第2話 出会い

 ―――月が地上に堕ちてきた。


 そう錯覚する程の衝撃と共に、イルシアという少女は現れた。


 風に揺れる白銀の髪、汚れ一つない真白の肌、そして昏い輝きを放つ紅き瞳。

 その美しい容姿は一度視線を惹き付けたら決して離さない。


 世界一の芸術家ですら、彼女の美貌を表現する事を諦めるだろう。

 人が作れるものではない。

 神に愛されたとしか言い様のないそれに、フェイルも見惚れてしまい―――


「私、イルシアと申します! フェイル先輩のハーレムを作るために参りました!」


 千年の恋も覚めるクソみたいな台詞に、咄嗟に我を取り戻す。


「は、ハーレム?」


「はい!」


「俺の?」


「はい!」


「あ、これ関わったら駄目な奴だわ」


 異質なモノから目を逸らして帰ろうとするフェイル。その裾にしがみついたイルシアが必死に懇願する。


「わーわー!待って下さいよ!せめて話だけでも!大丈夫最初は分からないかもしれないですけど······」


「いやそれ詐欺師の常套句!」


「違います違います! 本当にフェイル先輩のためになる話なんですぅ!」


「怪し過ぎだろ!? 君が女じゃなかったら殴ってるところだからなッ!?」


「あはは、女の子最高! 美少女万歳!」


「うるせえ!? あと美少女とまでは言ってない!」


 フェイルが拳を振り上げるとイルシアは奇声をあげてその場を飛び退いた。


 これでは美貌もクソもあったものではない。

 呆れて言葉も出てこないフェイルは、今度こそその場を離れようと歩きだした。


 しかしそれを遮るように、突然、本当に何の兆候もなく―――フェイルの目の前で空間が割れる。


 さっきまで代わり映えのなかった日常。見慣れた校舎裏の風景に巨大な亀裂が走る。

 その向こう側には薄暗い空間が奥まで広がっていて―――


「何だよッ、これ」


 つい一瞬前までのお茶らけた雰囲気が消し飛ぶ。

 フェイルは無意識の内に後退していた。ガチガチと歯が鳴り、手も震えて止まらない。

 それは理屈がどうこうではなかった。生物としての原初の本能、恐怖心が呼び起こされたのだ。


「ほら~、だから言ったじゃないですか。フェイル先輩のためになる話だって」


 恐怖で狼狽えるフェイルの横に立ち、イルシアがヘラヘラと笑みを浮かべる。


「は?俺のため?何が······」


「ハーレムを作ることですって」


「それはもういいんだよ!? んなことよりこれは何だ!? お前、何か知ってるのか!?」


「知ってますよ~。先輩が知りたいことはぜーんぶ」


「だったら教えろ!」


「別に構いませんけど。その代わりに私の話、最後まで聞いてくれます?」


 イルシアは小首を傾げてそう問い掛けた。


 ハーレムがどうこうの提案以前に、登場からして怪しさ満点の美少女。まともに考えたら付き合うべきではない。

 しかしフェイルの目の前に広がる事象は既に理解の範疇を越えており、加えて彼は一般クラスへの編入の件で正常な判断力を失っていた。


 だから、


「聞く! 聞くから早く!」


 イルシアを頼った。頼られた少女は飛び跳ねんばかりの笑みを咲かせる。


「了解しました!まず何から聞きたいですか?」


「何もわかんないから分かるように一から説明してくれ」


「了解です。まず結論から言いますと、フェイル先輩は命を狙われています」


「え、マジ?」


「マジもマジ、大真面目な話ですねぇ。この亀裂の向こう側には別の世界が存在して、そこには沢山の化け物がいるんです。人間の悪感情を好んで喰らう化け物が」


「んな、馬鹿みたいな話―――」


 ある訳がない。

 そう吐き捨てようとするフェイルの視界に映る亀裂。

 確かにその奥に広がる空間は、別世界と言われて納得できるだけの雰囲気があった。


 さらに、人間の悪感情を喰らうという情報。もしそれが本当なら、フェイルには化け物に狙われるだけの理由がある。


 騎士クラスから落とされた件だ。

 長年の恨みつらみが募った感情が、化け物の呼び水となった可能性は高い。


「なあ、その話が全部本当だとして、俺は、その、化け物ってのに狙われてんだよな?」


