか?」
そう言いながら、その男は鍵を開けて室内に入って電気を点け、中からチラシを持って戻ってきた。ほら、とそのチラシを律の目の前に見せ、律が受け取る。そのチラシは教室の入会案内だった。男は濃い紺の作務衣を着ていて、ぼさっとした長い髪を後ろで少し束ねていた。細身で背の高いその男がこの井原陶芸教室の陶芸講師らしい。
「遅いから今日はそれ持って帰って、来るなら改めて来てくれ」
生徒を集めるようなセールスは一つもなく、逆に不愛想な口調であしらわれ、律はチラシを握ってそのまま停めている車に戻った。
「あぁ、こえ~」
と呟きながら車を運転して自宅に向かって走った。
◇
久しぶりに大阪に住む怜央が帰省していた。薫の手料理の夕食を食べ、二人で色々話していた。電車で一時間ちょっとなのだが、頻繁に帰ってこない怜央は、大阪の郊外にあるトリミング店でトリマーをしている。オーナーの他にトリマーが三人いて、怜央は一番のベテランになる。一人暮らしなので犬は飼っていないが、客の
「今日はおばあちゃんが京都に来てたから久々に会ってきた。変わらず元気やったよ」
恒靖の母、
「お義母さん、こっちにもいつか来てくれたらいいのに」
薫は電話では話しているが、越してからはそれほど会っていない。決まって京都まで新幹線で来る穂希に、怜央が中学生までは薫が連れて行き、また迎えに行くことが多かった。
「またお寺巡りとかき氷食べて来たんでしょ」
薫は少し寂しそうに微笑んで言った。
怜央は自分なりに律を思っていた。同じように父を亡くした悲しみを堪えて、祖母との間も自分が間に入ることでいつか上手くいけばと考えていた。律がやっぱり可愛かったから。
ソファーに寝ころんだ怜央は「お母さん、後でおばあちゃんに買ってもらったプリン食べよ」そう言って伸びをした。
「ただいま~」
と律の声。岳がドタドタと玄関に駆けて来てハァハァと舌を出して律を迎える。岳の頭をわしゃわしゃと撫で律は「あぁ~ヤバかった~」とネクタイを緩めながらリビングに入ってきた。
「おかえり~」と低めの声で怜央が片手を上げてソファーにゴロンとしている。
「おぅ来てたん?お疲れ」
怜央の方に気付いて一応挨拶する律。
「りっちゃん、夕飯いらないって言ってたけど帰り早いね」と薫が言うと「あ、ご飯食べてない、なんかある?」と飢え死にしそうな顔をしてダイニングテーブルの席へ腰かけた。「デートかと思ったのに」と薫にちょっとからかわれ、「なんで!」と眉間にしわを寄せ映画の気持ち悪さとその帰りの陶芸教室の恐怖体験を話し、残り物だけどと出された肉じゃがを頬張った。
「最強やん、そのバイトの女の子」と怜央が笑って話に加わり「ホラー映画からの現実の陶芸体験ならぬホラー体験」と薫も煽る。昔からいつもこうなる。母にも姉にもいつまでたっても小さい男の子扱い。体は一番大きくなったのに、からかわれてばっかり。
「もう、すぐ僕を子ども扱いする!」と律は少しへそを曲げて空になったお皿とご飯茶碗を台所に下げ、自分の部屋に上がって行くとその後を岳が慌ててついていった。
部屋の窓にふと目をやる。雨がポツポツガラスに当たっている。「雨か」と窓を少し開け空を見上げると、夜の空が一段と暗くなっていた。律の嫌いな灰色よりも黒い空の色。遠くに稲光も見えた。今日は終盤何だかついてなかったなと思いながら窓とカーテンを閉め、ため息をつきながらベッドにうつ伏せにゴロンと飛び込んだ。ベッドからはみ出た足を岳がクンクン嗅ぐ。やめろよ、とうつ伏せになりながら岳の鼻が足裏に当たってくすぐったく足をモゾモゾと動かす。それでも止めないのかくすぐったく触れるので
「もう岳!やめろって~」と顔を上げると怜央が笑いを堪えて足裏をコチョコチョしているではないか。
「おい!」思わず飛び起きる律に笑いながら怜央が、はいとプリンを目の前に見せる。
「なに…」
「今日おばあちゃんと京都行ってたからお土産。おばあちゃんから。律、元気?て言ってたから能天気に元気やでぇて言っといたから」
そう悪戯そうに笑いながら「岳、お姉ちゃんと遊ぼ。律は今お風呂入れたからそれ食べたら入ってよ」
そう言って、岳を促してリビングに降りて行った。怜央は律がいつまでも抱えていることも分かっている。分かっているからこそちょっと強い姉として絡んでいる。自分も父を失った寂しさがあったけど、律を思えば強くなれた。
律の手にしているプリンは、柔らかくて滑らかで小さい頃から大好物のプリンだった。
「おばあちゃん、俺には会ってくれないんだな…」
