デブミちゃん

 夏海ちゃんが青ちゃんを呼びに書斎を訪れたときのことです。机のうえに蜜に浸した林檎ように輝く赤い果実が置いてありました。

「きれい」

 夏海ちゃんはその赤い果実を手に取りました。まるで宝石に夢中になる女の子のように、夏海ちゃんはその赤い果実を眺めました。

 そのときです。夏海ちゃんの中に抗いがたい衝動が芽生えました。

(欲しい)

 夏海ちゃんはそ赤い果実にかぶりつきました。噛めば噛むほど食べたい欲求は強くなり、赤い果実を食べ終えてもおさまりません。夏海ちゃんはばたんと書斎を飛び出しました。

 青ちゃんはちょうど入れ違いに戻り、机を見て首を傾げました。幽霊たちからお裾分けされた呪いの果実が消えていたからです。


 ***


「泥棒っ」ひまわりちゃんは叫びました。


 メイドちゃんたちはすぐ冷蔵庫の前に集まりました。不穏な言葉にぼっちゃんやメガネくんも駆けつけました。でもひとり夏海ちゃんの姿がありません。


「泥棒というのは―」

 林檎ちゃんは尋ねました。

「あれだよ」ひまわりちゃんは指差しました。

 なんかちっちゃいデブが冷蔵庫の中身を食い荒らしてるんです。

「びぃ…」

 ぼっちゃんは悲しげな声をあげました。おやつのプリンが奪われたからです。

「ぼっちゃんのおやつまで…」

 ひまわりちゃんは怒りました。

「ここは僕に任せてください」


 メガネくんが眼鏡をクイッとあげ、進み出ました。

 ついに男らしさを見せるときがきたのかもしれませんね。男らしさ以前に出番自体があまりありませんでしたけれど。

 ともかくメガネくんはちっちゃいデブの首根っこをつかみ、こっちを向かせました。


「まったく昼間から堂々と――」

 メガネくんは絶句しました。

「そんな…まさか…」

「どうなさいました〜」

 林檎ちゃんはおっとりと呼びました。

「泥棒の正体は夏海さんだったのですよ」

 メガネくんは無理やりちっちゃいデブをメイドちゃんたちの方に向けました。

「ぴえっ」


 ぼっちゃんはショックのあまり悲鳴をあげました。姿形は違えど、たしかに夏海ちゃんなんです。なんていうかこう…横幅を広くしてからデフォルメ化して、顔をふてぶてしくしたイメージです。


「夏海ちゃんっ、行儀が悪いですよ」

 緑ちゃんは怒りました。

「夏海ちゃん、お腹が空いたのなら林檎がお料理を振舞ってあげますよ」

「無駄です林檎さん」

 メガネくんは言いました。

「この姿間違いありません。夏美さんは呪いの果実を食べてしまったのです」

 青ちゃんはぽんと手を打ちました。

「呪いの果実…?」

 林檎ちゃんは首を傾げました。

「呪いの果実を食べた者は食欲の悪魔に取り憑かれてしまうと言います。要するに食べても食べても満ち足りない身体になってしまうのです」

「でも夏美ちゃん呪いの果実なんてどこで手に入れたのかな?」


 ひまわりちゃんはもっともなことを言いました。すると原因の大元である青ちゃんはさっと林檎ちゃんの後ろに隠れました。こういうときはいちばん怒らなそうな女の子の側にいるに限ります。