「はい。先輩が手遅れになる前に元気付けようと話し掛けたんですが、ちょっとだけ間に合わなかったみたいですねぇ」


 亀裂にツンツンと指先で触れながらイルシアが答える。


「マジ、かよ······」


「安心して下さい。助かる方法でしたらありますので。というより、そのために私が来たと言いますか」


「本当か!? どうすればいい!?」


 助かると聞いて安堵の表情を浮かべるフェイル。このような異常事態からは一刻も早く遠ざかりたい。故に答えを求めて―――


「亀裂の中に入って、そこにいる化け物を全部殺せば良いんですよ」


 イルシアの解答を聞いた瞬間、フェイルの顔が絶望に染まった。

 それは恐らく、彼が最も苦手とする解決法であったから。


 化け物がどれほどの強さかは分からないが、手軽に倒せる相手ではないかもしれない。しかもイルシアの口振りから判断すれば、化け物は決して一体のみとは限らない。


 騎士になれない自分程度が勝てるのだろうか。自信が出ず、折角遠のいた悪感情が再びフェイルの中で沸き上がってくる。


「それ以上はよくないですよ? 嫌な感情が大きいほど、それを求めて強い個体が集まってきますので」


「んなこと言われたって」


「大丈夫ですよ。私がいれば殲滅くらい簡単ですって! そら、行きましょう!」


「わ、ちょ!? お前待て―――」


 イルシアが容赦なくフェイルの背を突き飛ばす。


 そうしてフェイルは亀裂の向こう側に広がる暗闇の世界へと足を踏み入れ、イルシアもその後に続いたのだった。



「いってて」


 豪快に突き飛ばされたフェイルは、ふらつきながらゆっくりと起き上がった。

 それから視線をあげて驚愕に目を見開く。


 寂れた風景、すぐそばに立つ雑木林、休憩中に腰掛ける切り株。

 目の前に広がるのは、フェイルが毎日訓練に使ってきた旧校舎裏と全く同じ空間だった。


 されどここは異世界で、危険極まりない場所であるとイルシアは言う。

 それを証明するかのように、亀裂の内側には多くの化け物が存在していたのだ。


 動物的な見た目の個体、巨大な植物の見た目をした個体、果ては腐りかけた人間のような個体まで、造形に統一感のない化け物たちが実に十体以上。


 それら全てが、フェイルに注目していた。


「これみーんな、フェイル先輩の悪感情に誘われて来たんです。こいつらがフェイル先輩を食べようとして、あの亀裂を生み出したんですね~」


「これが全部? は?」


 イルシアの言葉を唖然と繰り返すフェイル。複数体いるのは予想していたが、ここまで多いとは思っていなかった。


 もしあれらがとんでもない強さを秘めた化け物であるとするなら、確実にここで死ぬことになってしまう。


 絶体絶命のピンチを前にしたフェイルは、それでも咄嗟に剣を抜いて構えた。

 才能や努力を否定され、なにも残らなかった自分。ここで戦う意志すら失えば、本当に全てが水の泡になってしまう。


 だからフェイルは戦う覚悟を決めた。それを横目で見たイルシアは小さく微笑んでから口を開く。


「最初にハーレムを作るって言ったじゃないですか」


「え?あ、あぁ」


 この緊急事態でその話を蒸し返すなら、きっと無駄なことではないのだろう。そう判断したフェイルが曖昧な相槌で先を促す。


 そうこうしている間にも、大型犬のような化け物がフェイル目掛けて全速力で駆け出していた。


 本来の犬を上回る速度。あっという間に距離を詰められ、大口を開けたソレがフェイルに飛び掛かり―――


 その首根っこをイルシアが鷲掴みにし、なんとそのまま握り潰した。


 凡人未満とはいえ、騎士になるべく幼い頃から訓練を欠かさなかったフェイルが反応しきれなかった速度に、容易く対応したのだ。


 血に染まった白銀の乙女は、笑顔でフェイルの前に立つ。そして戦う前に一度だけ振り返り、


「実は、先輩はとてつもなく強力で厄介な化け物に目をつけられているのです。なので、こうやって先輩を守ってくれる女の子を集める。それが私のハーレム計画で、私はそのハーレムの一人目です!」


 そう言って笑うのだった。

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