穂希は恒靖の死後、引っ越してからは何故か律に会うのを避けていた。律はずっと「おばあちゃんは僕のせいだから会いたくないんだ」と思っている。
おばあちゃんは、僕を恨んでるんだ、嫌っているんだ。それが律の心をずっと曇らせているのかもしれない。
律はベッドに腰かけ、プリンの蓋を外し、プラスチックのスプーンで一口、口に運んだ。甘くてとろみのある舌ざわり。父もよくデパ地下でお土産に買ってきてくれた。まだ幼かったが覚えている「おと~んもおばあちゃんがよく買ってくれて大好きなプリンなんだぞ」そう嬉しそうに言っていたことを。
◇
◇
その週末、ショッピングモールで七夕イベントが催された。催事の週末は来店客も多い。朝から律を始め、アルバイトも社員も忙しい。七夕の笹に願い事を書いて結ぶブース、カップルが写真を撮る映え《ばえ》ポイント、子供用の彦星と織姫の顔はめパネル、似顔絵を絵師に描いて貰うブースなどに加え、出店のようなたこ焼きや可愛いカフェなどの飲食ブースに老若男女問わず賑わっていた。また和服店では浴衣の売り出しと試着コーナーがあり、二時間のレンタルサービスをしていた。
「りっちゃん!」
和服店の前を通りかかった律に聞き覚えのある声が聞こえ振り返ると、薫が手を振っていた。目が飛び出ると同時に「うぇ?」と言葉にならないような声で律が驚きフリーズしてしまった。その薫のいる店の奥の方から浴衣姿の乾と碧が出てきて、律は余計動けずゴクリと生唾を呑む。
「ちょっとどういうこと?」
もうその言葉しか出ないのは仕方がない。
「お~りっちゃん、おか~んに着付けしてもらったわ。どや、イケてるやろ」と黒に近い灰色の
「どういうこと?」また同じことを聞いてしまった。ええやろ?とポーズを決める乾を払いのけ、薫と碧にどういうこと?と律は聞く。
「この前家に真司君来てくれた時にお願いされたのよ、着付け。で今日はおか~んはボランティアで来ています」と肩をすくめてふふふと薫は楽しそうに笑った。
「ええやろ~こういうカップルがいますよ~みたいな見本に、碧ちゃんにもお願いしちゃったわけで。あ、これも仕事の一環やで」と乾はニヤニヤするのを堪えながら「仕事仕事、じゃぁな~」とイベント会場の方へ向かって行った。碧はぺこりと律にお辞儀をして乾の後をついて行った。
結局その後、社員もアルバイトも浴衣を着せてもらい仕事をこなし、七夕イベントは大いに盛り上がった。催事自体の売り上げも各店舗の売り上げもまずまずで慌ただしい一日も無事終えることとなった。
◇
「お~いこれから打ち上げ行くぞ~」
楢崎主任が社員たちに声をかけている。乾はノリがよく「はいは~い」と返事をして碧や他のバイトの女性を連れ立って行った。
「乾君、仕事は出来るんだけど、ノリがまるで学生ね。碧ちゃん取られちゃうよ」と笑いながら川島副主任が律の顔を見る。律はえ?という顔をして「何言ってるんすか」と慌てて「行きましょ行きましょ」と川島の背中を押して、ショッピングモールの社員通用口を出、乾達の後を追った。
道々星がよく見えるので歩きながら空を見上げて歩いていた律は、行きかう人にうっかりぶつかりそうになる。
「中田君、君は子供みたいね」そう言って川島は小学生の息子を見るのと同じ目で律を眺める。「前を向いて」と律のお尻を叩いて促すと、中学生くらいの女の子が同じように空を見ながら歩いて律と交差するようにぶつかった。
「あっ」
背の高い律の胸にその女の子が飛び込む形でぶつかったので、律が思わず受け止めた。
「すみません」
急いですぐ近くにいた律と年の近そうな女性が、その女の子の手を引き律に謝った。
「あ、いや、こっちも星見てたから、お
「ほらちゃんと前向いて歩かなきゃ。謝って」
と女の子にその女性は言うと「ごめんなさい」と頭を下げて、女の子は女性と手を繋いでそのまま歩き出した。
「ほらほら」と川島が苦笑いして「あの子たち姉妹かしら、親子かしらね」と二人の背中を見送っていた。
背が高く目鼻立ちが整った美人と、女の子もよく似た感じの中学生のように見えた。姉妹でも親子でも見えなくはない。
「はいはい、行くわよ」
と川島副主任に律も手を引かれ、遠くで「りっちゃ~ん」と叫んでいるお調子者の乾の元へ急いだ。
その声にふと振り向いたさっきの女性。夜になっても蒸し暑いが、ショッピングモールの外周にいくつも飾られている笹が、少し風で揺れていた。空に星が散りばめられた七夕の夜が過ぎて行く。
「お姉ちゃんどうしたの?」
「ううん、行こう」
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