「青ちゃまどうしました?」


 林檎ちゃんは子供に接する見本のような親しげな声音で尋ねました。まさか青ちゃんが原因で起きたこととは思ってもいません。


「でもどうするの?」

 モモちゃんは未だ冷蔵庫を漁り続けるデブミちゃんを見ながらだれにともなく聞きました。

「あげないわよ」


 夏美ちゃんは饅頭をモグモグしながら機先を制しました。タネを口にためたハムスターをいくらかブサイクにしたようなふてぶてしい顔です。


「べつにいらないし」

 モモちゃんはぼそっと言いました。そして、モモちゃんの代わりにひまわりちゃんが言い返しました。

「夏美ちゃんのおやつじゃないでしょ。

 このデブっ」


 でも罵られた本人は全然気にしてませんでした。今の夏美ちゃんは腹いっぱい食えりゃその他のことはどうでもいいんです。

 夏美ちゃんは饅頭を食べ終えると再び冷蔵庫を物色しました。


「びっ、びぃぃっ」


 ぼっちゃんは夏美ちゃんの変わり果てた姿に泣き出してしまいました。すると夏海ちゃんは冷蔵庫から顔を出し、野太い声で言いました。


「ぼっちゃんも食べる?」


 夏美ちゃんはマフィン差し出しました。デブミちゃんになっても小さなぼっちゃんだけは特別なんですね。この食欲の魔人が食べものを譲ろうと言うのですから。


「このままでは屋敷中の食材を食い荒らされてしまいます。わたしたちの力で呪いを解きましょう」


 緑ちゃんの呼びかけにより、メイドちゃんたちは臨戦態勢に入りました。夏美ちゃん意外のメイドちゃんはみんな魔法が使えますからね、けっこう強いんですよ。


「行きますよ」

 緑ちゃんは「えいっ」となんかのタネを投げました。タネは床に散らばりました。

「食べれるのかしら?」とタネを拾い繁々と眺めるデブの姿に「夏美ちゃん…」とひまわりちゃんは呆れた声で呟きました。

「今のうちです」

 青ちゃんはうなずき、ぽんっと魔法のおもちゃ箱を出現させました。中からジョーロを取り、床に散らばった種に水をかけました。

「みんながんばってくださいまし」


 林檎ちゃんは応援しました。この娘の魔法はあまり強力過ぎるから、夏美ちゃんに向けるわけにはいかないのです。


「おひさまさん力を貸して」


 ひまわりちゃんは窓を開け、でっかい声で叫びました。すると太陽さんは快く力を貸してくれました。陽光のベールが優しくタネを覆いました。

 最後にモモちゃんが目をつぶり、祈るように両手を合わせました。モモちゃんから魔法の力が溢れタネが発芽しました。

 奇跡の魔法です。蔓は夏美ちゃんに絡みつき、動きを封じました。


「動きは封じたけど、これからどうしよう?」

 ひまわりちゃんは「マフィン、マフィン」と暴れる夏美ちゃんを横目に言いました。

「わたしたちではどうすることもできません。急いで祭ちゃんに知らせましょう」

「では僕が手紙を出します」


 メガネくんはさっさと部屋を出てゆきました。

 一段落し、メイドちゃんたちは夏美ちゃんに目を向けました。


「みぃ、なつみぃ」


 ぼっちゃんは夏美ちゃんに寄り添ってます。たとえ太ってもぼっちゃんは夏美ちゃんのことが大好きなんです。子供ってそういうもんですよ。


「餌はあげちゃダメだからね」


 ひまわりちゃんは念を押しました。

 夏美ちゃんのことは豚やなにかだと思っているような言い方です。


「可愛そうな夏美ちゃんとおぼっちゃま」

 林檎ちゃんは悲しげに言いました。


 《後日談》


「ま、祭ちゃんっ、夏美ちゃんが大変なのっ」

 最強の魔術師が帰還するなり、ひまわりちゃんは廊下に飛び出しました。

「ボクが戻ったからには心配ないさ」

 余裕の祭ちゃんです。隣にはサマーショーとウィンタースノウがおり、背後にはかぼちゃ型飛行船が着陸してました。

「こっち」

 ひまわりちゃんは祭ちゃんの手を部屋まで引っ張りました。

「祭ちゃん」

 モモちゃんの顔がほころびました。モモちゃんは祭ちゃんを尊敬してるんです。だから、祭ちゃんのいる前ではけっこう笑ってくれます。

 でも祭ちゃんのことが大好きなのは他のメイドちゃんたちも同じです。みんな嬉しそうでした。ただ夏美ちゃんだけは腹減ってそれどころではありませんけどね。


 ぼっちゃんはチャボを抱きながら犬のジャンボと一緒に夏美ちゃんの横にいましたけど、祭ちゃんが帰るなり、「祭ちゃぁぁん」と泣きつきました。


「心配ないさ。夏美ちゃんの呪いは姉ちゃんが解いてやっから」


 祭ちゃんはぼっちゃんの頭を撫で、夏美ちゃんのところに行きました。夏美ちゃんは野太い声でマフィンを求めました。


「そんなに食べたら太っちゃうぞ」

(もう太ってるよ)


 ひまわりちゃんは思いました。

 祭ちゃんは夏美ちゃんの目をじっと見つめました。祭ちゃんは瞳から魔法の力を放ち、呪いを吹き飛ばしてしまいました。


「なんかお腹いっぱいになったわ」

 夏海ちゃんは野太い声で言いました。

「もう、呪いは解けたよ」

 祭ちゃんはみんなを向き直りました。

「でも、祭ちゃんえっと」

 モモちゃんは言い淀みました。尊敬する祭ちゃんに異を唱えることには勇気がいるのです。

「祭さま、その体型が…」

 林檎ちゃんは補足しました。

「デブのままだよ」

 ひまわりちゃんは夏美ちゃんを指差ながらはっきりと言いました。

「無茶言うなよひまちゃん。呪いが解けたからって胃袋に収まったものまで消えるわけじゃないさ」

「そんなあ゙あ゙ぁ゙」

 それから夏美ちゃんがダイエットに勤しむことになるのはまたべつのお話です。

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